87 / 198

第87話

「これくらいだと髪で隠れるから問題ない。もし禿げても、お前なら可愛いだろうな」 「え……なんですか、それ。禿げても可愛いって、あんまり嬉しくないですよ」  佑月が笑って言うと、須藤の目尻が益々下がっていく。なんだか急に須藤の空気が柔らかい。普段以上に表情も優しげで、佑月は少し落ち着けなくなる。  昨夜の気まずい空気を払拭しようとしているのかと思ったが、そうではないようだ。須藤は多分、その場その場の感情で動くような気がしたからだ。  だったらなぜ須藤は今、こんなにも機嫌が良いのだろうか。佑月が一人頭を悩ませていると、ふと運転する真山とルームミラー越しで目が合った。 「ボス、今朝は随分とご機嫌ですね」 「まぁな」  真山の声掛けにも、機嫌良く須藤は答える。 「そのお気持ちはよく分かります。ご様子を窺っているだけで、私もとても嬉しいので」  真山の視線が須藤から、また何故か佑月へと移る。そして眼鏡の奥の目が柔和に細められる。佑月は更に困惑してしまう。 「須藤さん、今日何かいい事でもあるんですか?」 「別にいい事などないが、今は気分がいいな」  そう返す須藤の表情はまだ柔らかい。距離も縮めたままだから、須藤が近くて佑月はどうしてか緊張してしまっていた。 「俺の付き添いで病院へ行くのに?」 「だからだ。お前がいなければ気分も良くならない」  うんうんと、運転席で真山は頷いている。なぜ佑月がいれば気分がいいのか。困惑が深まるなかで、佑月は少し嬉しいと感じている。何故かは分からない。でも自分といて嫌な気分になられるよりは、当然ながら嬉しいに決まっている。しかも須藤のようなハイスペックな男がそう言うのだから、佑月の気持ちも高揚する。思わずもれてしまう笑みを隠すのに、必死にならなければならなかった。 「どうした佑月、急に嬉しそうだな」  須藤は伸ばした手で佑月の頬を包む。佑月の顔は一瞬で熱を持った。 (うわ……バレてるし。全然ダメダメじゃないか俺……) 「……気のせいじゃないですか?」  佑月はにっこりと微笑みながら、須藤の手を外す。他人に触れることが好きではないくせに、こうして近くにいると、須藤は必ず何処かしら触れてくる。 「お前は直ぐに顔に出るからな。分かりやすい」  須藤が愉快そうに言っている傍ら、佑月はふと、あることを試したくなった。 (さすがに怒るかな……。怒らせるとかなりマズイけど。でも自分はよくて他人はダメなんて不公平だろ) 「また、何を考えてる?」  ギクリと内心ではヒヤヒヤしたが、顔には出さないよう気をつける。そして腹を決めた佑月は、勢いをつけて須藤の頬へと手を伸ばした。 「……」  ペタリと頬に吸い付く手のひら。  須藤の頬を包んだのはいいが、お互いの空気が一瞬止まってしまった。すると須藤の手が何やら少し動いたと思えば、運転席との仕切りを下ろした。 (な、なんで仕切ったんだ!? ていうか俺! この後どうするんだよー)  自分で仕掛けたくせに、佑月の頭の中はあたふたと忙しない。ただ須藤が避けて佑月の手を叩き落としたり、嫌悪感を表に出したりしていないことが唯一の救いだった。

ともだちにシェアしよう!