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第138話

(お幸せに……?)  どういう事か訊ねる間もなく、犀川は佑月に背中を向けていた。未練も何も感じない背中だ。  須藤と犀川がすれ違うとき、何かしらアクションがあるかと思ったが、二人はお互いに一瞥すらしないですれ違っていった。 「佑月、帰るぞ」  目の前まで来た須藤は事も無げに言う。そして犀川が口付けた頬を拭うように指で触れてきた。 「あ、口紅」  指に着いたのではと須藤の手を取って見たが、何も着いていない。佑月は自身でも頬を指で拭って見るが、何も着いていなかった。 「落ちにくいものなのだろう。忌々しい。行くぞ」  少し不機嫌に言う須藤に、佑月はこくりと頷くが。 「って、待ってください! 須藤さん、まだパーティ終わってませんよね? 抜けて大丈夫なんですか?」 「問題ない」  そう言って須藤は佑月の腰に手を当て、エントランスへ向かうよう促してきた。 「あ、あの、待ってください。とりあえず俺は服を着替えないと」  須藤は何か言いたげにしたが、佑月の意を酌んでくれたのか「分かった」と言う。しかし須藤までついてくるため、佑月は戸惑った。 「須藤さん、ロビーで待っていてくれた方がいいんじゃ……」 「佑月を一人にはさせられない。護衛だと思え」 「……護衛って」  須藤にこんな事を言わせる自分は一体何様なんだと思ってしまうが、ここはつべこべ言わず、さっさと着替えた方が良さそうだった。佑月はメイクルームに入るとロッカーを鍵で開けて、自分のスーツを取り出す。 「……」  ずっと視線が背中に突き刺さり、とても着替えにくいものがある。部屋まで入ってくることまでしなくても大丈夫なのにと、佑月は内心で訴えることしか出来なかった。しかし恥ずかしがっていては埒が明かないし、待たすことも出来ない。佑月は羞恥心をかなぐり捨て、素早く着替えていった。 (着替えただけなのに、めちゃくちゃ疲れた)  湿気の多い季節ということもあり、空調が効いていても汗が背中を伝っていく。  着替えを終えた佑月の傍へと、須藤は椅子から腰を上げてやってくる。そして佑月の着ていたタキシードを奪うと、そのままゴミ箱へと捨ててしまった。 「ちょ、それ、借り物なんですけど」  佑月が慌てて取ろうとすれば、須藤が佑月の手首を掴んで阻止をしてくる。だが、佑月はゴミ箱からタキシードを取ると腕に抱えた。須藤がとても怖い顔をしているが、佑月はそこはスルーする。 「他の者が与えた物を持っている必要はない。それにこれは元々、お前にやるつもりで与えていただろうからな」 「なんでそんな事が分かるんですか? というか、彼女のこと、よくご存知なんですね……」  しまったと思った時はもう既に遅い。まるで嫉妬しているような口振りになってしまった。だけどここでまた何かを言うと、余計な事を更に言ってしまう恐れがあるため、佑月は口を閉じるしかなかった。 「あの女のこと、誰か知っていて仕事を受けていたのではないのか?」  無用の心配だったようで、須藤は別のことで少し驚いているようだった。

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