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第168話《忘却》

 佑月は自分がおかしくなったのかと不安を覚えていると、須藤が徐ろに額を押さえ始めた。眉間を揉む仕草に、佑月は須藤が少し困惑しているらしい事を知る。どうしたのかと、ハンドルを握る真山に視線を向けたが、彼も何か混乱しているのか、珍しく眉間にシワが寄っていた。 「……仁?」  さっきまで佑月の頬に触れていた須藤の手を、佑月は両手で握りしめた。須藤は直ぐに佑月の両手を握り返してくれる。 「佑月……信じ難いかもしれんが、今から話すことを聞いてくれ」 「……仁」  ここまで深刻な顔を見せるなど、決して明るい話ではないことは明白だ。でも聞かないという選択肢は佑月にはない。 「分かった、聞かせて」  須藤が頷く。そして丁寧に分かりやすく話してくれたのにも関わらず、佑月はどういう事か、直ぐに理解する事が出来なかった。いや、話の本筋はちゃんと理解している。だが頭の中の整理が追いつかないのだ。  まさか自分が命を狙われ、もう少しで危なかったという危機を脱していたとは。入院も一ヶ月近く及んでいたという。しかも一年分の記憶を今の今まで無くしていた……。 「じゃ……じゃあ……仁のことも忘れていた……? それに俺はまた、その二ヶ月分の記憶が無くなったって言うのか……?」  佑月は頭を抱えるように掻き毟ろうとした。そこで頭皮に触れる歪な膨らみに、佑月の心拍数は一気に上がり、身動き出来なくなってしまった。 「佑月……」  須藤がそんな佑月を腕の中へと収めると、少し力を込めて抱きしめてきた。頭の傷に触れる佑月の手に、須藤の指が重なる。 「すまない」  須藤の苦しげな声。直接的に須藤が傷をつけたわけではない。だが、その原因となったのが須藤という事もあり、その心中は佑月よりも辛いだろうと、須藤を想い佑月の胸は痛んだ。 「仁、謝らないで。こういう事に関しては仁は何も悪くないんだから。この大きな心を痛めないでほしい……」  佑月は須藤の大きく厚い胸に手を置いて、懇願するように須藤の漆黒の目を見つめた。 「佑月」 「それよりも俺は……俺は仁をもっと傷つけてきたはず……」  記憶がなかった時の事を思うと、とてもじゃないが、心穏やかではいられない。きっと自分は、須藤の事を直ぐには受け入れられなかったはずだ。そして、もしかしたら酷い言葉を吐いていたり、酷い事をしていたかもしれない。いくら須藤でも、恋人から酷い言葉を投げつけられたり、されたりしたら傷つくに決まっている。きっと佑月は、須藤の記憶を無くしていた頃は、男同士で付き合うという思考には至らなかったはずだ。だからもし須藤が直ぐに打ち明けていたらと思うと、想像するのも怖いくらいだった。

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