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第174話《戸惑い》

 キッチンは佑月しか使わない。佑月だけの領域だ。その冷蔵庫を覗いたとき、僅かにショックを受けてしまった。確実に自分の知らない月日があったのだと、リアルで目にし、突きつけられたからだ。 「佑月」  背後から声がかかり、佑月は僅かに肩を揺らした。 「あ……うん、どうかした?」 「今日は疲れただろ。早めに風呂へ行って、ゆっくり浸かってこい」  須藤はまだジャケットとネクタイを取っただけの姿だ。いつもは須藤が早い帰宅の時は、先に入ってもらうのが当然だったため、佑月は濡れた手を急いでタオルで拭いた。 「ごめん。直ぐに沸かしてくるね」 「湯はもう沸いている。佑月が先に入れ」  バスルームへ向かう佑月の足が、ピタリと止まる。 「え? お湯……沸かしてくれたの?」 「あぁ」  当然といった須藤の言動に、佑月は一旦口を閉じた。そして須藤へと笑みを向ける。 「そっか、ありがとう。じゃあお言葉に甘えて先に頂こうかな」  直ぐに身を翻して、佑月はバスルームへと気持ち足早で向かって行った。  今までだって須藤がお湯を入れてくれた事はある。何も驚くことではない。そう思おうとしても、驚かずにはいられなかった。  須藤が自ら入れてくれる時は、大体がセックスの流れがあってのこと。こうして、一日の仕事を互いに終えて部屋にいる時は、須藤に先に入って貰うことが多かったからだ。 (まぁ、風呂のお湯はりなんて、電源入れて自動ボタン押せばいいだけだけど……)  風呂掃除は朝に佑月が済ませているため、夜はボタン押すだけで、本当に何の労力もいらない。だけど須藤がそんな些細なことをしてくれる事が、かなり珍しかった。  もしかして記憶のなかった佑月は、随分と甘やかされていたのか。そうだとしたら、少し羨ましいと、自分に対してまた妙な感情を抱いてしまった。 「やっぱり早く思い出したい」  ゆっくりと湯船に浸かり、心身を癒しながら佑月は左前腕をお湯から出してじっくりと眺めた。今は全く痛みがないが、当時は軽い手術をする程の骨折だったという。リハビリも付けてもらっていたようだから、自分も意識して腕を動かさないとならないようだ。 「ここに小さな傷が二つあるな……。太い針で固定されてたって……なかなかグロいかも」  小さな丸い傷痕はもう薄くなってきている。痛みも全く覚えていなくて、頭の縫い痕に触れても何も思い出せない。  ゆっくりと心を落ち着かせてみたが、やはりそう簡単には記憶の断片さえも浮かんでこなかった。佑月は今日は諦めて風呂から出ると、須藤がいるリビングへと顔を出した。 「今夜は何飲んでるの?」 「コニャックだ。飲むだろ?」  須藤の隣へ密着するように座ると、須藤の腕が佑月の腰に回り、更に引き寄せてきた。 「密着しすぎだよ」  クスクス笑いながら、佑月は須藤から手渡されるグラスを手に持った。

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