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1.切っても切れない
「曖希 」
と呼ばれ、眉間に皺を寄せるも目蓋は開かず、唸りながら身動いで眠る。
「おい、朝だ。起きろ」
と声を掛けられるも、うるせえなあと思いつつ毛布を手繰り寄せ、心地好い眠りからなかなか離れられないでいる。
人がせっかくいい気分で寝てんのに、邪魔するんじゃねえよ……。
なんて腹を立てれば、今度は頬を撫でられてこそばゆく、鬱陶しそうに手をさ迷わせる。
やめろ、とこれまで何遍言ってきたか分からず、それでも懲りずに触ってくるのでいい加減疲れたが、安らかな一時を妨げられるのは許しがたい。
「やめろって……」
「なら起きろ」
「それは無理……」
「お前も往生際が悪いな。時間なくなるぞ」
手首を掴むも、阻みきれずに指先で頬をなぞられ、相変わらずくすぐったい。
するりと滑らせ、手の甲を擦りながら指へと伝い、掌を覆い被せれば無骨な感触が広がる。
温もりを感じ、押さえ付けるように掴めば止まり、そのうち何にもしてこなくなる。
アイツにしては珍しい、とは思いながらも眠たくて、それならそれで好都合だと寝返りを打ち、手を払い除ける。
「ん……」
「おい、曖希。そろそろ起きてくれ、頼むから」
「ん……、やだ」
「やだじゃねえって、おい。……ったく、起きねえとこうだぞ」
と言われたかと思えば突如として頬をつねられ、咄嗟に腕を叩いてから掴むも収まらず、沸々と腹が立ってくる。
「いってえなァ……。やめろっつってんだろ、この……。バカ塁 !」
ベチ、と音を立てて腕を叩けば、暫しの静寂が室内へと広がり不審に思うも、目覚めは急に訪れる。
「ハァ……。塁じゃねえよ、このブラコン。いつまで寝てやがんだ、いい加減起きろ」
額に衝撃、気付いた頃にはいってぇ……! と悲鳴を上げており、両手で患部を押さえて悶える。
何がなんだか分からず、とりあえず一瞬で目が覚めるも涙ぐみ、措かれている状況が理解出来ない。
塁じゃない、塁じゃないなら誰なんだよと視線をさ迷わせ、すぐにも一人の青年が視界に飛び込んでくる。
「え……?」
「おはよ、ねぼすけ。やっと起きたか」
「え……、ミハル?」
「そう、ミハル。塁じゃなくて残念だったな。なにお前、弟に起こしてもらってんの? お子様ですねえ」
「なわけねえだろ! なんでアイツなんかに……。え? てかなんで俺……、お前んちで寝てんだっけ」
「なんだよ、忘れたのか? 昨夜あんなに抱いてやったのに……、あんあん言ってて気持ち良さそうだったぜ……?」
「は……?」
「ふっ、嘘だよバァカ。寝ぼけてねえで起きろ。飯食うだろ」
「あ……、おう」
処理が追い付かず、今度は軽く小突かれてから笑まれるも、額を擦りながらだらしなく口を開ける。
考えるも分からず、そういえばミハルの家だなと見回すも、そりゃ当人が居るんだから当たり前だよなあと背中を見つめる。
すっかり目が覚めたので、ふと視線を向ければ見慣れない服を着ており、恐らくミハルの物なのだろうことが窺える。
「あ、そういえば昨日……」
「思い出してきたか?」
「雨降ってた」
「うん」
「スゲエ濡れた」
「そうそう。それで俺んちで雨宿りして」
「帰るつもりが寝おちしてしまった」
「はい、正解」
淡々と返されつつ、そうだったと頭を抱えるも時すでに遅く、先程からちゅんちゅんと囀ずっている。
カーテンは開けられ、澄み渡る空が何処までも広がっており、昨日の嵐が嘘のように思えてくる。
「わりぃ、帰るつもりだったのに」
「いいよ」
「あ、手伝う」
「ん」
そうだ、そうだったと全てを思い出し、台所とを行き来している姿に気付いて慌てて立ち上がり、ミハルの元へ駆けていく。
後ろから覗き込めば、丁度味噌汁を椀に注いでいるところであり、鼻腔を擽られて急に食欲がわいてくる。
「うわ、うまそ……」
「だろ?」
「あ~、ホントお前のヒモになりてえわ」
「ハハッ、気が向いたら囲ってやるよ。飽きたら捨てるからな」
「うわ、ひでえな」
「どっちがだよ」
なんて気楽にやり取りしつつ、手渡された椀から味噌汁が溢れないように、気を付けてテーブルに持っていく。
つい先程までは気にもしていなかったのに、焼き鮭や玉子焼き、その上ご飯を目にすれば食欲をそそられ、見た目からは想像も出来ないような家庭的さだよなとつくづく思う。
「曖希」
「ん?」
「そういや昨日……、お前が寝てる時、スゲエ勢いで着信入ってたけど」
「げ……」
「誰からか知りたい?」
「いや、いい……」
もう一つ椀を運び、箸を渡されつつ知らされる事実に、険しい顔になる。
ご丁寧に名を紡がれずとも、誰からかなんて分かりきっており、まあ家にも連絡入れてなかったからなあとは思うものの、自然と溜め息が零れてしまう。
「悪かったな……」
「気にすんな。お前の弟に言っといたぜ」
「え」
「お兄さんは俺がお預かりしてますって」
「あ、ああ……、そう」
「なんだよ。何かまずかったか?」
「いや全然! 助かったぜ! アイツもほら、言われて電話掛けてきたんだと思うしな! ほら心配性だからさ……」
うちの母ちゃん、と続けて笑みを浮かべるも、憎たらしい弟ばかりが過っていき、自分が悪いのだけれども出来ることなら話してほしくはなかったと思う。
放っていた携帯電話を見つけ、手を差し伸べて着信履歴を確認すればなるほど、弟の塁で埋め尽くされている。
母親が心配性、とは言ったもののかなり放任主義であり、数日家を空ければあら久しぶりねなんて言われる始末である。
それに引き換えコイツは……、と苦笑いを浮かべつつ、ミハルに向き合う頃には表情を変え、食卓に並べられた朝食を見つめる。
「いただきます」
と行儀良く、目の前で手を合わせるミハルに倣うも、何だか気恥ずかしくてぼそりと呟いてから箸を持ち、椀を持ち上げる。
「どうよ」
「うますぎる」
「だろ、知ってた」
湯気を立ち昇らせ、仄かな香りに誘われて味噌汁を口にし、温まりながら美味しさを素直に表せば、微かに笑ってミハルがご飯を食べている。
ミハル、そう呼ばれている目の前の青年とは同級生であり、高校に入学してから出会った友人である。
一年からずっと、三年になった今でも仲が良く、一人暮らしをしていることもあってよく家へと転がり込み、こうして寝食を共にしている。
「あ~……、サボりてえなあ。ミハルちゃん、ダメ? ほら、こんなに天気いいぜ?」
「ダメ」
「厳しい……。なんだよ、ミハルのくせに。真面目ぶりやがって」
「弟に元気な顔見せてやれよ」
「あァ? なんでだよ、いやだよ。会いたくねえよ」
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