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第3話 Wendepunkt~転機
奥歯を噛み締めたエーリヒに向かって、レオンハルトは柔らかな笑みを返した。両手でエーリヒを抱き締め、生命の温もりを取り戻した胸元にそっと口付けた。
「レオンハルト…?」
「お慕い申し上げております」
「なッ…!?」
胸元で呟かれた言葉が、エーリヒの頭を混乱させる。
「ライムントさまと私は、僭越 ながらも兄弟のようなもの。私は幼き頃よりその、ライムントさまからあなたさまの事を、常にお話しいただいて来ました。
だから…ずっと憧れていました。お会いしたいと願い続けて来ました」
彼の口から発せられたのはエーリヒには予想した事もない事実だった。レオンハルトの事は何かの折に見掛けた記憶はあった。多分、ベーエ大公家の館だった筈だ。
母親であるクーニッツ公爵夫人に抱かれいる幼い子供であった。
エーリヒにしてもまだ幼かった。母エルメンヒルデ王妃が健在だった頃。自分の性癖も知らずにいた。
思い返せばあの、何もわからない無邪気な頃が、自分にもライムントにもレオンハルトにも、幸せな時期であったのかもしれない。ベーエ大公の館でそれぞれが、運命の出逢いを果たしていたとも知らずに。
「レオンハルト…余もそなたを愛しく想う」
偽りを口にしたくはなかった。たとえそれが天に対しての反逆であろうとも。
「嬉しゅうございます」
ああ…何という温かさだろう。エーリヒの孤独で冷え切った心に、強い光と温もりが戻って来た。
「ああ…温かい…何と強い光…」
陶酔した表情を浮かべて、レオンハルトが呟いた。
(ああ…この者は、人の心の輝きや温度がわかるのだ)
そう想うと不思議な安堵が胸を満たした。他者の心がわかる者に、嘘偽りを吐く事は出来ない。それらが如何に人心を傷付けるか、彼は目の当たりにしている筈だからだ。
「レオンハルト?」
不意に彼の指がエーリヒのモノに絡み付いた。この時代、肌着や下着といったものは、西洋では未だに未発達だった。つまり彼らは互いに一糸まとわぬ姿で、肌を触れ合わせたままだったのだ。
「これではお辛うございましょう。私がお世話させてくださいませ」
愛しい相手の手が触れている。それだけでエーリヒの体温が上昇した。
「そなたのは…余が…」
レオンハルトのモノが反応しているのは、触れ合う肌から感じていた。自然に互いの唇が近付き重なり合った。
軽く触れるだけの口付けを繰り返し、やがてそれが深く互いを求めて重なり合う。
どこもかしこもが熱かった。響くのは互いの熱い吐息と、互いを弄 り合う濡れた音。
「ン…あン…ダメ…ああッ…」
レオンハルトの愛らしい唇から甘い声が漏れる。その声さえも自らの中に呑み込んでしまいたいと想う。
自分の性癖に気付いた時には、まさに地獄に堕ちた心地がした。異端を問われた時も、性癖が何だかの形で知れてしまったのかと思った。
しかし問われた内容は違った。この性癖を吐露すれば、自らが抱き続ける苦悩から解放されるかもしれぬとも考えた。
その矢先に大司教が男色の欲望の手を伸ばして来たのだ。ローマ・カトリック公教会が派遣した、大司教である者が同じ性癖だと知った。その瞬間、エーリヒは自分の性癖が本当に、神への冒涜と反逆になるのかを疑った。
「ああッ…エーリヒさま…も…ダメ…」
潤んだ瞳が懇願する。
「イくが良い…余も…もう…」
「エーリヒさま…エーリヒさま…ああッああああ!」
「くっ…」
レオンハルトが一際高い声をあげて、エーリヒの手を濡らした次の瞬間、彼もまた愛しき者の手の中へ吐精していた。
乱れた息が穏やかになるのを待って、もう一度唇を重ねた。
「今宵、余の部屋へ」
「はい…必ず」
薔薇色の頬で答える彼を何よりも愛しく想う。
レオンハルトは寝具から出ると、昨夜、エーリヒの身体を拭った布を手にした。それでエーリヒの身や手を拭い、自分を拭った。それから早急に衣服を身に着け、暖炉に薪を足すと廊下を覗いた。
「あ、レオンハルトさま!」
「執事を呼んでください。王兄殿下が目を覚まされました。お着替えをと申されていらっしゃいます」
廊下にいたロルフに言い付けて、レオンハルトはライムントの所へと向かった。
エーリヒは寝具に残るレオンハルトの温もりの中で、先程の行為の余韻に浸っていた。この愛が罪だと弾劾されても良い。胸を満たす愛をどうして否定出来るだろうか。
母を失い、自分を冷たい目で見るようになった父に背を向けられた。
『この胸が誰かを愛する日は二度と来ない』
そう思っていた。幽閉を甘んじて受けたのは、何も未来への望みがなかったからだ。
その夜、エーリヒは窓を開けて、満月に香る薔薇を見詰めていた。まるでエーリヒとレオンハルトの愛を祝福するかのように、今宵の薔薇は酔うような強い芳香を放ち続けていた。
「余を…余とレオンハルトを祝福してくれるのか、薔薇よ」
薔薇の香りの中で亡き母が微笑んだ気がした。もう少し香りを楽しみたかったが、これ以上、室温を下げるのは好ましくはない。
この部屋にも小さいながら暖炉があった。エーリヒはそれに薪を追加し、すっかり冷たくなった室温を上げようとする。
部屋には夕方に切って来た薔薇が、大きな花瓶に活けてあった。レオンハルトが来るのをソワソワとして、待ち受けている自分に気が付いて笑う。
「まるで…恋する乙女だな、これでは」
程良く室内が暖まった頃、ドアがノックされた。暖炉の前で座って薪がはぜるのを、見ていたエーリヒは慌てて立ち上がってドアを開けた。少し含羞んだレオンハルトが立っていた。
その手を掴んで部屋に引き入れた。
ドアを閉めて、待ちかねた想いそのままに、紅の唇に自らの唇を重ねた。レオンハルトの腕が背中に回され縋り付いて来る。エーリヒも彼の小柄な身体を抱き締めた。
言葉は必要なかった。互いに見詰め合い、口付けを繰り返す。シャツ越しに互いの熱を感じ、心臓の鼓動を感じた。
二人はもつれるようにして、ベッドに横たわった。衣類を脱がせ合う間も、繰り返し口付けをする。組み敷いた身体は、まだ少年のままだった。
異端審問で与えられた傷も今は綺麗に消えていた。
手のひらで撫で回すとその肌は、今朝感じた通り温かで滑らかだった。
「はぁッ…ン…エーリヒさま…」
淡く色付いた乳首を唇に含むと、羞恥と快感の狭間でレオンハルトの身体が揺れる。彼の身体からは甘い香りがする。それをもっと味わいたくて、肌に口付けを繰り返す。
「ああッ…ン…ン…あふ…」
枕を両手で握り締めて、ほのかにピンクに染まった身体が身悶える。爪先がシーツを蹴り、開かれた紅唇からは絶え間なく甘やかな声が響いた。
レオンハルトのモノは既に、欲望を示して蜜を溢れさせていた。愛しい…何もかもが。
「レオンハルト、愛している」
エーリヒはそう呟くと、愛しい者のそれを口に含んだ。
「あッ!エーリヒさま…そんな…」
貴き身分の者がする行為ではない。そう思うが与えられる快感に抗う事が出来ない。
「ン…イヤ…ああン…エーリヒさま…ダメ…溶ける…ああッ!」
快楽に溺れる隙を狙って、薔薇の香油を蕾に塗りながらゆっくりと、指をその体内へと挿れていく。
「ひィ…ああ…イヤ…」
初めての感覚に身を仰け反らせて身を震わせる。快感よりも恐怖が勝る。それでも愛する人と結ばれたい一心で、レオンハルトは枕を強く握り締め奥歯を噛み締めた。
「くゥ…ン…ンン…ああ…」
悲鳴を抑えるのがやっとだった。指を抜いて限界まで猛ったモノをあてがう。レオンハルトは固く目を閉じて、より一層、枕を握り締めた。
「うッくぅ…ひッ…ああッ!」
身体が引き裂かれそうな痛みに、レオンハルトは悲鳴を上げた。好きな相手でなければ、こんな行為は耐えられなかっただろうと思う。
ドラーツィオ大司教は彼にも、自分のものになれと言っていた。レオンハルトの幻視と癒しの力をそうやって、大司教は手に入れようと企んだのだ。もしあの男にこんな苦痛を味合わされたなら…生きてはいられなかっただろう。
「レオンハルト…」
「エーリヒさま…好きです…」
溢れる涙が止まらない。レオンハルトはずっと家族といても寂しさが消える事はなかった。心の中心がいつも空っぽで、何をしても満たされたかった。その場所に温かな光が満ちて行く。
「ああ…嬉しい…」
自然に漏れた言葉に、優しく抱き締められた。
エーリヒも深く強い歓喜に満たされていた。心のどこかで言葉が溢れて来る。
『今度こそ守る。誰にも奪わせはしない』と。
室内に満ちた薔薇の香りに酔ったように、二人は空が白み始めるまでずっと抱き合っていた。
大天使ミカエルが許した愛。館の者たちは皆、目撃した奇跡に驚いていた。だが奇跡はこれだけでは終わらなかった。
毎朝、エーリヒとレオンハルトが朝食を摂る内に、ベッドのシーツを取り替える者が、部屋のそここに落ちている純白の羽根を発見する。それは手で触れるといつも、七色の光を放って空気中に溶けるよに消える。ただその後には薔薇の芳香が残っていた。
エーリヒとレオンハルトがいる部屋は、どんな蝋燭 や松明を灯すより明るくなり、常に薔薇の香りが満ちるようになった。
「不思議だな」
「何がですか、ライムントさま」
「エーリヒは風、ライムントは大地。俺は炎でロルフ、お前は水だ。まるで聖なる十字のようだ」
ライムントの言う《聖なる十字》とは、キリスト教の十字架を指すのではない。《ケルト十字》で代表される、古い神話に基づく聖なるものを表す印である。
キリスト教は元々ヨーロッパに存在した神話やそこから派生した、宗教を上手く利用しながら呑み込んで変貌した。
聖母子像は元々、地母神デメテルが我が子ペルセポネを抱いている姿の像だった。
キリストが処刑された十字架が、同じ形をしたケルト十字に置き換えられた。
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