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第20話
そう言えば、とジークムントが手を打った。
「王弟殿下がいらっしゃいます」
フェリックスの形の良い眉が跳ね上がった。
「何をしにいらっしゃるのだ」
声に好意が一切感じられない。
ジークムントは苦笑した。
「竜の卵があることを何処からか聞いたようで、孵化に立ち合うと仰せられて」
「あの方は、まだ、諦めておられぬのか」
「何としても、竜と絆を交わしたく、孵化したばかりであれば、刷り込みで何とかなるとお思いのようです」
ジークムントは肩を竦めた。
「今年、三十路に入られたと言うのに、子供のように……」
フェリックスは王弟の派手な顔立ちを思い出した。現国王には正妃との間に王子と王女がおり、王弟の継承権はその下となった。数年前に婚姻話が持ち上がったが、相手から断られると言う事があった。
婚姻話は、内々の事であったため、極、限られた人間しか知らないが……。
「なんでも、竜騎士になったら、相手が惚れ直すに違いない、と仰られているそうです」
「惚れ直す以前に、惚れられておらぬだろうに……」
「はい。我が団長が婿殿に求める条件は、賢く、分をわきまえ、殴っても踏んでも蹴って良い、頑健な男性だそうです」
ブリッツ重装竜騎兵団の団長は、代々、辺境伯爵が務めるのが慣わしだ。北方の小競り合いが絶えない領地を治め、国内の騎士団の中でも荒くれ者やら曲者の多いブリッツ騎士団の頂点にいるのが、うら若き女辺境伯爵だ。
蜂蜜色の豊かな髪に空色の瞳の彼女は、およそ、剣を振るうよりも花束を抱える方が似合うと誰もが認める美女である。見合い用に誇張された絵姿よりも美しいと評判でもあった。
その、薔薇も彼女の前では恥じて花びらを閉じるだろう辺境伯爵は、団員の猛者が名前を聞いただけで震え上がるほど苛烈な性格をしていた。
「で、その団長が、竜を北の砦まで所望なんです」
数ヶ月前から隣国からのあからさまな侵攻に、刺激を避けるために竜を伴ってなかったのだが、事態が悪い方へ傾きつつあった。不測の事態に備え、ジークムントが団長以下の竜を北の砦に連れて戻ることになった。
フェリックスは顎に手を当てて、思案する顔になった。
騎士団の竜を二十数頭引き連れて飛ぶことは不可能ではない。先頭となる竜がいれば、他の竜は自然とついて行くからだ。
問題は、その先頭となる、団長の竜が、今現在卵を抱いているグリューンなのだ。
件の王弟が竜舎を訪れたのは、ジークムントが来た翌日だった。
「マルティン・ロート・バウムガルティンである」
居丈高に名乗ったのは、明るい金髪の巻き毛を肩まで伸ばし、上下を深紅に金糸で装飾を施した衣装を纏った長身の男性だった。王宮で数々の婦人と浮き名を流していると噂されるだけあって、派手ではあるが整った容姿をしていた。
卵を抱いいて動けないグリューンの躰を拭いていたブラッドは、その格好のまま固まった。
通常、部外者が竜舎に入ることは滅多にない。しかも、卵を抱いていて神経質になっている竜に会わせるなど、あり得ない。
柵の前で、同じく固まっていたレオンが、はっと正気に戻った。
「何だ、あんたは、勝手に入って来て」
「無礼者! 我は王弟なるぞっ」
マルティンの声に、グリューンの鱗が波打った。ブラッドは慌ててグリューンの首を撫でた。竜の鱗が逆立つと、竜笛でも押さえれないほど荒ぶってしまう。
「卵を抱いている前で、大声はやめてくれ」
卵に向いていた意識が逸れると、最悪、魔力の供給が途切れ、二度と孵化しなくなる事がある。
「無礼な口答えを止めよっ。我は王弟であると申したであろうがっ」
マルティンの薄茶色の瞳には、苛立ちと傲慢さがあった。王宮では、国王と高官以外から『否や』と言われた事がなかったからだ。
「そこな小僧。下賎な身で竜に触るでないっ。疾く去ねよっ」
「で、でも、ぼくは…グリューンが……」
「ええい。下賎の者が、我に直答するでないっ」
グリューンの首がすっと伸び、卵に向いていた顔が逸れた。
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