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第26話
ブラッドは、ただでさえ大きな瞳を更に大きくして目の前の女性騎士を見た。
外套と同色の胸当てと籠手と脛当には野薔薇と蔓が装飾されており、丁寧に磨かれて光っていた。癖のある黒髪は乱れて砂埃を被っていたが、彼女の美貌を少しも損なっていなかった。
ふいに、女性騎士がブラッドの頬に両手を掌を上にして当てた。
「?」
「瞳が零れ落ちてしまうかと思うて」
ブラッドは数度瞬き、小さく吹き出した。真面目に言っているのが分かって可笑しい。
そのブラッドをレオンが両腕で自分の方へ引き寄せて抱え込んだ。
「何者かは知らないが、勝手にブラッドを口説かないで貰いたい」
(く、口説くって………)
「ブラッドと言うのか。私はローザリンデ・エーデルシュタイン。辺境伯なんてものをやっているが、どうだろう、私の従者になってくれないかな」
「辺境伯っ!?」
「片田舎の領地で山と森と湖しかないが景勝の美しい所だ。食べ物も水も美味しい。そうだ、私の城の料理番はお菓子作りが得意だよ。好きな物を作らせよう。酸味のある林檎を甘く煮て、それを包み焼きにした焼き菓子や、山羊の乳から作ったチーズをたっぷり使ったケーキなどもお薦めだ。栗の餡を山羊の乳と練って細く山の形にして飾ったケーキもある」
ローザリンデは次々と魅力的な菓子やら料理を並べ立てた。塩漬けにした山鳥に蜂蜜を塗って焼いたものや鹿肉の羹、川魚に軽く塩をふって炙ったものなど、成長期の少年には抗い難い誘惑の数々だ。
レオンは生まれて初めて今までにない危機を感じていた。
何か、ブラッドの気を引く事を言わねば…と、焦って出た言葉が、
「ブラッド、神官に知らない人について行ってはいけません、と教えられなかったか?」
「あ」
「食べ物でつったり、こんな珍しいものがあるよと言って連れて行こうとする悪い人間がいるから気をつけなさいと」
レオンの腕の中でブラッドはこくこくと頷いた。
「失敬な。私の身許はしっかりしている。そなたこそ、子供に偏見を吹き込んでおるではないか」
「そっちこそ、いきなり初対面でブラッドを連れて行こうなんて怪し過ぎる」
「何を言うか。その子の瞳を見れば賢いことなど一目瞭然。私の許で修練させ、ひとかどの人物に育て上げてあげる」
レオンは、自分も出会って間もないのに、一緒に旅に出ようと口説いていたことなど星の彼方だ。
「そんな巧い事を言って、見目麗しい美少年を囲うのが都の貴族の間で流行っているのは知っているぞ」
「私にそんな趣味はない」
「辺境伯の従者ともなれば、平民ではなく、最低限貴族の身分の者でなければない筈だ」
「辺境では身分の上下など、なんの足しにもならんぞ。身分で矢は逸れてはくれぬ」
「矢が飛んで来るような所にブラッドを連れて行こうって言うのか」
「私の側におれば、私が矢だけでなく槍からも剣からも守ってみせる」
「そんな言葉の約束なんか信用出来るか。俺がブラッドを守る。後から来て掻っ拐う真似はやめて貰おう」
ブラッドが口を挟む隙もなくレオンの腕の中で固まっていると、グリューンがキュイッと短く声を上げた。
言い争っていた二人がはっとして身構えた。
ローザリンデは剣の柄に手を当て、レオンはブラッドを己の背に庇う。
いつの間にか入り口に人の気配があった。
「後から来て云々は、私の台詞なんだけどね」
フェリックス・オイレンブルク侯爵が額に手を当てて立っていた。
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