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第40話
「もう三日目だ。このまま目覚めないのではないのか?」
ローザリンデ・エーデルシュタイン辺境伯は苛立たしげに医師を問い質した。
寝台で静かに眠り続けるブラッドの脈を計っていた医師がローザリンデに向き直った。
「疲れて寝ておるだけじゃよ、お嬢」
ローザリンデが生れた時からの主治医 は素っ気なく言った。
「寝飽きれば自然と目覚めるじゃろて、心配はいらんよ。時々、水差しで水分を与えるのを忘れなければええだけじゃ」
「しかし……」
「お前さん、ここで小僧に構っている暇は無かろう。ほれ、小僧の世話役は任せて、お嬢はやるべき事が山積みじゃろうて。そこの色男、お嬢をさっさと連れて行かんか」
色男呼ばわりされた青年……ブリッツ重装竜騎士団副団長のラファエル・クラナッハは医師のアナキンに軽く頭を下げた。肩までの蜂蜜色の髪を項で束ね、水色の瞳が印象的な整った容貌の青年だった。騎士と言うより役者のようだ。
ラファエルに促され、ローザリンデはブラッドの髪をひと撫でしてから部屋を出た。馬上で気を失ってから一度も目を開ける事なく、ブラッドは三日間眠り続けている。
呼吸は弱かったが安定していた。だから、直ぐに目覚めると思っていたのだが…。
アナキンは動物の冬眠のようなもので、水分とスープで栄養を補っていれば大丈夫だと言ったが心配だった。同じ年頃の少年よりブラッドは遥かに軽く細かった。
「男の子と言うものは、踏んでも蹴っても放り投げても大丈夫だと思っていたのだが……」
「…騎士見習いにだけ、思う存分、踏んだり蹴ったり放り投げたりして下さい」
ローザリンデの腕の中で、青白い顔で意識を無くしたブラッドを見た時は、正直、ラファエルは死んでいると思った。
辺境で育つ子供は、男女問わず丈夫である。
否、丈夫でなければ生き残れないのが実情だ。辺境で生まれ育ったローザリンデとラファエルは、ひ弱な子供を見た事が無かった。二人は大慌てで医師を呼んだ。
ブラッドは、弱った動物が眠って体力を回復しているのと同じだとアナキンは診断した。腹が減れば自然と目が覚めるだろうと……。
まさか、三日も眠り続けると思わなかったが。
「竜の状態からも、ブラッドの眠りは安定していると思っても良いのではないですか?」
ラファエルにはブラッドと竜の関係を話してあった。『竜の愛し子』かもしれない事はさすがに明かしてしないが、薄々感づいているようだか余計な事は口にしない。
「先遣隊への兵站の準備はどうなっている」
「明日までには」
「今晩までに仕上げろ。早朝、立たせるように」
「了解しました。鳩が着いて、団長の竜が一両日中に向こうを立つと報せがありました」
「早いな」
雛が安定し、グリューンの体力…魔力が回復するまで、まだ、暫く時を要すると思っていた。
ふと、レオンの顔が浮かんだ。
彼が、何らかの裏技でも使ったのだろう。
「グリューンが到着次第、私も駐屯地に翔ぶ」
「良いのですか?」
ラファエルは、ローザリンデが今までになく執着を見せたブラッドの事が気にかかっていた。
辺境伯を継ぎ、ブリッツ竜騎士団の団長に就任してからも、ローザリンデが特定の人物に執着するのを見た事が無かった。
ラファエルはエーデルシュタイン家に使える小身貴族の三男坊で、ローザリンデより五つ年上だ。護衛を兼ねた遊び相手として、彼女が言葉を覚えた頃からの付き合いだ。
「…枕元に雉肉のパイ包みでも持って行けば目が覚めるのではないかな?」
「……そうですね。育ち盛りの子供には何よりのご馳走ですからね」
あの細い子供に有効かは定かではないが…。
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