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第44話
宿舎で昼食を終えたブラッドは、見習い騎士の一人と一緒に、背中に大きな篭を背負って麓の街に向かって歩いていた。
明るい茶色の髪と瞳の、十四歳になったばかりのカール・ボルマンは隣を歩くブラッドに内心で舌打ちした。見習いの自分は、まだ、竜に餌を与える事すら赦されてないのに、来たばかりのブラッドは、事もあろうか爪の手入れをしたのだ。
副団長直々に面倒を見るよう言いつかったのだが、内心、面白くなかった。竜騎士見習いでもないのに、自分を差し置いて竜に簡単に近づくとは。
本来、見習い騎士は竜についての勉強を竜騎士に従いながら実地で覚えていく。しかも、一年は単独で竜に近づいてはならない決まりなのだ。
半年前に竜騎士見習いとして騎士団に入団したカールは、まだ、竜に対して、ちょっとだけ怖さがあった。
小さい頃からの憧れの竜騎士になるために騎士団に入ったのだが、近くで見た竜は厳つい顔で、開いた口から覗く牙は鋭く、気分屋で扱いにくい印象だった。
それなのに、ブラッドはまるで猫でも相手にするように初見の竜に触り、簡単に手懐けてしまった。面白い筈がない。
カールの視線を感じたのか、ブラッドが彼に笑いかけた。うっとうしい前髪で眼は隠れているが、整った顔立ちなのは分かった。ちょっとだけ上向いた愛嬌のある鼻筋、ふっくらした唇は野苺色だ。
頬が熱くなるのを自覚し、カールはブラッドから顔を背けた。
横でブラッドが息を飲んだのを感じたが、カールは歩みを早めた。
「もっと早く歩けよ。夕方までに帰らないといけないんだからな」
「う、うん」
遅れたブラッドが小走りにカールに追いついて来た。
麓の街の薬師から騎士団に納める薬類を受け取り、宿舎まで戻る。それが、二人が副団長から言いつけられた仕事だ。
見習いは馬は使えない。ブラッドは馬に乗れない。二人は大急ぎで往復しなくてはならないのだ。
街は国境に近いためか、旅装姿の者が多かった。荷物を積んだ荷馬車や大きな革袋を背負った馬や驢馬が行き交い、小規模ながらも市がたっていた。
「ほら。ぼーっとしてんなよ」
カールに促され、ブラッドは慌てて彼の背中を追った。
中央広場には噴水があり、竜の口から水が溢れてて水を組む人々が列を作っていた。主婦らしい女性らが談話しながらや、子供らが桶を持って順番を待っていた。生活用水としても使用しているようだ。
その前を通り過ぎ、カールは石畳の敷かれた大通りから細い路地に入った。無言でどんどん進み、突き当たりの建物の横にある階段を下りた。
下り口にある木戸を開けると、薬草の独特の匂いが二人を迎えた。
乾燥させた薬草が壁一面に吊り下げられ、棚には大小様々な瓶が並んでいる。青紫の小さな花がたくさんついた生花が桶いっぱい生けられていた。気分が安らぐような薫りが花から溢れていた。
「ベアケルさーん、薬、取りに来ましたぁ」
奥に向かって、カールが声をかけた。
「はーい」
奥から返事があり、階段を数段下りた所にあった扉が開いて人が出てきた。白に近い金髪を背中まで伸ばした、くすんだ緑色の外套を纏った長身の男性だった。
その外套を脱ぎながら、男性はカールの顔を見て頷いた。
「やぁ、カール。注文の品は揃えてあるよ」
「こんにちは、ユリウスさん。ベアケルさんはどうしたんですか?」
「祖父さん、今朝から持病のぎっくり腰が悪化して寝込んでるよ。おや、新顔さんがいるね」
「は、初めて。あの、ブラッドです。よろしくお願いしますっ」
ブラッドは慌てて頭を下げた。
深い森を思わせる瞳が、じっとブラッドを見ていた。ブラッドは、何となく居心地悪いような、落ち着かない気持ちになったが、顔に出さないように腹に力を入れた。
ふっと、ユリウスは眼を和らげた。
「カール、裏庭に纏めてある荷物を持って来てくれるかい? ブラッドは私について来て。薬草の束が持ち切れなくてね」
二人は返事をし、カールは一旦店の外に出て裏庭に回り、ブラッドはユリウスについて階段下の奥の部屋に入った。
半地下になった部屋は、明かり取りの小窓が左右にいくつか並んでおり、思ったより明るかった。部屋には店以上の薬草が所狭しと吊り下げられ、床にも束がいくつも積み上げられていた。
「乾燥中のもあるから、それには触らないでね。そう、そっちの束を持ってくれるかな?」
「はい」
「目録と合わせるから、ちょっと待っててね」
「はい」
ずいぶん、子供相手に丁寧に話す人だな、とブラッドは思いながら薬草の束を持って階段を上がった。床に置く訳にいかず、薬草を持ったままブラッドはユリウスを待った。
「あった、あった…。もう、祖父さんって、どこにでも置いちゃうから、やっと見つけたよ」
片腕に薬草の束を抱え、片手に目録を持ってユリウスが奥から出て来た。
「束の数を確認するね」
「はい」
自分とブラッドが抱えたままの薬草の束の数と種類を確認し、目録に記しをつけていく。
「ねぇ、ブラッド」
「はい」
「ブラッドって、竜人族だよね?」
「えっ?!」
一歩下がったブラッドに、ユリウスは一歩踏み出した。
「カールは知らないみたいだけど、皆には内緒にしてるのかな?」
ユリウスが一歩踏み出すと、ブラッドは一歩退く。
「何を言って……違います、よ?」
「そんな特徴的な瞳をしてて、間違う筈ないじゃないか。領主様より竜人族の特徴が顕著に出てるのに?」
「あの、ぼく…本当に何を言ってるのか……」
分かりません、と言おうとしたブラッドの前髪をユリウスがかき上げた。パッと離れ、ブラッドは薬草の束を盾にした。
「古い文献に記してあった通りの瞳をしてるんだね。私は、ずっと薬の研究と平行して竜人族について調べていたんけど、実物に会えるなんて僥倖、神様に大感謝しなきゃね。それにしても、その瞳、本当に綺麗だねぇ。凄く興味深いよ……」
ユリウスが更に一歩踏み出す。下がったブラッドの背中が壁に当たった。何だろう、物凄く危険な状態なのではなかろうか。蛇に追い詰められた鼠の気分だ。
「ねぇ、ブラッド」
「は、はい。何でしょうか?」
「ブラッドの血をくれないかな?」
「え、え? 血っ?!」
「全部じゃなくていいんだ。少しでいいから血をくれないか?」
ブラッドは大声を上げて助けを呼ぶべきか、持っている薬草を叩きつけて逃げ出すべきか迷った。
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