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第45話

店の隅で、ブラッドは絶体絶命だった。 「少しで良いんだよ。ゴブレット一杯とか」 ブラッドは激しく頭を横に振った。 「じゃあ、半分」 頭を横に振る。躰が強張ってきた。 「じゃあ…三分の一」 頭を弱々しく横に振る。 「ほんのちょっと、指先をちょっと切って嘗めさせて」 ブラッドは涙目になって頭を振った。 「切るのは嫌? 針で刺すくらいなら、いいかな?」 絶望的になって、ブラッドはしゃがみ込んでしまった。足が震えて力が抜けた。 「ね、良いよね? ほんの、ちょっとだけだから…」 「お前は、いい加減にしないか!」 ユリウスの脳天に拳が落とされた。 「痛いっ」 脳天を押さえて振り返ると、ブリッツ竜騎士団副団長のラファエルが柳眉を逆立てていた。 「副団長様…」 ラファエルはユリウスを押し退け、ブラッドを抱えて立ち上がらせ、小刻みに震えている小さな肩を撫でて慰めた。 「済まなかった。こやつが店に出ているとは思わなかったから、用事を頼んでしまって」 「い、いえ、助かりました……」 安堵したら、また、足から力が抜けたが、ラファエルがしっかりブラッドを支えてくれていたおかけで座り込まずに済んだ。 「狂科学者なのだ、こやつは……」 「失礼な。探究者と言ってくれ」 ラファエルはさりげなくブラッドを自分の背中でユリウスの視線から遮った。 「純血に近い竜人族なんて、そうそうお目にかかる事なんて一生に一度あるかないかだ。そして、私の知りたかった答えがここにある奇跡っ。文献では、竜人族の血は不老長寿とも万能薬とも記されているが、それは真実なのか。ある文献では、竜人族の血は人間にとって劇薬ともある。取り敢えず、一滴でいいんだ。嘗めさせてくれっ」 「ユリウス……」 ラファエルは眉間を押さえて溜め息を吐いた。 「お前がブラッドを『竜人族だと勘違いするのは』勝手だが、お伽噺を本当の事のように吹聴して歩いては、祖父殿の店の信用を落とすぞ」 「……」 「それから、ブラッドを毛一筋の傷一つ負わせてはならん、と我が団長より命令が下されておる」 「じゃあ、針先だったら……」 ラファエルはユリウスの言葉を全部待たず、無言で剣を抜いた。その切っ先をユリウスの喉元に突きつける。 「おいおい、大袈裟だな。ほんの、一滴……」 「ユリウス、お前とは子供の頃からのつき合いだったが、残念だ」 「ラファエルっ。洒落にならないよっ」 「ふ、副団長様っ」 ブラッドがラファエルの背中に抱きついた。 「ぼく、大丈夫だったので、剣を収めて下さいっ」 躰に回されたブラッドの腕が震えていた。ラファエルは嘆息を吐いて、剣を鞘に収めた。 「ブラッドに免じて、此度の事は不問に付す」 胸を撫で下ろす仕草をして、ユリウスはブラッドに笑いかけた。 「ちょっと調子に乗ってしまった。ごめんね。竜人族に会えて舞い上がってしまったんだ」 「ユリウス、竜人族ではない」 「はいはいはい。分かりました。私が全面的に悪かったです。勘違いです」 「それから、ブラッドに傷を負わせたら、ブラッドの守護者が大荒れとなるぞ、と団長が仰っていた」 「守護者? ローザリンデ様でなく?」 「ブラッドの想い人だそうだ。団長の一撃を受け止めたと言う話だから、相当強いだろう。それから、団長も激怒される。ブラッドは団長のお気に入りだからな」 ぼくの想い人……? 数舜置いて、ブラッドの顔から火が出た。 「その守護者と団長に一刀両断されたくなくば、よけいな事はするな、喋るな、近付くな、息を吸うな」 随分な言い種に文句を言おうとユリウスが口を開けた時、店の戸が開いてカールが入って来た。ラファエルを見て、眼を輝かせた。 「副団長、どうしたんですか?」 見えないしっぽを振りながらカールはラファエルへ小走りに寄った。ラファエルの横で顔を赤くしたブラッドに怪訝な表情をしながらも、憧れの竜騎士の方を優先した。 「薬の追加が出たので追って来たのだ。追加分と重い瓶類は私が持って行こう。二人は先に戻っていなさい」 「えっ? 良いんですか?」 「馬で来ているからね。それに、私はもう少し、この男に話がある」 そっと、奥に引っ込もうとしていたユリウスの後ろ襟を掴み、冷たい笑みを向けた。 「分かりました。薬草を持って戻ります。行くぞ、ブラッド」 「は、はいっ」 薬草を詰め込んだ篭を背負い、二人は竜騎士団の宿舎に向けて出発した。 その背を見送ったラファエルは、愛馬に薬瓶を梱包した荷物をユリウスに掛けさせた。 「何だって私が……」 作業を終え、店内に戻ったユリウスにラファエルが追加分を記入した目録を差し出した。 「追加分だ」 「腐った物でも食べたのか?」 「水だ」 「竜騎士の腹って、そんなに繊細だったか?」 ラファエルは眉間に皺を寄せて答えた。 「砦の井戸に毒を入れられた」 ラファエルは周囲に人がいないのを確認して店内に入った。 「何をやってんだ、騎士団は。ローザリンデ様は無事なのか?!」 「団長は無事だ。毒は団長が砦に着く前に井戸に入れられたらしいが、団長は飲んでいない。毒と言ったが、飲んだ者は高熱をだして、嘔吐と下痢を繰り返している」 「黒死病じゃないよな?」 「看病してる者に伝染はしていない。とにかく、症状を和らげたい。砦が機能しないと国境警備に支障を来す」 ユリウスは店にある解熱剤を片っ端から取り出してラファエルに渡した。 「砦には私も行こう。無闇に嘔吐と下痢を止めると悪化する場合がある。向こうで症状を診て処方する」 「頼む」 ユリウスは、薬を選別して取り出している手をふと止めてラファエルに振り返った。 「あの坊やの血を飲ませてみれば?」 今度の拳骨は二連打だった。

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