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第46話

既に陽が傾きかけていた山道を二人は足早に登っていた。標高の高い辺境は暑い時期でも陽が傾くと、とたんに空気が冷えてくる。 風がひんやりしてきた中、ブラッドとカールは額に玉のような汗をかいていた。 カールは無言で前を行き、ブラッドもその後を続いた。 剣を抜いたラファエルにしがみついた時、ブラッドは彼の躰の強張りに気がついた。ユリウスを本気で斬り伏せる為の殺気は感じられず、反対に何かを必死に抑えているように見えた。 ブラッドの中に得体の知れない不安が、腹の中から胸にかけて、もぞもぞと蠢いて気持ちが悪かった、 それは、カールも察していたようだ。明るい笑顔でラファエルと接していたが、背を向けたとたん、カールの表情は強張っていた。 無言で足早に進むカールに追いつこうと早めた足が、ふと、止まった。 「どうしたんだ? 早く行くよ」 カールの問に答えず、ブラッドは周囲を見回した。 「ブラッド?」 苛立ったカールを制し、ブラッドは自分の左側の林をじっと見た。何か、視界の端に入ったような気がした。 それに……。 「何か、臭いがする……」 「臭い?」 「うん…。微かだけど、こう……鉄錆びみたいな……」 カールが目を見開いた。 「鉄錆びって、血……?! ここら辺一帯は禁漁区だぞ。密猟者か?!」 ブラッドは篭を下ろし、思い切って林の中へ分け入った。季節がら、雑草や藪が生い茂っていたが、高地特有の背の低い種類で小柄なブラッドにはありがたかった。 辺りを見渡す。 巨木が立ち並び、林の中は鬱蒼としていた。湿った土と苔の臭いに、踏まれたばかりの草の臭いが混じっていた。 「誰か……何か歩いたみたい……」 「何かって、熊とかだったらどうするんだよ」 カールも篭を下ろし、律儀にブラッドを追って林に入って来た。 「獣の臭いはしない……」 ブラッドは迷いなく血のような臭いに向かって進んだ。 「お前、犬みたいな鼻してんのな……」 呆れながらカールはブラッドの後を進んだ。 どこまで奥に入るのか不安になったが、程なくしてブラッドの足が止まった。ゆっくりと周囲を見渡す。 止まった視線の先に、木に凭れて座り込んでいる影があった。 ブラッドとカールは同時に駆け寄った。獣にでも襲われたのか、血臭が立ち込めていた。 「アルベルト様っ」 カールが座り込んでいた黒髪の人物の顔を覗き込んで叫んだ。 「しっかりして下さい、アルベルト様っ」 アルベルトと呼ばれた青年は荒い息で顔を上げ、カールに気がつくと驚いたように眼を見開いた。 「狼ですか? 熊ですか? 早く、医師の所へ行かないと……」 「カールか……」 出血のせいか、意識が遠退きそうになるのをアルベルトは必死で保っているように見えた。 「俺のことは……いいから……早く……」 アルベルトの座り込んでいる場所には血溜まりが出来ていた。ブラッドは自分の服の裾を裂いて、アルベルトの血が吹き出ている右太腿の付け根を縛った。血の中に、細い棒が刺さっていた。 「これ、矢ですか…? 一体、誰に…」 カールが真っ青になって抜こうとした。その手をブラッドが慌てて止める。 「何で……っ」 「抜いたら、もっと出血する」 「……っ」 ブラッドはアルベルトの傷を確かめようと躰を見た。木の樹についた血から背中の傷を疑った。そっとアルベルトの肩を引き寄せると、背中が斜めに斬られていた。 「カール、俺は、もう、動けん…」 「アルベルト様……」 荒い息でアルベルトは懐から小さく折り畳んだ紙を取り出した。 「これを…、副団長に、届けてくれ…」 血で汚れた紙をカールはしっかり握った。 「それから、早く、ここを…離れ、ろ。追っ手が、うろついている……」 「追っ手?」 「北方兵士だ……。奴ら、砦に、病原体を…。今度は、街……毒……」 林の奥から藪を掻き分ける音がしてきた。 「カール、アルベルト様はぼくが見ているから、その紙を副団長様に届けて。ぼくより、カールの方が足が速い」 「でも…っ」 「ここは藪が深いから、そんなに簡単には見つからない。だから、早く行って」 二呼吸程悩み、カールは立ち上がった。 「直ぐに副団長と戻る」 なるべく音を立てないよう気をつけながら道に出ると、一回だけ林を振り返り、後は猛然と走り出した。 カールを見送ったブラッドは、アルベルトの呼吸を確認すると周囲の藪を不自然にならない程度に引き寄せて彼を隠した。身を屈めながら進み、血のついた葉を拾い、残りは落ち葉を敷き詰めた。 奥から微かに声が聞こえてくる。 (騙されてくれるといいけど……) アルベルトがいる方向とは反対側の藪や枝を折り、血のついた葉をあちこちに置いた。そして、わざと音を立てて道へと進んだ。 とたんに怒号が聞こえてきて、数人が藪を掻き分けて来る音が近づいた。 ブラッドは篭を抱えて道端の大きな石に腰を下ろした。右足のズボンの裾を捲り、篭から取り出した薬草を水筒の水に浸し、足首につける。 それと同時に、抜身の剣を持った五人の大柄な男たちが林から飛び出て来た。 ブラッドはびっくりした様相で男たちを見上げた。 「坊主、ここで何をしている」 怯えたようにブラッドは身を縮めた。 「あ、足を挫いたので、手当てをしてます…」 「ふん……? 篭が二つあるな。もう一人はどこだ?」 「麓の街へ驢馬を借りに行きました」 男たちは胸当てと籠手のみの簡素な装備で、殺気を隠そうとしていなかった。 「怪我をした男を見なかったか?」 「いいえ……、誰とも擦れ違っていません…」 声が震えてしまうが、それは、自分らを怖がっての事と男たちは取ったようだ。 「そうか。誰とも会ってないか……。なら、何でお前から血の臭いがする」 「あ、足を挫いた時、転んで怪我を……」 一人が剣先をブラッドに向けた。 「面倒臭い、斬ってしまおう」

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