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第49話
「ブラッド、しっかり掴まってろよ」
縛られた五人の意識が無い様子を一瞥し、レオンは街に向けて駆け出した…、否、跳躍した。その一歩は、大人の歩幅で有に十歩はあろうか。
風を頬に受け、景色が勢い良く流れていく。
人を二人抱えているというのに、レオンの表情は涼やかだ。気軽な散歩でもしているような軽やかさだ。
これだけの跳躍を繰り返しているが、踏み出す時と着地時に僅かな衝撃も無い事にブラッドは気がついた。アルベルトの傷に響かないよう気を使ってるのだろうか。
ブラッドはレオンの気遣いに感動していた。
(やっぱり、レオンは優しい…)
山道を下りながら、レオンはブラッドと正反対の事を考えていた。
レオンは『アルベルトの傷』を慮って駆けているのではなく、ブラッドが誤って舌を噛まないように着地の衝撃を消しているだけなのだ。
ブラッドのキラキラした眼差しを受けて、レオンは更に、丁寧に、速く駆けた。
さほど時間をかけず、街が見下ろせる坂に到達すると、レオンは歩みを弛めた。二人抱えたまま人を超えた速さで駆ける姿を見られる訳にはいかない。不審人物どころか、最悪、魔物扱いされかねない。
街の入り口付近は物々しい雰囲気だった。武器を持った体格の良い男たちが十数人いた。
一人がレオンに気き、槍を向けて誰何した。
「止まれっ!!」
「どこから来たっ!?」
レオンがブラッドをそっと下ろした。
「ブラッド、俺の後ろに…」
「大丈夫。カールが…、一緒に街に来た騎士見習いのカールがいるから」
「ブラッド! 無事だったのか?!」
ブラッドの言葉が終わらない内にカールが叫んで駆け寄って来た。
「良かったーっ」
半泣きでブラッドに抱きついた。
「こ、殺されたかと思って…」
「ありがとう。レオンに助けて貰ったんだ」
「レオン?」
そこで、初めてカールはブラッドの横に人がいる事に気がついた。艶やかな黒髪を首の後ろで結んだ、深い蒼穹の瞳の青年がカールを見下ろしていた。
秀麗な風貌に頬が熱くなったが、青年がアルベルトを担いでいるのを見て口を大きく開けた。
「アルベルト様っ」
「アルベルトだと!?」
槍を向けていた青年が近づき、先端をレオンの顔に突きつけた。
「貴様っ、アルベルトに何をしたっ!?」
癖のある黒髪黒瞳の長身の青年だった。
「見た事のない顔だな。北方軍の奴か? アルベルトを人質にして、要求は何だっ?!」
「……俺の事より、こいつの手当ての方が先だと思うが……」
「何だと!?」
「ハインツさん、アルベルト様は大怪我を負っているです。酷い出血で、早く医師に診せないと…っ」
カールがハインツと呼んだ青年に向き直った。
「怪我?」
油断なく眼を担がれたアルベルトに向ける。
アルベルトの背中は多量の出血で深紅に染まっていた。
「貴様がやったのかっ!?」
短い嘆息を吐いて、レオンが何か言おうとした時、ブラッドが槍の前に出た。
「違いますっ! レオンは兵士に襲われて怪我をしたアルベルト様をここまで運んでくれたんです。応急処置はしたけど、いっぱい血が流れて危険なんです。早くお医者に診せないと、死んじゃいますっ!!」
声を張り上げるブラッドを初めて見たレオンは、不思議な感動を覚えていた。
気丈なところはあるが、年齢の割りに幼く儚い印象だった為、自分が全てから護らねば、と思い込んでいた。その比護対象の少年に庇われている。
口元が弛み、鼻の下が伸びそうになるのをレオンは顔の筋肉を総動員して堪えた。
「ハインツ、その子の言う通りだ。早く医師の所へアルベルトを連れて行こう」
仲間らしい男がハインツの肩に手を置いて言った。
「槍を下ろせ。俺たちは誇りある辺境自警団だろう? 子供に刃を向けて威嚇したなんて辺境伯に知られてみろ。全員の首が胴とお別れだ」
ハインツはブラッドを見てハッとし、槍を下ろした。
「坊や、済まなかった。そっちの人も。診療所まで案内する。ついて来てくれ」
深く頭を下げて、ハインツは二人について来るよう促した。表情は強張ったままだが、殺気は消えていた。
ほっと息を吐いて、ブラッドはレオンを見上げた。レオンは気分を害した様子もなく、首を傾げて歩き出した。
「誤解が解けて良かったね」
「微妙なところだがな」
態度が軟化しただけで、自分に対する警戒が解けていないのは彼らの険しい眼で分かった。
素直に喜んでいたブラッドは気がついていないようで満面の笑みだ。あれだけ人の悪意に曝され、死に至る寸前の暴力を受けながらも人を信じ、受け入れる。
(強いな、ブラッドは)
そよ風からすら護ってやらねば、と思い込んでいた自分を恥じた。出会うまでブラッドは、ちゃんと一人で生きてきたではないか…。
それでも、これからブラッドを護っていくのは自分だと、レオンは強く思った。
空いている左手で、あちこち跳ねているブラッドの頭を撫でた。
「どうしたの?」
「いや…、お前が無事で良かった」
「レオンが助けてくれたからだよ」
「間に合って良かった。なぁ、ブラッド。兵士を倒した俺は格好良かったか?」
ブラッドは顔を真っ赤にして激しく頷いた。
「じゃあ、後でご褒美を貰おうかな」
「えっ、ご褒美? ぼくにレオンにあげられる物なんて……、あ、やっぱり、疲れたよね? ぼくまで運んでくれたんだものね。肩とか腕とか揉んであげる。ぼく、上手だよ。よく、おじいちゃん神官様の肩とか腰を揉んで、誉められたんだ」
「それも魅力的だが、今回は、別のものを貰おうかな」
レオンは指をブラッドの唇に当てて、それを自分の唇に持っていった。
二呼吸置いて、レオンの意図を悟ったブラッドの顔は、熟れた果実以上に真っ赤になった。
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