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第50話

診療所は街の中心から少し離れた所にあった。 「ブラッド、無事だったんですね」 「ユリウスさん?!」 独特な薬草の匂いが漂う診療所の建物の中に、ラファエルが言うところの『狂科学者』のユリウスがいた。 「私の本業は医師なんですよ。怪我人ですか? こっちの処置用の診察台に寝かせて下さい」 レオンはユリウスが示した診察台にアルベルトを横たわせた。 「相当の出血だったようですね。処置するので、手伝って下さい」 自警団の中の数人が手伝いを申し出た。手早くアルベルトの衣服を裂いて傷口を曝す。 カールは声を上げかけ、自分で口を塞いだ。 ブラッドは息を飲んでレオンにしがみついた。出血は止まっており、顔には赤みが差し、脈もしっかりしているが、背中の生々しい傷痕に全身が総毛立った。 「カールとブラッドは外の井戸から水を汲んできて下さい。ハインツ、竈に熾火が残っています。器具を煮沸するので、火を熾して下さい。…ハインツ?」 ハッとして、ハインツはユリウスの両肩を掴んだ。 「先生、アルベルトを助けてくれっ」 「落ち着きなさい、ハインツ。出血は止まっているようだし、呼吸も安定している。今すぐ、どうにかなる訳ではない。しかし、処置が遅れれば容態が悪化するかもしれない。分かりますか?」 「わ、分かった……」 「では、ハインツは竈を。あなた方は私の言う薬草を棚から出して下さい」 動き出した自警団に、ブラッドとカールは慌てて外の井戸へ向かった。洗って天日干ししていたらしい盥に水を注ぎながら、ブラッドが、ふと、思い出してカールに話しかけた。 「アルベルト様が渡した紙、どうしたの?」 「・・・・・」 「カール…?」 カールの顔から見事なまでに血の気が引いた。 「わ、わ、忘れてたっ! 自警団に渡さないとっ!!」 カールは勢い良く駆け出した。それでも、水の入った盥を抱えて行ったが、半分以上は自らが被った。 ブラッドとカールが診療所の外に出たのを見送ると、レオンは自警団の隊長格らしい男に声をかけた。ハインツを諌めていた男だ。 「さっきは、すまなかった。俺は、クラウス」 「いや、気にしていない。俺はレオンだ。実は彼を襲撃したらしい者たちを捕縛してある。山道の中途に纏めて置いて来た」 クラウスが大きく頷いた。 「俺たちが回収しよう」 何人かがクラウスの合図に気づいた。 「ただ、ブラッドの話では弓兵がいたようだが、そいつは捕まえていない。もうすぐ日が落ちる」 レオンの言わんとした事をクラウスは悟った。 「明かりは控えよう」 技倆の良い弓兵であれば、蝋燭の明かりだけで狙撃出来る。 「アルベルトはハインツの弟なんだ。助けてくれて、感謝する」 いや、とレオンは首を振った。 「応急手当はブラッドが施したんだ。後は、あの坊や…カールが頑張って走ってくれたからだ。感謝は、彼らに」 「そうだな…」 そこへカールが駆け込んできた。 「クラウスさんっ。大変なんですっ」 カールから渡された、折り畳まれた紙をクラウスが拡げた。紙は、あちこちにアルベルトの血がついて固まっていた。 大人の掌ほどの大きさの紙には簡単な地図が描かれており、何ヵ所か印がつけられていた。 「……井戸だ」 「アルベルト様が、毒、とか言ってたと思います」 「まさか……」 眉間に皺を寄せて険しい顔になったクラウスは、表情を元に戻してカールに向き直った。 「ありがとう、カール。この件は俺たちが預かる。それと、騎士団に戻る時は馬で送ろう。今は先生を手伝ってくれないか」 「承知しましたっ」 大きく頷いて、カールは大わらわな現場に戻って行った。 「弓兵が捕まらない内は、一人で帰す訳にいかないからな」 「あの現場にカールがいたのを目撃しているかもしれないからか?」 「そうだ。俺たちは、あの子が赤ん坊の頃から知っているからな…」 クラウスはレオンの眼と目線を合わせた。 「あんたは強いようだな」 質問というより、確認だった。 「……まぁ、否定はしない」 「俺たちは街中の井戸の点検と見張りに行かねばならん。他に北方軍の奴がいないとも限らない。ここを頼む」 「構わない。井戸に毒を入れようなんて破廉恥な行為は阻止しないと」 「助かる」 クラウスは数人残し、街の中心へ慌ただしく戻って行った。 竈の大きな鍋の湯が沸くと、ユリウスが曲がった針と麻糸といくつかの器具を入れるよう指示した。ハインツがそれらをしている間、他の自警団は薬草を煮出しし、ユリウスはアルベルトの背中の血を丁寧に拭き取った。 ブラッドとカールが運んだ盥の水はすぐに赤くなり、中と井戸を何度も往復した。 レオンは井戸で手を洗いながら、診療所の周囲に索敵の気を広げて、危険な気配が無いのを確認した。 再び中に入ると、ハインツが声を荒げていた。 「傷口を縫うだとっ?!」 「はい」 「正気かっ! アルベルトは麻袋じゃないんだぞっ」 「そうですね」 「ふざけんなっ!!」 他の自警団は、今にもユリウスに掴みかかろうとしているハインツを押さえた。 「私はふざけませんよ? この傷の大きさを熱した火かき棒で塞ぐのでは、この後に騎士として戻るのに、大変な時間がかかります。縫い合わせた方が早く傷口が塞がり、回復も早い」 「しかしっ…」 ブラッドがレオンに気づき、不安げに顔を見上げた。レオンは微かに頷いてハインツの前に立った。 「先生の言う通りだ。この大きさでは、火傷で引きつれて日常の動きもままならなくなる。騎士に戻るなど、不可能になるぞ」 「し、しかし……」 ハインツには、更にアルベルトを傷つけようとする行為にしか思えなかった。 「…兄、さん…」 意識を取り戻したアルベルトが、掠れた声でハインツを呼んだ。 「アルッ!」 「俺、は…また、騎士団に…戻りたい……」 「アル……」 「大丈夫ですよ。この薬を飲んで、眠っている内に、ちゃちゃっと縫っちゃいますから」 茶色い薬湯をゆっくり飲ませると、アルベルトは再び意識を失った。 レオンが、その独特の匂いの薬湯を指差した。 「先生、その薬湯は、もしかして……」 「あ、分かりました? 凄いですね。はい、遠い東の国では阿片と呼ばれる物です。はい、麻酔代わりです。大丈夫です。そんなに、簡単には中毒にはなりません」 「中毒?」 ハインツが青ざめた。 「麻酔としての量なので、影響はそんなに残りません。私の躰で何度も実験してますので、加減もバッチリです」 ユリウス以外の者の頭の中に、一つの単語が浮かんだ。 『狂科学者』

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