51 / 156

第51話

「三日後には抜糸するから、それまでは絶対安静で。傷口は一日に三回は拭いて、油脂を塗って、絶対に乾かさないように。食事は滋養のある物を。あ、でも、固形物は、まだ、駄目ですよ。それと、薬はちゃんと飲ませて下さいね。三日後には戻ります。戻らなかったら、あなた方で抜糸して下さい。絶対、して下さいね。癒着しちゃいますからね。癒着したら、斬られた時以上の苦痛を味わう事になりますから」 そう一気に喋ると、ユリウスは慌ただしく砦へと出立した。 「お館の方々には俺が言っておくよ。アルベルト様を頼む。それと、後片付け手伝えなくて、ごめんな」 カールはブラッドに何度も頭を下げて、自警団に送られて騎士団の宿舎に戻って行った。 すっかり日が落ち、ブラッドが 汚れた器具や布を井戸で洗っていると、診療所の入り口でレオンがクラウスと額を付き合わせて何か話しているのが見えた。 二人とも険しい表情だったが、険悪な状態ではなさそうだった。 互いに何度か頷き、レオンはクラウスを見送るとブラッドの側に膝をついて洗い物を手伝い始めた。高地の為、暑い季節とはいえ、日が落ちると風が冷えてくる。 「寒くないか、ブラッド?」 「平気。レオンこそ冷たくない?」 「俺は鍛えてあるからな。後は布類を干して終わりだな」 木と木の間に張ってあった縄に布を干し、二人は、何となく顔を見合わせた。 「さっき、クラウスさん と、何を話していたいたの?」 「弓兵がまだ見つからないから気をつけろ、と忠告してくれたんだ」 「そうなの……?」 不安が顔に出ていた。それは、自分の危険を心配してでないのは、ブラッドの診療所に向けた視線で分かった。動けないアルベルトが襲撃されるかもしれない可能性を危惧したのだ。 強張ったブラッドの頬を両手で挟み、レオンは安心させるように微笑んだ。 「俺がいる。心配するな」 「う、うん…」 やたら、そんな顔をしないで欲しい。ブラッドの心臓が跳ね上がり、鼓動が聞こえてしまうのではないかと心配するほど大きくなる。 「なぁ、ブラッド」 「は、はいっ?」 声が引っくり返ってしまった。 「ご褒美、くれるんだろう?」 ご褒美……。 レオンの唇に視線が固定され、ブラッドの頬が熱くなった。こくり、と息を飲む。 「でも、あの、えっと」 逃げ出したい。 「ブラッド?」 レオンの声に甘さが加わり、腰が砕けそうになった。 「うぅ…、だって、その、無理ぃ…」 「何で?」 「その、えと…、そう、届かないよ。レオン、背が高いもん」 「じゃあ、こうしよう」 重力が反転した、ように感じた。 気がつくとブラッドはレオンに横抱きに抱き上げられていた。いわゆる『お姫様抱っこ』である。 レオンの顔が間近にあった。 「ぼくなんかに…その……されたって、う、嬉しくなんかない、と、思う……」 「ブラッド?」 「あ、あの、そう。眼を…眼を瞑って! そしたら、その…する、から…」 レオンは、くすり、と笑って眼を閉じた。 「さぁ、どうぞ、お願いします」 眼を閉じても、美の神が彫り上げた彫刻のように整っている容貌だ。その頬に躊躇いながら手を添えて、ブラッドはレオンの唇に、そっと自分の唇を重ねて、すぐに離した。 レオンが片目だけ開けてブラッドを見た。 「それだけ?」 「おしまいっ」 「もうちょっと」 レオンは再び眼を閉じた。 「そんなぁ…」 レオンは眼を閉じたままだ。 自分の心臓の音がうるさい。あまりに勢いがよすぎて、口から飛び出しそうだ。 覚悟を決めて、ブラッドはレオンの唇に唇を重ねた。先ほどよりは、ちょっとだけ長く重ね、離そうとした時、レオンの唇が追ってきた。 ええー?! レオンはブラッドの下唇を食み、軽く吸い上げ、角度を変えて上唇に舌を這わせた。ブラッドが驚愕で固まっているのを良いことに、レオンは、ふっくらして柔らかな感触を心行くまで味わった。 軽い音を立てて離しては、また、食む。軽く啄んでは、深く重ねる。口腔を味わいたいが、さすがにそれは諦めた。あまり性急すぎて、ブラッドに引かれたくない。 散々蹂躙し、最後に下唇を強く吸って、音を立てて唇を離した。 目の前に頬を上気させ、呼吸を乱し、両目を潤ませたブラッドの顔があった。また、唇を奪いたくなったが、それを堪えてブラッドの額に自分の唇を押し当てた。 「ご馳走さま」 「も、もうっ、こんなの、こんなの知らないっ。下ろしてっ」 「嫌だ」 「嫌って…」 「下ろしたら、逃げるだろう?」 「に、逃げないよっ」 「本当に?」 「本当に」 ブラッドの顔をじっと見てから、レオンは嫌々ながらもそっと下ろした。地面に足をついたブラッドは、膝から力が抜けて崩れ落ちそうになり、咄嗟にレオンにしがみついた。 「やっぱり、抱いていた方が…」 「ちょっと休めば大丈夫っ」 「結構、強情だな」 抱かれるのを拒否しながらも、ブラッドはレオンにしがみついたままだ。情けないな、と思いながら、何とかごまかせないかと考える。 しがみついている側と反対の腰に下がっていた剣の柄に手が触れた。 「そう言えば……、どうして、レオンはぼくの居場所が分かったの?」 「うん?」 「もう、斬られるって覚悟したんだ。心の中でレオンを呼んだら、本当に現れて、びっくりした…」 「そ、そうなのか…」 珍しく言い淀むレオンに、ブラッドは不思議なものを見るようだった。 「その……怒らないか?」 「怒る? どうして? 助けてくれたのに」 上を仰ぎ、一呼吸してレオンは勢いよく頭を下げた。 「すまんっ」 「え? え?」 「その、勝手に、お前の額に俺の鱗をつけたんだ」 「うろこ?」 「そうだ。お前が意識を失っていた時、俺の鱗を額につけた。その、承諾も得ず、済まない」 ブラッドは自分の額に手を当てたが、異物が張りついてような違和感も凹凸もなかった。 「その鱗を通して、遠くてもお前の気を感じられて、名前を呼ばれたら居場所が、すぐに分かるようになっているんだ」 竜人族は、自分の鱗をつけた相手が危機に陥った時、すぐに駆けつけられるようになっている。心の結びつきの強さによっては、相手の気の乱れで体調の変化も感じ取れる。 この、相手に自分の鱗をつける行為は『こいつには自分が唾をつけたから近づくな』と言う意味があるのだ。

ともだちにシェアしよう!