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第52話

鱗の意味を知ったブラッドの、くりくりした瞳が更に零れ落ちんばかりに大きくなった。もう一度、レオンの説明を反芻し、意味が浸透するにしたがって、顔どころか全身が熱くなった。 言葉なく立ち尽くす様子に、ブラッドが怒っていると思ったレオンは狼狽えて膝をついた。 「そんなに、嫌だっか……?」 すがりつくような瞳で膝をついて上向くレオンに、ブラッドは慌てて首を横に振った。 「い、嫌とか、そう言うんじゃなくて…、その、どうして……、そのぅ、ぼくなんかに、口接け、とかするの……かな、と…」 レオンは微笑んで、手を伸ばしてブラッドの頬に触れた。 「ブラッドが好きで、大事だからだ」 「でも、会ったばかりなのに…」 「生まれる前から、お前は、俺のものだと決まっていたんだ」 「どういう…こと…?」 レオンはブラッドの手を取り、近くの木の根本に並んで座らせた。 「お前が竜人族だと、俺が言った事を覚えているな?」 ブラッドは頷いた。 しかし、自分はレオンのように速く走る事も高く跳ぶ事も出来ない。人より怪我の治りが少し早いだけで、殴られたり蹴られたら痛いし、力も弱い。とても、自分がレオンと同じ竜人族とは思えない。 「竜が、二つの卵を同時に孵化させられないいと言った事も?」 「うん…」 「それは、竜人族も同じなんだ」 「えっ…?」 では、竜人族だと言われた自分は、どうやって卵から孵化したのか。 ブラッドの疑問にレオンは躊躇いながら、フェリックスにした説明をした。卵が竜仙境から持ち出される事となった経緯に、ブラッドの顔が強張っていった。 『お前など、生まれて来なければ良かったのだ』 あの言葉は、気のせいでも勘違いでもなかった。躰が押し潰され、ばらばらになりそうな威圧感と闇。 頭から足の先まで氷に覆われたように、躰が冷えて固まった。力が抜けて、指先が震えた。 その手を、一回り大きな手が握り、熱い唇が指先に触れた。 「お前は、何も悪くない」 「レオン……」 「卵が二つの宿ったのは偶然だし、難産だったのは、お前が意図したものでもない。御大が娘可愛さで吐いた暴言など、忘れてしまえ」 人の悪意や言葉に対して無意識に萎縮してしまうのは、生まれたての卵の状態だった時に、公爵によって吐かれた言葉が起因していた。抵抗や言い返す事が出来ないのは、無意識に『お前が悪いから』なのだと刷り込まれていたのだ。 レオンは、ブラッドは悪くない、と言ってくれた。 しかし、一つ目の卵が問題なく生まれたのに対し、二つ目…自分の時に難産だった事は事実だ。 「卵が二つ宿っていると医師に告げられた従姉は…お前の母親は、俺に片方の卵を託すと約束したんだ」 片方の卵……。 「それは…どっちの卵とか、決まって……」 「うん? どうした?」 「ううん、何でもない……。そのぅ、前に、レオンは、ぼくに竜の側にいちゃいけないって言ってたよね?」 「ああ。これだって、お前が悪い訳じゃない。仙境の勝手な考え方なんだ。竜人族が同じ竜人族の魔力で孵化せず、外界…人間界の竜族の魔力で孵化した竜人族を『竜の愛し子』と呼ぶのだが…」 レオンはブラッドの頬に手を当てた。 「竜人族の卵を孵化させるには、竜族では魔力が足りず、お前の孵化には、多分、十数頭の竜が関わってる筈だ」 「そんなに…?」 「年月もな。多分、孵化に五十年近くかかっていると思う」 そんなに長い間、竜たちが魔力を与え続けてくれていたのか。そう思うと、胸の奥に暖かさと申し訳ない気持ちが混ざった。 「自分たちが孵化させた『愛し子』は、竜族全体にとっても『愛し子』なんだ」 グリューンの母性溢れる眼差し、竜舎でちょっかいをかけてくる悪戯好きの竜たち。時に父母のように、時に兄弟のように……。 「しかし、その過剰な執着を竜仙境は良しとしないんだ」 「え…?」 「もし、仮に『愛し子』と『皇帝』が対立したとしたら、竜族はすべて『愛し子』側につくだろな」 「だ、だって、そんな、対立とか、あり得ないよ」 慌てたブラッドの頭をレオンは安心させるようにかき混ぜた。 「例え話だよ。皇帝は仙境外界の関係なく、竜と名のつく一族全てを統べる存在だ。反意は赦されない。通常であれば竜族は皇帝に逆らったりしないが、『愛し子』の危機となれば竜族は『愛し子』を庇うだろう。それが、皇帝側から見れば反逆と取られる行為なんだ」 「そんな…」 「竜の側にずっといなければ、大丈夫だ」 「…だから、レオンは一緒に旅に出ようって言ったの…?」 「それもある」 「?」 「竜人族の成長速度は、人間とは違ってゆっくりなんだ。ブラッドが年齢より幼く見られるのは、そのせいだろう。同じ処にずっと暮らしていると、その内、不審に思う者が出ないとも限らない。とても、危険だ」 ブラッドは知らないが、昔、魔女狩りと称して妖精や魔者との間に産まれた人間を捕らえ、拷問し、火刑などに処した過去があった。年配の中には、それを覚えている者も少なくない。 嫌悪を抱いている者もいるかもしれない。 その上、絆を結んだ騎士よりもブラッドを優先する竜が集まってしまう可能性もあった。その時、竜仙境がどう動くか、権力の側にいたレオンには手に取るように分かる。 「頼む、ブラッド。俺と一緒に来てくれ。ずっと、俺の側にいてくれないか…?」 ブラッドを見つめるレオンの蒼穹の瞳が不安げに揺れていた。 どうして、レオンが不安になるのだろう。選択権がないのは、ぼくの方なのに…。 躊躇いながらブラッドは頷き、レオンの胸に顔を寄せた。その細い肩を抱き締め、レオンはホッと息を吐いた。 (片方の卵……) ブラッドにとって、竜仙境や皇帝とか言葉すら知らなかった遠い世界の事など、髪の毛程も現実感が無かった。『竜の愛し子』と言われても、特別な力など無いし、皇帝に逆らうとか、そんな恐ろしい事など考えもつかない。 ただ、ブラッドの心に落ちた一滴の黒い雫があった。それは、薄墨が、白い布に染みて、ゆっくりと広がりつつあった。 もしかしたら、レオンが探していた卵は、ぼくじゃなかったかもしれないんだ。別の卵だったら、ぼくは、この腕の中にいなかった……。 レオンの体温を感じながら、ブラッドの躰は凍え、震えるのを止められなかった。

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