53 / 156
第53話
診療所の奥にある調理場で、ブラッドは自警団が持って来た料理の一部取り出して調理していた。
大量出血をしたのだから、肉を食べて失くした分を補おうと考え、肉をたくさん入れた鍋を持って来たのだ。ブラッドは感傷もそこそこに、鍋から野菜と汁を少し取り出して野菜をすり潰し、味を整えて作り直した。
どことなく不満げな自警団に、大怪我で体力が落ちている時は、食べ物を消化するにも体力が必要なので、固形物は胃によけいな負担がかかってしまう。そうすると、傷が塞がるのが遅くなってしまい、体力の回復も時間かかってしまう事を説明すると、納得して退いて診療所から出て行った。
その間、レオンは鎮痛効果の薬草を煮出し、ハインツと協力してアルベルトの躰を拭いて清めた。
まだ意識が朦朧としている為、アルベルトをハインツが支え、ブラッドが匙で薬湯とスープを少しずつ与えた。レオンの血の効果か、傷からの発熱も感染症の症状も見られなかった。
三人が食事を終えた頃、月が高く昇り、ブラッドが小さくあくびをした。
「ブラッド、奥の部屋に寝台がある。今日は、もう寝た方がいい」
一緒に食器を片付けていたレオンが言った。
「え、でも……」
奥の部屋には調理場だけでなく、医師が常駐する為の寝台が一台あった。しかし、それを自分一人が独占するのは気が引ける。それに、ずっと犬舎で寝ていたので、毛布にくるまって床で寝るのは慣れていた。
「そうだな。ここに着いてから、君はずっと働いていただろう。子供は、もう、休んだ方がいい」
ハインツも同意した。
「で、でも、お二人は……」
「俺たちはブラッドと違って頑健だ。お前は気にせず、ゆっくり休め」
「う…うん…」
レオンに背中を押され、ブラッドは寝台に横になった。
「暑い季節とはいえ、ここは高地だ。冷えないようにして、ゆっくり寝るといい」
肩まで毛布を掛け、背を向けたレオンの服を咄嗟にブラッドは掴んだ。
「どうした、ブラッド?」
「あ、あの……」
このまま、一人になりたくなかった。レオンにとっては迷惑かもしれない。しかし、掴んだ服を離せない…。
レオンは側にあった椅子を引き寄せ、座った。ブラッドの手を自分の服から離し、そのまま両手で握った。
「レオン…、ごめんなさい…。あの……」
「眠るまで、側にいるよ」
「ごめんなさい……」
「謝らなくていい。俺が、そうしたいだけだ」
レオンはブラッドの手を握る自分の手に、僅かに力を込めた。
「今日は、頑張ったな」
「……」
「怖かったろう。もう、大丈夫だ。安心して眠っていいんだぞ」
不意に、ブラッドの両目から、熱い雫が溢れた。
そうか、自分は怖かったのか。
血を流すアルベルトを見た時、迫る刃に死を覚悟した時。暗い死の闇に堕ち、二度とレオンに会えなくなるのだと思ったら心が凍った。
竜騎士と会ったりしてはいたが、戦闘を見た事も、武器による負傷したところも見た事が無かった。命の危険と隣合わせなのだと初めて実感した。
助けられてからも、どこか心の一部が凍ったままだった。恐怖で手足が動かなくならないように、自分の心から眼を逸らしていたのを漸く自覚したらしい。
「大丈夫だ。俺が、ずっと側にいるから」
レオンが繰り返した。
握られた手から、レオンの体温が流れてくるようだ。そこから、じんわりと躰に暖かさが広がっていく。
躰の強張りが解け、瞼が重くなり、ゆっくり閉じられた。規則的な呼吸は、すぐに聞こえてきた。
レオンはブラッドの濡れた睫毛を指で拭い、安堵したように口許が綻んだ寝顔を暫くの間、じっと見つめた。
躰の強張りを解く為に、レオンはブラッドに気づかれないように魔力を流し、体内の『気』の流れを調えた。
辺境に漂う『気』は、竜人族にとってとても心地が良い。疲弊した精神も安定しやすい。
それでも、緊張の連続でブラッドの『気』の流れは所々停滞していた。このままでは魔力の均衡も崩れ、暴走しかねなかった。
窓から注ぐ月明かりに照らされた頬に赤みが差し、浅かった呼吸も深く、ゆっくりとしたものになった。
ブラッドの瞼にそっと唇を落とし、レオンは部屋を出た。
ともだちにシェアしよう!