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第55話
懸念していた診療所…アルベルトへの襲撃は無く、三日後、予定通り抜糸をする事にした。
医師、ユリウスは戻っていない。砦での治療が難航しているのか。
その代わりではないが、館から伯爵家の主治医であるアナキンが駆けつけた。ブリッツ竜騎士団の普段の治療も行っている為、アルベルトの事は見過ごせないと言い張り、高所が苦手なくせに騎竜に乗って来たのだ。
乗せて来たのはジークムントだった。
「ブラッド、ありがとうな」
診療所にアナキンが入るのを見届けたジークムントは、挨拶もそこそこにブラッドを抱擁した。
「ジーク様?」
「アルベルトとは同期なんだ。斬られたあいつを見つけたのはブラッドだって、カールが教えてくれた」
「いいえ、ぼく一人だったら、怖くて逃げていたと思います」
ブラッドの無自覚な謙虚にジークムントは苦笑した。
「怪我は無いか?」
「はい」
「良かった。ブラッドに何かあったら、俺は兄上と団長から殺されるからな」
ブラッドが眼を大きく見開いて吹き出した。
「笑い事じゃないんだよ、本当に。ブラッドは兄上と団長のお気に入りなんだから」
「からかってらっしゃるんですよ」
「とんでもない! あの二人はよく似てて、気に入った物や人に対する執着心は凄いんだ。好みも同じで、ブラッドは二人の好みにドンピシャなんだぞ。あ、俺もな」
大袈裟な、と、ブラッドは首を傾げた。
「可愛くて素直。しかも、頭が良い。兄上も団長も、ブラッドが承知したら、即、囲い込む気でいるんだぞ、本気で」
「あり得ないですよ」
あくまでも本気に取らないブラッドに、ジークムントは尚も言い募ろう両肩を掴んだが、鋭い視線を感じて顔を上げた。ブラッドの背後、診療所の入り口に見覚えのある黒髪の青年が立っていた。
レオンは、ブラッドの肩に置かれたジークムントの手を険のある眼で睨んでいた。
咄嗟に、ジークムントは肩から手を離した。
すると、レオンの眼から険しさが取れた。
おやおやおや…?
ジークムントは、再びブラッドの肩に手を置いた。そうすると、レオンの眼に険しさが戻った。本人は意識していないのだろうが、ブラッドに触られたくないようだ。
手を離す。
レオンの眉間の皺が取れる。
また、肩を掴む。
険しくなる。
「??」
ブラッドは背後にレオンがいる事を知らない。ジークムントの謎の行動に首を傾げた。
何度か繰り返すと、とうとうレオンは剣の柄を握った。
やばいやばいと、ジークムントは両手を振ってブラッドから離れた。
「ジーク様?」
「何でもない、何でもない」
何となく振り返るとレオンがおり、背中から抱え込むように腕を回された。
「レオン?」
「抜糸が終わった。中で、アルベルトがジークムントを呼んでいる」
「あ、そうなんだ。早く行かないとなー、と、ブラッド、シルヴァンの世話を頼む」
「はい」
シルヴァンはジークムントの騎竜だ。井戸の側で、行儀よく座っている。
世話をしようとしたが、レオンの腕が回されたままで動けない。仰ぎ見ようとしたブラッドの頭に、レオンの額が擦りつけられた。
「ど、どうしたの?」
「……すまない……」
唐突に謝られ、ブラッドの頭の中は疑問符で一杯だ。
「レオン…?」
「…俺以外の奴がブラッドに触れるのが嫌だ」
「レ、レオン?!」
竜人族の執着は深い。特に、最愛の相手に対する執着心は激しく、独占欲も強い。自分以外の相手と会話する事すら赦さない者もいる。
高位の者程、愛する者への執着は激しく苛烈になりがちだ。純血がそうさせるのか、元からの習性なのか。
「心が狭いよな。こんな俺は、嫌いだろう?」
嫌い? ぼくが、レオンを?!
ブラッドは激しく頭を横に振った。
「反対の事はあっても、ぼくが、レオンを嫌いになるなんて、絶対に、無いよっ」
「俺だって、お前を嫌うなんて、絶対に、天地がひっくり返ってもあり得ない」
二人は視線を合わせて、言い合った。
「……」
「……」
ブラッドは真っ赤になって俯き、レオンは口許を弛ませた。
もー、何を言わせるの……。
俯いたままのブラッドを抱き寄せ、レオンはにやけてしまう顔を見られないようにした。
「ありがとう、ブラッド」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
診療所に入ると、抜糸を終え、身支度を整えたアルベルトが寝台に座っていた。うっすらと額に汗が光っていた。
鎮痛効果の薬湯を飲んだとはいえ、抜糸の激痛を皆無には出来ない。若干、血の気は引いているが表情はすっきりしており、腕を回して躰の動ける範囲を確認していた。
「もう少し寝ていたらとうだ?」
ジークムントが声を掛けると、アルベルトは頭を横に振った。
「三日も寝ていたから、脚が萎えて力が入らない。歩行訓練からやり直しだ」
「無理はするんじゃないぞ。転けて怪我を増やしたら、お嬢にどやされるぞ。後で、訓練内容の計画書を騎士団に届けておこう」
アナキンが器具を片付けながら言った。
「ありがとうございます、先生。兄さん、先生をお館まで送ってくれないか?」
ハインツはアルベルトの意図を察し、頷いた。
「先生、弟の事、ありがとうございます。お館まで馬で送ります」
「馬も苦手なんだがなぁ。尻が痛くなる」
二人が診療所を出ると、アルベルトがジークムントに眼で促した。ジークムントは寝台に椅子を寄せて座った。
いつもの、太陽のような笑みは消えていた。
「お前程の奴が下手をしたな」
アルベルトは苦笑した。
「…深く入り込み過ぎた」
「で、何を掴んだんだ? 国境を越えてまで追って来たんだからな」
「奴らの計画は聞いただろう?」
「街の井戸に毒を入れるという計画は知っている。自警団が警戒しているから、それは大丈夫だろう? 俺が言って訊いているのは、それ以外だ。俺を呼んだのは、何か言いたい事があるのだろう?」
少し考え、アルベルトは顔を上げた。
「…北方軍の騎竜がおかしい…」
「おかしい?」
「うむ…。おかしい、と言うか、異常なんだ」
アルベルトの表情には困惑と、肝の据わった彼には珍しく、恐怖があった。
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