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第56話
手を開き、アルベルトは黒い石の欠片をジークムントに見せた。
黒曜石に似た、硝子の塊の様に光る平らな滴型の石だ。その形と大きさに、ジークムントは覚えがあった。
「竜の…鱗…?」
アルベルトが頷いた。
「国境沿いに展開している部隊を偵察していた時、北方軍の竜の形状の異様さに気がついた」
「形状の、異様?」
「異様と言うより、『異形』だな」
アルベルトの手から鱗を取り、窓から差す陽の光りにジークムントは透かしてみた。通常の竜の鱗には年齢を表す年輪があるが、それが無い。厚みは同じくらいだが、表面はゴツゴツして、漆黒に血の様な赤い色が所々に筋状にあった。
「…分からん。専門家に訊いてみるか」
「専門家?」
ジークムントは鱗をアルベルトに返し、立ち上がった。
「レオンだよ。彼は、竜の卵売りだ」
「卵売りだって?!」
竜騎士になってから、初めて実物に会った。
無論、彼らがいなければ竜騎士団が存在しておらず、竜の補充も叶わないのだが。それだけ卵売りと会う機会は稀なのだ。
「卵の孵化だけじゃなく、雛の世話もしてたから、竜の生態には調教師より詳しいようだ」
「…じゃあ、あの一緒にいる子は卵売りの見習いなのか?」
「ブラッドか? あの子は、あいつの恋人だ」
「こっ……?」
恋人?!
アルベルトの眼が丸くなった。聞き間違いかと思ったからだ。
「悔しいけどさ、ブラッドも一目惚れっぽくて、俺のつけ入る隙間、全っ然無いんだよな」
「つけ入る……。ああ、あの子、お前の好みだもんな……」
「そうなんだよ! 小さくて、可愛くて、頭が良い! おまけに気もきくし、ほんわかした雰囲気で側にいるだけで和む。兄上と団長も狙ってたんだけどさ、レオンに持っていかれて悔しい。どっちかが手に入れていたら、いつでも会えたのにな。そしたら、俺にだって落とす好機はあったと思うんだ」
いつも以上に饒舌なジークムントに気圧されながら、アルベルトは自分の手当てをしてくれたブラッドを思い出した。動く度に赤いくせっ毛がふわふわとそよぎ、包帯を巻く手はほんわりと温かかった。
一人で食事が取れなかった時、ブラッドがひと匙ひと匙丁寧に与えくれたスープは旨かった。スープと一緒に、冷えた手足にまで温かさが染み込んでいくような、不思議な感覚があった。
同じスープなのに、兄から与えられた時には、その感覚は無かったのだが……。
「うちの騎士団の連中もブラッドの魅力にやられちゃったしなー」
口を尖らせたジークムントに、アルベルトは苦笑した。
「お前は、充分いい男だよ」
「知ってる」
「そうかよ」
「じゃあ、レオンを呼んで来る」
外へ出る扉を開けたジークムントに頷いたアルベルトは、ぽそり、と呟いた。
「どうせ、俺は可愛くねーよ…」
細身とはいえ筋肉質で、おまけに背中に大きな醜い傷痕が出来た。失敗による不名誉な負傷だ。
アルベルトは無意識に鱗を握り込んでいた。
ブラッドの放つ暖かな雰囲気と違い、鱗は日陰にあった石のように冷えていた。さっきまでジークムントの手にあったというのに……。
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「これが…竜の鱗……?」
レオンの整った頬が強張った。
「北方軍の竜は、全部、この黒い鱗で覆われていた。黒い竜もいる。しかし、このような形状の鱗は見たことがない」
竜の色は、通常は艶のある青銅色と孔雀色が殆どだ。属性によっては赤かったり、黒かったりする。
だが、それらの竜の鱗は滑らかで凹凸は無い。
「おかしな気の流れを感じる…」
鱗を握ったまま、レオンが呟いた。
握っている筈なのだが鱗は一向に温まらず、
氷のように冷えたままだ。気を鱗に吸われている感覚に、背中を冷や汗が流れた。
「こいつは……危険だ……」
アルベルトが座っている寝台に鱗を置いた。
「俺は、何にも感じなかったんだけど」
ジークムントが首を傾げた。
「あんたは、陽の気が強いから平気なんだろう。珍しいくらいだ」
鱗に指を置いてみる。レオンには、鱗から餓えのようなものを感じられた。この鱗の持ち主の竜は、何かに餓えている。
「鱗だけじゃないんだ……」
鱗を摘まみ、アルベルトは目線まで持ち上げた。
「この形状がそのまま大きくなったみたいに、竜の躰全体がゴツゴツしているんだ。岩から直接削り取ったような、黒い岩の塊に見えた…。しかも、俺たちの竜より、一回り大きい」
「大きい? 個体差じゃないのか?」
ジークムントの問いに、アルベルトは首を横に振った。
「本当に大きいんだ。頭の形も違う…。全くの別の種族かと思ったんだが……」
二人はレオンを見た。
「…基本的に竜は属性を別にして、単体の種族だ。全く違う形状の竜の存在は確認されていない。ましてや、これは、異常だ」
アルベルトの額に、うっすら汗が滲んでいるのをレオンは指差した。
「鱗を持っていると躰が怠くなるだろう?」
レオンの指摘に、眼を見開いた。
「鱗だからこの程度で済んでいる」
鱗を取り上げ、寝台に置き直す。
「この鱗の竜は、魔力に餓えている。鱗だけだから、気のせい程度の具合の悪さで済んでいる。ハインツから聞いたのだが、君は相当の手練れだそうだな。その君が後れを取ったのは、鱗による不調が原因かもしれない」
「い、いや、そんな手練れではない。身内の身びいきだ。まだまだ修行が必要な半人前だ。それより、魔力に餓えてるとはどういう事だ?」
「何が原因かは分からないが、大きな躰を維持するだけの魔力の必要量が取れていないか、取れていても不足なのかもしれん」
「あり得ない……」
アルベルトの呟きにレオンが頷いた。
「俺は、ずっと大陸の中央の竜の巣を中心に回っていたから、北方はあまり詳しくない。だが、少し前に、嫌な噂を卵の売りの間で聞いた事がある…」
「噂?」
「ああ。…北方では竜を喰っている、と…」
三人が押し黙った頃、シルヴァンの世話をしていたブラッドは、戻ってきたユリウスに土下座をされていた。
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