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第62話

竜の咆哮に、中にいる者達ごと建物が震えた。 長箒を持った少年の頭上に、一番手前にいた竜が前足を無造作に振り上げた。少年は、自分に下ろされるであろう前足を見上げた。 誰もが動けなかった中、カールが少年に向けて跳躍した。体当たりするように少年を抱え込み、共に転がって振り下ろされた足を避けた。 「バカ野郎っ! 逃げろっ!!」 カールに叱咤され、調教師見習いの少年達は弾かれるように出口へと殺到した。押し合いへし合い、互いに罵り合い、転びながら外へと避難した。 竜舎内では獲物を奪われた竜が、更に激昂していた。 翼を広げ、尾を振り回すと柵や房の柱がへし折れ、破片が飛び散った。怒りのあまり周囲が良く見えていないのか、飛び上がり壁に体当たりしている竜もいた。 戦いに於いては体当たりを得意とする重装竜騎士団の竜である。石煉瓦を積んで頑丈に建てられた竜舎の壁が凹み、ギシギシと軋む音がした。 「先生っ。ブラッドを外へっ!」 少年の腕を引っ張って起こしながらカールが叫んだ。 ユリウスは頷き、ブラッドを抱えて出口へ向かおうとした。その行く手に竜が立ち塞がった。深紅の眼を爛々と輝かせ、牙を剥いてユリウスを威嚇した。 ラファエルの騎竜を間近で見た事があるが、このような殺気を浴びせられたなど経験がない。殺気を向けられるなど日常では無いし、ましてや、戦場に出た事のないユリウスは、恐怖で脚が凍ったように震えて動かせなくなった。 竜達からすれば、ユリウスは愛し子を連れ去る悪人である。鋭い爪で引き裂き、牙で引き千切る機会を虎視眈々と狙っているのだ。 「ど、どうしたら……」 彼らは、完全に退路を断たれた。 竜の咆哮が轟いたのは、ラファエルが講堂の部下の様子を見て回り、ちょうど外へ出た時だった。 戦場でも聞いた事の無い、地を這う咆哮だった。戦場での威嚇とは違い、竜騎士の矜持を危うくする、肝が冷えて縮むような怒気を含んだ咆哮だ。 重い躰を叱咤し、ラファエルは竜舎を目指して駆け出した。幾人かの、動ける竜騎士も後に続いた。 厩舎からは怯えた馬の嘶きが聞こえた。 戦場を駆ける馬である。滅多な事では怯えないよう調教されている軍馬が恐慌状態に陥っていた。 まさか、ブラッドの身に何か起きたのか……。 ラファエルは古の昔、竜によって滅んだ国の話を思い出した。お伽噺ではない。公文書にも記されている『史実』だ。 ブラッドに、毛一筋傷つけてはならん。 出立する寸前、ローザリンデが抑揚の無い口調で言った。 ブラッドは『竜の愛し子』だ。あの子が害されたら、竜は絆の相手より愛し子の方を選ぶ。選ぶだけなら良いが、害した者だけでなく、その者が所属する、すべてを憎み、殲滅するだろう。 竜人族の血を引くローザリンデにも、竜の暴走は止められないと言っていた。 厩舎棟を抜けた時、ラファエルの足下に石煉瓦の塊が落ちてきた。人の頭程もある塊だ。直撃していたら命は無かっただろう。 背後で悲鳴が上がった。 振り向くと、破片が当たって倒れた者がいた。 「気をつけろっ! 誰か、盾を持って来いっ」 数人が武器庫に走った。宿舎に自分の装備を取りに行くより、武器庫の方が近い。 降り注ぐ破片を避け、漸く辿り着いた竜舎は……、半壊していた。 数頭が宙で羽ばたき、固まって動けずにいる少年らに狙いをつけていた。竜騎士ですら見た事の無い深紅の眼に、ラファエルはローザリンデのもう一つの言を思い出した。 深紅の眼は『逆鱗』に触れた事を意味する。その時は、国が滅ぶ。 そうだ、国が滅ぶと言っていた。 一騎士に何が出来るか分からないが、目の前の命を救わなければならない。ラファエルは部下に目配せした。竜を刺激しないように少年らを保護するべく、視界から外れて近づいた。 竜が首に力を込めて攻撃前の構えを取った。 それを見逃さず、ラファエルは部下に合図をして竜の後ろ側から飛び出し、少年らを抱えて半壊した竜舎の陰に身を伏せさせた。 「このまま厩舎の陰まで走れっ」 だが、恐怖の余り少年らの躰は強張り、走るどころか立ち上がる事にさえ出来ない。先程まで少年らがいた所では、獲物を奪われた竜が地団駄を踏み、咆哮をあげている。 「……君らは、調教師見習いか?」 一人が震えながら頷いた。 「笛は持っているか?」 首を横に振った。見習いは竜笛は持たされない。 「副団長、あったとしても、あの状態の竜に聴こえるでしょうか…」 「無理だろうな…。とにかく、子供らを避難させろ」 「副団長は?」 「槍をありったけ持って来い」 息を飲んで上司を見た。 「綱と網もだっ。急げ!」 「はっ!!」 激昂のまま、他の地の竜を呼ばれてしまっては絶望しかない。竜騎士にとって竜は親友であり、戦友であり、兄弟だ。 その相手に武器を向けなければならない。 ラファエルは奥歯が砕ける程噛み締めた。 騎士に抱えられて立った少年の一人がラファエルの袖を掴んだ。 「どうした? 早く…」 「な、中に…ひ、人が…」 「何っ?!」 誰が、と問う間も惜しく、ラファエルが竜舎の入り口に向かって走ろうとした時、咆哮と共に残っていた屋根を突き破って竜が飛び出した。少年らを降り注ぐ瓦礫から庇いながら見上げると、竜が誰かを咥えていた。 器用に背中の服の部分を牙に引っ掛けているようだ。 赤い髪に小柄な躰が、意識がないのか力無く揺れていた。 「ブラッド……」

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