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第63話

じりじりと迫る竜から、ユリウスはブラッドを庇うように抱え込んだ。それが、竜を刺激しているとは思わず、ユリウスは逆に視界に入らせないよう己の躰で隠した。 低く唸り声を上げ、竜が脚を踏み出した。退こうにも、あちこちから竜が唸る。 愛し子を傷つけられたら暴走する、という事を文献で読んではいたものの、これ程苛烈だとは思わなかった。意識が無いのか、自分の腕の中でくったりしているブラッドを、暴走する竜の只中に放置する訳にはいかない。 幼馴染みのラファエルと、ブラッドを毛一筋傷つけさせないと約束したのに。武闘派でないとは言え、自分より小さな子供を守れないとは、情けない。 カールにとっても、竜の暴走は初めてだった。 滅多に無い事なのだが、竜騎士候補の知識の中には無かった。重装竜騎士団の竜は騎士団の性格上、荒々しい戦闘が中心のため気性が激しい。だが、戦闘以外では陽気で、人懐こいのが通常だ。 初めて、カールは竜に恐怖を感じた。 気がついた時、ユリウスの背後に竜が迫っていた。油断したつもりは無かった。 逃げる隙を探して見渡した、ほんの一瞬、ブラッドを抱えていた腕から力が抜けた。その少しの好機を見逃さず、竜がユリウスの腕からブラッドを咥えて飛んだのだ。 「ブラッドッ!」 他の竜も飛び上がり、屋根を突き破った。 屋根の瓦礫を避ける為、三人は壁際に転げた。土埃が収まるのを待たず、カールはブラッドを追って壊れた戸を蹴破って外へ出た。 ちょうど副団長のラファエルが走って来るのが見えた。カールは安堵で座り込みそうになったが、自分の脚を叩いて叱咤した。 「副団長っ」 「カール?! 一体、何があった?!」 カールは頭を振った。 「ぼくには、何が何だか……」 そこへ、調教師見習いの少年を抱えたユリウスが来た。 「ラファエル、申し訳ありません。私がいながら……」 「ユリウス?」 「ブラッドが傷つけられるのを止められませんでした」 「こいつが、いきなりブラッドを殴ったんです!」 「あ、あいつが、全部悪いんだっ。ここにいたりするから!」 「何を訳の分からない事を…」 騎士見習いでなければ、カールは少年を殴り倒していた。国を、弱者を護るのが騎士だ。武器を持って戦う術を持たない者を攻撃するなど赦されない。 「言い争っている場合いではない」 ラファエルは竜に咥えられ、力無く揺れているブラッドを見上げた。 「どうにか落ち着けて、ブラッドを助けないと……」 ブラッドの心は、竜の激情の真っ只中にいた。叫び声さえ吸い込まれてしまう嵐のような激流が、ブラッドを中心に渦巻いている。 「ユリウス先生っ! カールッ!」 渦の中で叫んだ。 声は、ごうごうと音を立てて吹き荒れる風に消された。響き渡る竜の咆哮は、時に甲高く悲鳴にも似てて、ブラッドの心を深く抉った。 「どうしたの、みんな……?」 悲しいのか、痛いのか、苦しいのか……。 掠れた鳴き声がブラッドの頭上で響いた。 「誰っ?」 振り返ると、一頭の竜が力無く項垂れていた。苦し気な呼吸を繰り返し、今にも崩れ落ちたそうだ。 「どうしたの? どこか、痛いの?」 頭に触れると、竜が眼を細めてブラッドの手に擦り寄せた。 ≪憎い≫ 「えっ……?」 竜の声がいくつも重なってブラッドの頭の中に響いた。 ≪我らの愛し子を傷つけた≫ ≪赦せない≫ ≪人間が憎い≫ ≪殺せ≫ ≪滅ぼせ≫ 「だっ…、駄目だよっ」 思わず叫んだ。 竜の太い首に腕を回して力を込めた。人と、騎士と絆を結んで共に戦う彼らが、憎むとか、殺すとか言ってはいけない。そんな感情を持ったりするなど……。 ≪愛し子を傷つけた。赦せない≫ 開いた眼は、血を思わせる深紅だった。 「ぼ、ぼくは平気だよ……? だから、そんな、殺すとか、悲しい事を言わないで……」 ≪愛し子こそ、悲しい事を仰らないで欲しい≫ 竜はブラッドをじっと見つめた。 そこで、ブラッドは相対している竜が単体ではなく、複数の竜の複合体である事に気がついた。僅かに異なる竜の顔が入れ替わり立ち替わり、悲しげにブラッドを見つめる。 ≪愛し子が傷つけられたのは、此の度が初めてでない事を我らは知っている≫ ブラッドは息を飲んだ。 砦の竜が、城預かりになっていたのを思い出した。ブラッドが襲われた現場に、砦の竜がいたのだ。誤魔化しようがない。 ≪我らがお護り出来ず、申し訳なく……≫ 深紅の眼から、涙が溢れ出した。熱い滴がブラッドの頬に落ちた。竜は項垂れて、静かに涙を流し続けた。竜達は、人が愛し子を傷つけた事よりも、自分らが護れなかった事を悔いていたのだ。 ブラッドは、竜の額に自分の額を押しつけた。 「ぼくは、本当に大丈夫なんだよ? 結構、丈夫なんだ。色々あるけど、大好きな人がいっぱいいるここが好きだし、その、大切な人も出来たし……」 ≪……≫ 「男の子同士の殴り合いの喧嘩とかした事無くて、その、避け方とか上手じゃなくて、皆に心配させちゃったね。今度は、ちゃんと避けられるように、カールに習っておくよ」 袖で竜の涙を拭った。 「それより、ぼくは、みんなの病気を治したいんだ。苦しいんでしょう? それとも、どこか痛いの?」 ≪御子……≫ 「教えて。どうして欲しい?」 ブラッドは竜の頭を抱き締めた。 嵐は、いつの間にか止んでいた。 「砦の、たくさんの騎士も同じように苦しんでる。原因は、みんな同じなの?」 ≪呪詛……≫ 「じゅそ?」 馴染みの無い言葉の意味を飲み込むのに時間がかかったが、理解した途端、はっとしてブラッドは額を離して竜を見た。 ブラッドを見つめ返す眼は、元に戻っていた。 ブラッドの躰が淡く光り、宙に浮いて竜に話しかけ始めた。 ラファエル達は言葉もなく、茫然と見上げるしかなかった。喉が渇き、声も出せない。 気がつくと、荒々しかった竜達の怒気か消えていた。 「竜の眼が……紅くない……?」 カールの呟きに、槍や盾を抱えて駆けつけた騎士らが茫然と立ち尽くした。中には、暴走した自分の騎竜を止める為に、悲壮な思いで病床から駆けつけた者もいた。 「鎮ま…った…?」 ユリウスがラファエルの腕を掴んだ。 「…かもしれないが……」 油断してはならない。 空中では、ブラッドが竜の鼻を撫でながら、何やら会話をしているように見える。そのまま落ち着いてくれたら……。 ラファエルは戦場でもした事のないのだが、神に祈った。 竜が甘えるようにブラッドに鼻を擦り、ゆっくりと着陸の体勢を取った、その時だった。鋭い、空気を切る音がした。 それが、矢が飛ぶ音だと分かった時には、ブラッドに甘えていた竜の眼に突き刺さっていた。突然の攻撃に、竜が躰を捻った。刺さった矢を頭を振って抜こうとしたのか、左右に大きく振った頭がブラッドを直撃した。 ブラッドは吹っ飛び、背後にいた竜に背中からぶつかって、落下した。

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