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第64話
ブラッドの落ちて行く先は、瓦礫の山だった。ブラッドの運命を悟った彼らは、誰一人、動けなかった。
ごおぅっ、と頭上で風が鳴ったのは、ラファエルが情けなくも眼を閉じて悲劇を見ないようにした時だった。
「愚か者どもっ!!」
怒鳴り声に、ラファエルは眼を開けた。
輝く青銅色の塊が落下するブラッドに向かって飛んで行った。
「グリューン……?」
竜の背に立つ、純白の甲冑姿は……。
「団長っ!!」
空中でのたうつ竜を避け、グリューンは下降した。土埃を立て、グリューンは腹を地面に擦るギリギリを…否、腹を擦り、瓦礫を跳ね上げて落下するブラッドに向けて飛んだ。途中、地面を蹴って、更に速度を上げた。
グリューンの背で、ローザリンデは手綱を持たずに、仁王立ちのまま落下するブラッドを睨んだ。ブラッドを受け止めるべく、ローザリンデは両腕を広げた。
そこへ小柄な躰が落ちてきた。
ローザリンデはその躰を力強く抱え込み、両足を踏ん張った。
「グリューンッ!!」
ローザリンデが叫ぶと、グリューンは地面を二度三度蹴り、空中へと飛び上がった。
ユリウスとカールが安堵のあまり、その場にへたり込んでしまった。ホッと息を吐いたラファエルの後ろで歓声が上がった。
いっそ、気絶したかった。
ブラッドは訪れるであろう衝撃を覚悟して、強く眼を閉じた。だが、訪れた衝撃は想像していたより柔らかく、骨の砕ける音すらしなかった。
「怪我は無いか?」
頭上から女性の声がした。
眼をうっすら開けると、目の前に純白に銀の装飾が施された甲冑があった。はっとして顔を上げると、凛々しい微笑があった。
「伯爵様……?」
「間に合って良かった。ふふっ、あやつ、地団駄を踏んで悔しがるだろうな」
「?」
「愛しいそなたの危機に間に合わなんだのは、あやつの不運よ」
ローザリンデに横抱きされたまま、ブラッドは真っ赤になった。
「さて、グリューン!」
グリューンが、短いが鋭く咆哮した。すると、眼に矢が刺さっていた竜が力無く落ちた。それをきっかけにか、次々と意識を失うように竜達が音を立てて地面に落ちた。
「オラーンッ!」
矢の刺さった竜に駆け寄った者がいた。オラーンと呼ばれた竜は、健気にも平気だと言うように頭を上げて騎士に応えようとした。
他の竜も力を使いきったのか、その場で弱々しく手脚をもがくように動かすだけで、頭を上げる事すら出来なかった。
「幕舎の屋根をありったけ持ってこいっ」
ラファエルが指示すると、騎士らは慌てて槍や盾を抱えたまま倉庫へと駆け出した。
竜舎は全壊。人の手で竜を動かす事は出来ない。ならば、幕舎の屋根だけでも張って治療を行わなければならない。
「オラーン……」
若い騎士が、竜に刺さった矢を抜こうかどうか迷っていた。
そこへグリューンが降り、ブラッドを横抱きにしたままローザリンデが飛び降りた。
「矢を射たのは誰だっ?!」
はっとしてラファエルは矢が飛んできた方向を見た。矢は、ほぼ水平に眼に刺さった。という事は、それ相応の高さから射た筈だ。
物見櫓か、塔か……。
下からは人影らしきものは見えない。
そもそも、上官の指示無しに矢を射る大馬鹿は騎士団にはいない。侵入者だとすれば、今の砦の状態からすれば容易く入り込めたのかも知れない。ラファエルは己の失態に歯軋りした。
「侵入者だとしたら、既に逃げおおせたろう。今は治療を専念しろ」
「はっ……」
それでも、侵入経路は特定しておかなければならない。ラファエルは幾人かの部下に指示をした。
「あ、あの、下ろして……」
か細い声に、ラファエルは漸くローザリンデの腕の中にいるブラッドを見た。いわゆる、お姫さま抱っこされ、ブラッドは真っ赤になって縮こまっていた。
「団長……」
いくら小柄とはいえ男子である。ラファエルは気の毒になってブラッドをローザリンデの腕から抱き上げて、地面に下ろしてやった。ローザリンデは不満げにラファエルを睨んだ。
「あの、ありがとうございます」
ブラッドが深々と頭を下げた。
「大事にならなくて良かった」
ローザリンデはブラッドの赤毛に指を絡ませた。見た目以上にふわふわとしており、触り心地が好かった。
「暴走の原因は何なのだ?」
ローザリンデの問いにブラッドは俯いた。ラファエルはカールと調教師見習いの少年を探した。共に見習いの身の彼らは手伝いに駆り出されていた。
大体の原因は承知しているが、事がここに至った経緯はラファエルもはっきり分かっていなかった。
「どうも、その、子供達の間で行き違いがあったようで……」
ブラッドは拳を握った。そうしないと、躰が震えてしまいそうだった。
(ぼくは、何か、城で大きな失敗をしていたのかな……)
「そのくらいで竜が暴走したりしないだろう?
駐屯地の竜までに影響があったのだぞ 」
竜騎士を振り切って飛び立とうするのを諫め、ローザリンデはグリューンと共に砦へと翔たのだ。
「一体、何があったのですかっ?!」
息を切らせて走って来た者がいた。
「ウォーレンさん!!」
調教師見習い少年達が、親鳥を見つけた雛のようにわらわらと駆け寄った。
「竜に……何が……」
目の前の惨状に、調教師のウォーレンは顔色を無くした。竜の世話をする人手が足りないから手伝いを請われ、城から物資と共に着いた途端の惨状である。竜舎だけ竜巻に見舞われたようだった。
「ウォーレンさん、あいつが……」
一人がブラッドを指差した。
「ブラッド……、また、お前か……」
「また?」
ラファエルの呟きに、ブラッドの肩が小さく震えた。
「何で、ここにいるんだ? どうして城を出されたか分かっているのか。ミュラーさんにも言われただろう。お前は竜に関わってはならん、と」
「はい……」
「とにかく、ここから離れろ。お前がいると竜が落ち着かない」
「でも、ぼくに出来る事があったら手伝いたいです。お願いします……」
ありったけの勇気を振り絞ってブラッドはウォーレンに懇願した。それをウォーレンはあっさり切り捨てた。
「いらん。そもそも、お前は調教師見習いですらないのに竜に近づき過ぎだ。城では侯爵様が黙認しておられたから誰も言わなかったが、お前がいる事で色々と不都合が出ていたのだぞ」
ブラッドは俯いて退くしかなかった。
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