84 / 149

第84話

レオンはブラッドを矢と槍の雨から庇いながら、更に魔力の波動を強くした。敵軍襲来よりも、何かがレオンの内側を逆撫でする気配があった。 それはブラッドも同様のようだった。 全身の肌を虫が這うような不快感に、冷汗が大量に背中を伝う。 明るくなるにつれ炎の勢いは増し、空を黒い煙が覆い始めた。避難所の柵も一部が燃えている。 大木の陰に身を隠しながら進もうとするが、油によって勢い良く燃える炎に行く手を阻まれる。そこへ矢と槍の雨である。 遠くで剣戟の音が響いた。 騎馬隊と北方軍とか衝突し、戦闘が始まったのだ。竜騎士も騎竜と共に参戦した。 鎧を纏った騎竜が北方軍の騎馬に体当たりをし、騎馬ごと敵兵を地面に叩きつけた。体当たりは重装騎兵団の最も得意とするものだ。 狭い道幅である。 数で劣る騎兵団は相手を次々と地面に倒し、敵軍の進行の脚を止める事に成功した。堪らず林に飛び込んだ者は、待ち構えていた騎士の槍の餌食となった。 「日蝕が、終わった…!」 煙で濁った空を見上げ、ブラッドが声を上げた。 だが、竜は一向に飛ぼうとしなかった。否、出来なかった。 「どうして?!」 「駄目だ。魔力が安定していないっ」 レオンが頭を振った。 煙が染みて滲む視界の竜は、翼を動かすものの躰は浮かない。 「どうして……」 息をすると煙も一緒に肺に入ってきた。込み上げるような咳をすると、レオンがブラッドの顔を自分の胸に押し当てた。 「もう少し辛抱してくれ。ここから離れる方法を考える」 ブラッドは鼻と口を袖で塞いで頷いた。 その時、柵の内側から悲鳴が聞こえてきた。 振り返ると、避難して来た人々が攻撃の対象となっていた。低空飛行して来た黒い竜が風圧で逃げ惑う人々を吹き飛ばした。 別の黒い竜が恐怖で動けずに固まっていた所へ降りて、ゴツゴツした鱗に覆われた尾を振った。勢い良く薙ぎ倒された人々は地面に叩きつけられ、呻き声すら上げられなかった。そこへ、別の竜の鋭い爪が襲う。 竜の陽の部分にしか接してこなかったブラッドは声が出なかった。瞬きを忘れ、竜の凶行を震えて見る事しか出来なかった。 涙が溢れるのは煙のせいだけではなかった。 戦闘に特化した竜の凶行を初めて目の当たりにしたブラッドに気づいたレオンは、眉間に深い皺を刻んで舌打ちをした。 本来、竜は気性が荒い。 好戦的とも言う。 卵から人の手によって育てられ、調教されているからこそ騎士を背中に乗せるが、絆を結んでいない人間には冷淡だ。仲間意識が強いからだ。 ブラッドに対して人懐こいのは、彼が『竜の愛し子』だからだ。 それ故、血の滲むような努力で調教師となった者や目指す者は、何の努力も無しに竜に好かれるブラッドに対し嫉妬し、妬み、憎むのだ。 レオンはそっとブラッドの眼を掌で覆っていた引き寄せた。その手にブラッドは自分の手を重ねた。冷たく、震えていた。 「レオン……、悲鳴が聞こえるよ……?」 「……」 「血の臭いがする……、いっぱい、怪我人がいる……」 「ああ……」 レオンの腕の中は暖かく心地好い。厚い胸板と硬い腕は安心感を与えてくれる。 だが……。 「ユリウス先生が、あの中にいる……」 レオンの手を外し、ブラッドはへたり込みそうになる脚を叱咤して踏ん張った。自分だけ安全な場所で隠れている訳にはいかない。 「先生を手伝う約束で来たんだもの」 袖で涙を拭い、ブラッドは避難所へ向かって走り出した。 ユリウスは矢と火を避けて建物の陰に隠れるよう声を張り上げていた。 建物は容易に焼けないよう作られていた。屋根には雨が染み込まないよう分厚く蝋が塗られ、壁は焼き煉瓦で頑丈だ。火のついた油は滑り落ち、矢と槍を煉瓦の壁が弾く。 だが、恐慌状態に陥った人々の耳にユリウスの叫び声は届かず、矢が刺さったり槍に貫かれて倒れる者、服に油と火がついて転げ回る者は増えていく。 そこに黒い竜が降り立った。 ゴツゴツと盛り上がった鱗を纏った竜は、太い尾を不規則に振り、逃げ惑うだけで無抵抗な人々を薙ぎ払った。 「何て酷い事をっ……!」 その中には子供を庇って飛ばされた母親や、逃げ遅れた老人がいた。 ユリウスは激しく地面に叩きつけられた衝撃で動けない人々に駆け寄った。幸いにも死亡した者はいなかったが、呻いて直ぐには動けない者が多かった。 立ち上がれる者には建物の方へ逃げるよう叫び、ユリウスは側に倒れていた女性の腕を肩に回して立ち上がろうとした。そこへ、またも黒い竜が降りてきた。 背には鈍く光る黒い鎧を纏った兵士が乗っていた。 兵士は無表情で槍をユリウスに向けて構えて投げる動作に移った。放たれた槍の鋭い先端がユリウスに迫る。 ユリウスは死を覚悟して眼を閉じようとした。 「先生ーーーつ!!」 ユリウスと槍の間に赤毛の小柄な躰が割って入った。 「ブラッド!!」 自分を庇ってブラッドが槍に貫かれる様が見える。 が、槍の先端はブラッドの背には届かなかった。黒髪の青年が槍の柄を掴んでいた。 「先生っ、手伝います!」 ユリウスの反対側に回り、ブラッドは女性を支えて立ち上がった。 槍を止めたレオンは、そのままくるりと回して元の持ち主に向けて放った。槍は兵士を貫いた。 乗り手がいなくなった竜がレオンに向けて咆哮し、鋭い爪を振り下ろした。その一撃を難なく片手で受け止め、竜の顎に剣で貫いた。 剣の刃は竜の頭まで貫き、無造作に抜くと音を立てて倒れて動かなくなった。 「先生、騎士団は北方軍と交戦に入った。こっちにまで戦力くを分ける余裕がない。急いで砦へ向かう」 上空から降ってきた槍を剣で払いながらレオンが言った。 「でも、この状態では……」 「奴等はここを駐留地にする為に攻撃しているのだろう。追ってまで殲滅しようとはしない筈だ」 「わ、分かりました。村長さん達を探します」 「いや、反対側から誰かが逃げれば、皆がそれに続く。騎士団が時間を稼いでいる内に、早くっ!」 「分かりましたっ」 「レオン、ぼく、荷馬車を探して来る。歩けない人を乗せないと」 「待て、それは俺がやる。ブラッドは怪我人をここに纏めておいてくれ」 「任せて」 ブラッドは大きく頷いた。 北側の柵の近くに馬を繋いでおり、荷馬車もその近くにあった筈だ。レオンは怪我人に声を掛けているブラッドを見てから、北側に向かって走り出した。 後にその判断を悔やむ事になるのだが……。 兵士に襲われている人を助けながらレオンは砦へ逃げろと叫んだ。人々は家族や怪我人を庇いながら避難所から砦の方向に走った。 北側の柵近くに馬が数頭繋がれていた。側には荷馬車もあった。 馬は炎と竜の咆哮に恐慌状態で興奮していた。 騎士団の騎馬のように大きな音に驚いたり興奮しないよう訓練をしていない、普段は農耕や荷車を引く仕事しかしていない馬だ。 レオンは鼻息も荒く後ろ脚で立って興奮しきって嘶いている馬の手綱を掴んだ。それらの馬の頭に手を当て、魔力を流す。 途端に荒かった鼻息が鎮まり、馬はレオンに擦り寄って甘えた。 レオンは躰の大きな馬を二頭選んで荷馬車に繋ぎ、残りの馬を鋭い口笛を吹いて外へと走らせた。馬は指示されていないにも関わらず、砦方面へ駆けて行った。 荷馬車を引いて先程の場所に戻ると、ブラッドの姿が無かった。 「ブラッド! どこだ!!」 安定しない魔力のせいで、ブラッドに埋めた自分の鱗の気配すら感じられない。 (違うっ。俺の力不足だ!) レオンは額に拳を当てた。鈍い音がしたが痛みは感じられなかった。 「くそっ」 建物の陰に回ると意識のないユリウスが倒れていた。 「ユリウス先生っ」 抱き起こして顔に掌を当てると、弱々しいが温かな呼吸を確認出来た。ほっとして躰を見たが目立った怪我は無かった。 「うっ…ん……」 ユリウスがうっすらと眼を開けた。 「先生、大丈夫か?」 焦点の合っていない視線がレオンを捉えた。 「レ、レオン…?」 「無理に起きなくていい。先生、ブラッドはどこに?」 「うう……」 ゆるゆると頭を振り、ユリウスはレオンの助けを受けて起き上がった。 「ブラッド……。……ブラッド!」 ユリウスは勢い良く周囲を見回したかと思うと頭を抱えて呻いた。 「先生、頭を打っているかもしれない。無理に動かすな」 「わ、私はいいんです。それよりブラッドが」 ユリウスの顔は頭の痛みとは別の理由で蒼白になっていた。 「ブラッドが連れていかれましたっ」

ともだちにシェアしよう!