85 / 156
第85話
混乱の中、気がつくとブラッドが十数人の男達に囲まれていた。皆一様に外套を頭からすっぽり被り、顔が見えなかった。
その中の一番小柄な少年らしい人物がブラッドに近づき、何か話しかけてきた。話を聞いていたブラッドの背中が強張ったように見えた。
彼らから殺気のようなものが放たれており、不吉な予感がしたユリウスは、ブラッドの側に行こうとした。
だが、ブラッドを囲む彼らに阻まれ、手が届かない。
「ブラッド! こちらへ!!」
叫びながら強引に間に割って入ろうとした時、後頭部に衝撃を受けてユリウスは意識を失った。
「本当に、申し訳ありません……」
ユリウスはレオンに深々と頭を下げた。
「いや、先生に大きな怪我が無くて良かった」
自分を助けようとして誰かが怪我をする事は、多分、ブラッドの望む事ではない。
「先生は先に砦へ向かってくれ」
「でも……!」
「護衛出来れば良いのだが……、すまない…」
「いいえっ。私もブラッドを探します」
ユリウスはレオンにしがみついて懇願した。
「私だけ砦に戻る事は出来ません。戻るのなら、皆、一緒に戻りましょう」
「…分かった。お願いする」
ユリウスは大きく頷いた。
上空に北方軍の黒竜が増えだした。
「鬱陶しいな……」
レオンが忌々しげに見上げた。
眉を顰め、舌打ちをした。蒼穹の瞳が金色に細く輝き始めた。
いっそ、竜身になって全部叩き落としてやろうか……。
口許から鋭い牙が覗き、髪が僅に逆立ち始めた時、青銅色の竜の群れが飛来した。竜は黒の鎧を身につけていた。
青銅色の竜は、自身より一回り大きな黒竜に躊躇する事なく、次々と体当たりをした。厳つい黒竜が押されている程の勢いだ。
「竜が……、飛んでいます。けれど、あちらの竜は飛んでいません」
呆然としてユリウスが呟いた。
体当たりをしている竜の上に見知った顔があった。
「ジークムント…、アルベルト…!」
黒竜が体勢を崩したところへアルベルトがすかさず矢を射った。矢は兵士の鎧の継ぎ目に刺さり、そのまま兵士は黒竜から落ちた。
ジークムントは、体当たりで怯んだ黒竜にひらりと乗り移り、槍を大きく振って相手の腹に叩き込んだ。兵士は踏ん張る事も出来ずに、吹き飛んで落下した。
相手が落ちると同時に自分の騎竜に戻り、ジークムントは次の敵に狙いを定めた。
アルベルトや他の竜騎士もジークムントに倣った。
アルベルトは相手より高い所から黒竜へ飛び降りた。兵士は剣を抜く間も与えられず、アルベルトの槍に突かれて落ちた。
「先生っ、隠れていてくれっ」
騎竜は自分の竜騎士が危機に陥ると狂暴になる。落ちた兵士を助ける為に向かって来るであろう黒竜に対し、レオンは剣を構えた。
ところが、黒竜は落ちた兵士に見向きもせず、あっさり飛び去ってしまった。
「何だと……?!」
竜と竜騎士の絆は深い。
命を預け合っているのだから、互いに助け合うのが通常だ。
それなのに、黒竜は糸が切れたように飛び去った。路傍の石でも見るかのように、何の感情も表さず……。
レオンは眼を凝らせた。
青銅色の竜と竜騎士の間には赤い光の帯が繋がっている。互いの絆を表す命の帯の色だ。
それが北方軍の竜と兵士には無かった。
絆を結んでいないのに、人を乗せているのか?!
レオンはぐっと屈んで脚に力を込めた。
「レオン? 何を……」
「先生、何か縛る物を探して来てくれ」
そう言うと、レオンは助走も無しに軽々と跳躍し、ちょうど真上にいたジークムントの竜の背に乗った。
「あっ、あんた……っ!!」
「相手を全員竜から落とせっ!」
驚くジークムントに構わず、レオンは叫んだ。
「向こうは竜と絆を結んでいない。兵士が離れるか意識を失うと、竜は陣に戻るよう躾られているようだ」
「……成る程」
振り返ると、アルベルトが槍を放って敵を竜から落としていた。ジークムントと眼が合うと、大きく頷いた。
「伝えて来るっ!」
「ここは俺とジークムントで十分だ! 他は全員向こうを頼む!!」
「おまっ…、何を勝手にっ」
ジークムントの抗議を背にし、レオンはアルベルトに狙いを定めて槍を構えている兵士の竜に飛び乗った。その槍を掴み、自分の方へ引き寄せたかと思うと竜から蹴り落とした。
その竜が飛び去る前に、目の前の竜に飛び移る。
「あーっ、畜生っ! 負けてられっかよ!!」
叫んで、ジークムントは槍を敵兵に向けて放った。
「シルヴァン! 片っ端から叩き落とすぞ!」
北方軍の兵士を竜から落とし、避難所周辺の制空権を握った頃、地上戦でも片が着いていた。
「あんた、何やってたんだよっ!!」
ブラッドが連れ去られた事を聞いたジークムントは、籠手を嵌めたままレオンの頬に拳を叩き込んだ。側にいたアルベルトが止める隙も無かった。
体重の乗ったジークムントの渾身の拳だったが、レオンは半歩引いただけで堪えた。竜騎士らは驚愕しながらも、誰もレオンに話し掛ける事なく、避難所周辺の消火に向かった。
落ちて倒れていた、比較的、負傷の軽い北方軍の兵士は縛り上げられ、動けない者をユリウスが手当てをしていた。
怒りの収まらないジークムントがもう一度拳を振り上げた時、グレアムとマキシムが間に入った。
「ジークムント殿、我らの落ち度なのですっ」
「御子様の側を離れたのは、我らの判断が甘かったのです」
二人は深々と頭を下げた。
「グレアム殿、マキシム殿……」
「敵軍の到着の速さに浮き足立ってしまいました。面目無い……」
グレアムは悔しげに下唇を噛んだ。
「お二方には、別に落ち度など……」
「いいえ、何が起きても側を離れるなとの命令でした。我らは、その命令に反したのです。懲罰ものです」
「日蝕の影響で竜が飛べず、思っていた以上に手間取ってしまった。しかし、それは言い訳にしかなりません……」
マキシムの言葉にジークムントとアルベルトが顔を見合わせた。
「俺達は、何とも無かったぞ……?」
ジークムント隊が遅れた理由はただ一つ、斥候の報告より北方軍が多かったからだった。それでも関所を確保し、合流場所である避難所へ急行した。
そこで、何故か竜騎士らが飛ばずに、騎馬隊と一緒に地上戦を繰り広げていたのを見たのだ。
「レオン殿が言うには、魔力が不安定で竜が飛べないとの事です」
「どういう事だ?」
ジークムントがレオンに向き直った。
「…言葉通りだ。今は大分落ち着いてきたが、日蝕の影響で魔力が不安定だった。だから、竜は翼に魔力を溜められず飛べなかった」
「俺ら竜は、何で飛べたんだ?」
レオンは眼をすがめてジークムントの騎竜を見た。
「……加護だ」
「加護?」
「愛し子の……、ブラッドの加護の力がお前達を竜ごと覆っている。怪我もそんなにしていない筈だ」
「…確かに……」
「加護は、愛し子が生きている間、途切れる事は無い」
ジークムントは睨むようにレオンを見つめた。
「つまり、俺らの加護が途切れないてない内は、ブラッドは生きている、と言う事だな?」
「そう言う事だ」
だが、生きているから『無事』とは限らない。
無表情のレオンの胸中は焦燥の嵐が吹き荒れていた。
ともだちにシェアしよう!