87 / 156
第87話
少年の後ろから数人の男達が入って来た。同様に深く被っていた外套を脱ぐと、少年と同じように顔の一部が黒く硬化していた。中には、手の甲まで黒くなっている者がいた。
皆一様に少年と同じくブラッドを睨みつけている。
何故、自分に憎悪が向けられるのか、ブラッドには分からない。その上、彼らには憎悪以外に不吉な気配が漂っており、ブラッドの肌をピリピリと刺激した。
「本当に、大丈夫なんだろうな?」
大柄な男が少年に話しかけた。
「イアソンが言うには、こいつ、竜の卵売りのイロなんだってさ」
少年が吐き捨てるように答えた。
「へぇ……」
男がしゃがんでブラッドの前髪を乱暴に掴んだ。その掴んだ髪ごとブラッドの頭を持ち上げ、男は自分に顔を向かせた。
ブラッドは、痛みと恐怖に悲鳴が出そうになったが、理不尽な暴力に屈するものかと、奥歯を噛んで何とか堪えた。
竜の卵売りの色子をしているのだから、擦れて、男に媚びた眼をした餓鬼だと思っていた。
だが、思いがけず無垢な大きな瞳と目が合い、男は怯んだ。森の奥の澄んだ沼のような翠の瞳には、何人も汚す事を赦さない厳かさがあったからだ。
それとは対をなす、誰をも魅了する可愛いらしい容貌に、男は一瞬、息を飲んだ。
「ちっ!」
男は舌打ちをして、自分が気後れしているのを周囲に悟られないように、更に髪を掴んでいる手に力を入れた。後ろを振り返って合図すると、一人が小刀を男に差し出した。
受け取った男は、わざとブラッドに小刀を見せつけ、白い頬に数度、刃を叩きつけた。
ブラッドは禍々しく光る刃から眼が離せなかったが、助けを乞おうとはしなかった。
男は再度舌打ちをし、頬に当てていた小刀で、掴んでいた髪をざくざくと切り始めた。
自分の髪を切られる音に、大きな眼を更に見開き、ブラッドは唇を噛んで耐えた。
ふと、掴まれていた頭が軽くなった。
手一杯に 切り取ったブラッドの赤い髪の塊を、男は少年に差し出した。少年は無言で布に包み、入り口近くにいた男に渡した。
「こいつを見せれば、卵売りは必ず来るんだろうな?」
「よっぽど具合いが良いみたいで、ずっと一緒にいたからね。すぐに来ると思うよ」
少年が吐き捨てるように言うと、小屋の中にいた男達が蔑むような、意味ありげな表情でブラッドを見下ろした。
「どうして……」
ここで、初めてブラッドは声を出した。
「その顔は……?」
少年が振り返った。
「どうして?! お前の男が呪詛を破ったりするからだよ!!」
ブラッドは驚愕の表情で少年を見上げた。呪詛は、人として絶対にやってはいけない事ではないか。
「じゃあ……それは……」
「そうだよ! 返された呪詛だよ、お前の男になっ!」
少年は激昂してブラッドの胸を蹴った。
「こんな大事になったのも、お前らが砦に来たからだ」
ブラッドは衝撃に咳き込みながらも、躰を起こして少年を見上げた。
「……呪詛は……、いけない事だって…太陽神、様の……教えだって、知ってる、でしょう?」
「そんな大袈裟な事じゃない。ちょっと具合いを悪くさせて、俺達が世話をして回復させる予定だってんだ」
「ちょっと……? 竜が……空を飛べなくなる事が、ちょっと?!」
「そのくらい、何て事ないじゃないかっ」
「竜騎士の方々も床に伏してたんだよ?! 原因が分からなくて、死を覚悟していたんだ……」
絆を結んだ竜と竜騎士が互いを想い合って、自分よりも相手の回復を望んでいた。呪詛を解呪したからといって、直ぐに体力が戻る保証も無い。それでも彼らは戦に向かったのだ。
「…ほんの、ちょっと具合いが悪くなるだけだって、そう言ってたんだ」
調教師になるには長い時間修行しなくてはならない。雑用ばかりで、竜に触れるまで何年も待った。その上、竜は、なかなか懐いてくれない。こんなに世話をしているのに、と、段々苛立ちが募ってきていた。
だから、あいつの口車に乗った。
竜は賢い。ほんの少し具合いを悪くさせて、自分達の世話で回復したら、竜が感謝して懐いてくれるかもしれない。そうしたら、調教師になれるのも早いかもしれない。
飛べなくなる程、竜騎士も衰弱する程に重くなるとは思わなかった。
「他人のせいにするの?」
腹の底が熱かった。
未だ嘗て覚えのない感覚だった。
こんなに怒る事など無かった。
ブラッドは、生まれて初めて怒りという激しい感情を覚えていた。
「あなた方は、何をしたんですか?!」
ブラッドは髪を切った男に向かって言葉を続けた。
「その症状は、呪詛を返されたんでしょう?!
何をしたんですかっ?! 」
先程まで小鳥のように小刻みに震えていたブラッドの迫力に、男達は気圧された。
「し、仕方なかったんだっ」
言い返したのは、髪を切った男だった。
「今年は、春から魚が不漁で……このままじゃ、冬の蓄えが出来ない。そうしたら、俺らの小さい村は全滅だ。だから……」
不漁の日々が続き、男達が集まって相談していた所に見知らぬ男が現れた。男は皮袋に入っていた大量の黒い小石を砦の井戸に入れたら、大陸共通の金貨五十枚やると持ちかけてきた。
それだけあったら一年どころか、数年は村の暮らしが楽になる。
男達に断る選択肢は無かった。
砦に野菜や干し魚を納めるついでに、砦の井戸全部に黒い小石を投げ入れた。それが呪詛だと分かったのは、皮膚が、投げ入れた小石のように黒ずんで固くなったからだ。
騙されて使われたとしても、呪詛は呪詛。破られたら、かけた者に返るのが道理だ。
だが、それとレオンとの関係が分からない。
破ったレオンに対する復讐なのだろうか。
「色子が、偉そうにべらべら喋るんじゃねぇっ!」
手についたブラッドの髪を払いながら男が怒鳴った。
「竜の卵が要るんだよっ。大量にな!」
「卵……?」
「呪詛を肩代わりして貰うんだよ」
少年が答えた。
「一人に対して最低一個必要なんだ。竜の卵売りだったら、竜の谷の場所は知っているだろう? 卵をたくさん取って来て貰う」
「そんな、恐ろしい……こと、を……」
竜にかけた呪詛を消すには、竜に犠牲になって貰うしかない。
反省するどころか、彼らは自分達が被害者であると主張しているのだ。知らなかった、利用されたのだから仕方ない、と……。
「皆、苛々してるんだ。余計な事を喋らないで、大人しくお前の男を待ってろよ」
少年は言い捨てると小屋を出でて行った。
小刀を持った男が膝をついて、ブラッドの喉元に鋭い先端を突きつけた。ひやりとした刃の冷たさに、ブラッドは息を飲んで躰を強張らせた。
男は無言でその刃を服に走らせた。
切られた服の間から、白く滑らかな肌があらわになった。
「お前、色子なんだろう?」
男の意図を悟った他の男達が、ブラッドの周りに集まってニヤニヤ笑った。
小刀を捨てた男がブラッドの服を裂いて広げた。真珠の粉をまんべんなく叩いたように滑らかな肌が男達に晒された。辺境の人間には一生縁の無い、王都の高級娼婦の肌のようだと思った。
実際は、多大な努力で肌を磨いている高級娼婦とは比べ物にならない程、ブラッドの肌は滑らかに輝いていたのだが、彼らには分からなかった。
晒されたブラッドの薄い胸には、レオンに愛された薄紅色の痕が、ほんのりとついていた。
無垢なあどけなさと、夜の営み想像させる艶やかな肌との対極に、男達は息を飲んで喉を上下させた。
無遠慮に撫で回す男の手の意味を、ブラッドは今はもう知っている。何をしようとしているのかも。肌が粟立った。
レオンには深い愛情があって温かかったのに……。
今、ブラッドを見下ろしている彼らの眼には冷ややかな蔑みがあり、嗜虐の暗い悦びに興奮していた。
ブラッドは身を捩って男の手から逃れようとした。しかし、手足を拘束されていて、思うように躰を動かせない。
唐突に足が自由になった。誰かか足の縄を切ったようだ。暴れようとした足を何本もの手が掴んで押さえられた。
大量の虫が這ずり回っているように肌がざわついた。
「嫌だっ! 触らないでっ! 離してっ!」
暴れるブラッドを押さえつけながら、服が破られ上半身から布が剥ぎ取った。
「離してっ! 嫌だ…。レオンッ。レオンッ、レオンーーッ!!」
ブラッドの額が、焼きごてを押しつけられたように熱くなった。
ともだちにシェアしよう!