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第93話

ウォーレン・バルテルは小さな領地の子爵家の次男だった。 元々は先代のオイレンブルク侯爵に仕える竜騎士だった。 十年前、王位継承を発端に内乱が勃発した。 その内乱で先代オイレンブルク侯爵は王太子側(現国王)につき、激しい戦闘の中でウォーレンは自分の騎竜を失い、竜騎士を辞めた。 内乱は激戦に次ぐ激戦だった。先代オイレンブルク侯爵は負傷しながらも勇敢に騎士団を指揮をし、勝利を見届けると亡くなった。 成人前であったが、フェリックスがオイレンブルク侯爵を継いだ。 竜騎士を辞した者は後継の育成に当たるか、竜の調教師と共に竜の世話につく者が大半だった。 だが、ウォーレンはそのどちらでもなく、オイレンブルク領の騎士団から去った。 否、去ろうとした。 王権側で武功をたてていたおかげで褒賞金もたっぷり頂いたし、暫くは気ままにのんびり過ごそうと思っていた。それを押し留めたのが現オイレンブルク侯爵フェリックスだった。 内乱で深刻な人材不足となった王国では、若くとも優秀な貴族を次々と登用し、重要な役職につけていた。フェリックスもその一人だった。 内乱で反乱側に加担した王族が治めていた領地の代理として抜擢されたのだ。領地内では、処刑された前領主に連なる者も少くなかった。 そこで、領地内の貴族や街の有力者の内情を探る人間が必要となった。 フェリックスは個人で武功をたてる程の剣の腕前と、斥候や潜入を得意とするウォーレンの辞職を取り消した。 当初は渋っていたウォーレンだったが、報奨の提示や支払いの気前の良さに、今では先代侯爵の元にいた時よりも気持ち良く働いている。 ウォーレンがブラッドの様子をそれとなく見るようにとフェリックスから命令が下ったのは、城で預かる騎竜の数が急激に増え始めた頃だった。辺境領や国境警備の砦へ向かう中継地でもある城では、許容量いっぱいの騎竜が竜舎にひしめいていた。 調教師として竜舎に出入りしていたウォーレンは、ブラッドが連れて来られてからも注意深く城内の人々の動向を探った。 その頃から、度々騎竜が体調を崩す事が増えてきた。落ち着きが無く、食欲も落ち、睡眠も短くなり、暴れて竜舎を壊す騎竜も出た。 ところが、鼻息も荒く気が立っていた騎竜がブラッドの前では猫の仔の様に大人しくなるのだ。例外は無く、どの騎竜もブラッドが側を通ると優しく、慈愛に満ちた眼を向ける。 それが調教師らには面白くない。 暫くして、ブラッドへの陰湿な虐めが始まった。怪我をさせる事もあったが、彼らは目立つ部分には姑息にも痣の類いを作らなかった。 フェリックスに報告すると、彼は少し思案し、口の端を吊り上げて「何もするな」と答えた。 「ブラッドの事は表立って庇わないように。それよりも騎竜の体調の変化には気をつけておくように」 但し、命に関わる時は例外だと付け加えた。 ウォーレンはフェリックスの答えを意外に思いながらも頷いた。主が連れて来た少年である。口を出す必要をこの時は感じなかった。 職人気質のミュラーは、誰がどの騎竜の世話をしたかをすべて覚えており、色々と注意したり様子を見たりしていたが、体調を崩す騎竜は出続けた。ウォーレンはミュラーを手伝いながら、騎竜が口にする餌や水に毒物が混入されていないか探り続けた。 不思議な事に、ブラッドの手が触れた水や餌を食べた騎竜は全く体調を崩さなかった。それどころか、狭い竜舎で苛々していた騎竜の機嫌が良くなり、食欲も増して睡眠も取れるようになったのだ。 最初に気がついたのは、調教師筆頭のミュラーだった。 当初は毒物混入の犯人ではないかと疑っていた様だが、騎竜の機嫌が良ければ世話がしやすいので放っておく事にしたようだ。 積極的ではないが、水汲みや竜舎の掃除などをさせるようにした。ブラッドが竜舎に出入りするだけで騎竜の機嫌が良いからだ。 それが調教師見習いの少年らには気に食わない。 どうしてミュラーは調教師見習いでもないブラッドを竜舎に出入りさせているのか。自分達も同じ様に世話をしている。それなのにブラッドだけが竜に好かれるのはおかしい。 何か秘密の方法があるに違いない。 だが、直接ミュラーに訊ねるなど出来ない。 ましてや、調教師見習いでもないブラッドに訊くなど、あり得ない。 焦燥と嫉妬が、更にブラッドへの虐めの陰湿さが増すのは自然の流れだった。 人の陰の部分に晒されながらも、ブラッドは城内の下働きを手伝いながらも竜の世話を続けた。素直で賢く、人当たりの良いブラッドに心を開く者も多かった。 そんな頃、ブラッドの黒い噂が急速に流れ始めた。 孤児院ではなく、娼館の育ちである。 稚児として躰を売っていた。 娼館で不祥事を起こし、奴隷として海の向こうへ売られそうになった時、侯爵を躰で誘惑して買い取ってもらった。 城内で金品が度々無くなっているのは、ブラッドが犯人らしい……。 実際、城内で金品が無くなったりした事は無い。フェリックスの下では、帳簿に一切の不正は赦されておらず、個人の私物から城内の廃棄物まで厳しく管理されていたからだ。 誰かが故意に悪意のある噂を流し、城内の人々の眼がブラッドに向くように仕向けているのではないか。 その陰で、何者かが何かを行おうとしている、もしくは行っているのではないかとウォーレンは考えた。 ブラッドには見習い達となるべく関わらない様に、庇っているのを悟られないよう厳しい態度で竜舎以外の仕事を振ったりした。 ウォーレンはミュラーを省いた調教師や見習いだけでなく、騎竜の餌を含んだ食糧を運ぶ業者や一般の使用人の動向にも眼を配った。誰が何を運んだか。誰が何を噂していたか……。 そこで、調教師見習いの一番年嵩の少年の動きがおかしい事に気がついた。 彼は常に自分は手を下さず、年下の少年らを焚き付けてブラッドを虐めさせていた。ミュラー以外の調教師らには少年らを使って、ブラッドのあり得ない噂話を吹き込んで悪印象を与え続けた。 更に、城内の下働きの者達にまでだ。 その陰で少年は、懸命に働く素振りで何度か騎竜に近づこうとしていた。その度に、偶然を装ってウォーレンが邪魔をした。 なかなか証拠を押さえる事が出来ずにいると、ブラッドが身持ちの悪い調教師に襲われる事件が起きた。 このままでは怪我だけでは済まない事態になるかもしれない。ウォーレンはフェリックスにブラッドを暫く城から出してはどうかと提案した。 ちょうど城には辺境伯が訪れていた。 国境付近がきな臭く、フェリックスと警備について会談する為だ。そこでフェリックスは辺境伯にブラッドを預ける事にした。 ミュラーは、ブラッドが常に騒動の中心にいる為、城から追い出すのだと勘違いした。 ウォーレンは青ざめて城を出たブラッドを可哀想に思いつつも、懸念のひとつがなくなり、仕事がしやすくなったとほっとした。 ところが、騒動はブラッドの中心から動く気はなかった。 調教師見習いの年嵩の少年が焚き付けた事で竜の暴走が起こったのだ。 「その者の身許が分かったのか」 ローザリンデが眼を細めてウォーレンを見た。 視線だけで射殺されそうだと思いながらウォーレンは頷いた。 「港街の商家の親類の子供で、名はサイラスとなっていますが、北方の出身で間違いないです」 「そいつ一人で、この騒動を起こした訳じゃないでしょう?」 ジークムントが無表情で訊いた。 普段は陽気過ぎる程表情が豊かだが、怒りが頂点に達すると無表情になる。 「村人の買収に子供は不向きだ」 「はい。間者が数人領地に入り込んでいるのを確認しております」 ウォーレンは年下であるジークムントに丁寧な言葉で返した。主である侯爵の弟だからだ。 「……アルベルトに怪我を負わせた奴らか」 「そうです。レオン殿が捕縛したと聞いておりますが」 じっとウォーレンの報告を聞いていたレオンが視線を上げた。 「捕らえたが……皆、殺された」 自害させないように刃物の類いは全て取り上げ、口には猿轡をしていた。だが、その晩、何者かによって殺されていた。一様に喉を斬られて。 「サイラスでしょう」 「あの子供が?」 ジークムントが眉を寄せて呟いた。 「あれは見た目通りの子供ではありません。北方国の暗部を担っている黒い一族の出です」 「成る程な」 温くなったお茶を飲み干し、ローザリンデは口の端を吊り上げ、狂暴に嗤った。ブラッドには決して見せる事のない、獰猛な肉食獣のものだった。 団長が呼んでいると言われたユリウスは、地下の鉄格子が填まっている部屋に案内されていた。 避難所ではあるが、邪な考えを持つ者が出ないとも限らない。その為の地下室らしい。 部屋には既にローザリンデとラファエル、そして、ジークムントとレオンがいた。 自分が呼ばれた原因は、鉄格子の向こうにいた呪詛に犯された村人だと分かった。 「伯爵、この人達、私に下さいませんか?」 ユリウスが嬉々としてねだった。

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