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第94話
ラファエルは嘆息を吐いてユリウスの頭に拳をしたたかに落とした。
「うっ…、痛いですラファエル……」
頭を押さえ、ユリウスは涙目で唇を尖らせた。
檻の向こうでは、呪詛を身に受けた男達が力なく座り込んでいる。グレアムは男達の陰に隠れるように躰を小さくしていた。
ローザリンデとレオンの端整な顔には感情は全く無く、ジークムントは嫌悪を含んだ表情を隠そうとしていなかった。一番後ろに立っているウォーレンは調教師の筈なのに、今、彼の腰には何故か剣があった。
(どういう事……? 調教師じゃないの?)
それよりも不気味なのは、嬉々とした顔で自分達を見ているユリウスだ。面白そうな玩具を見つけた子供のように無邪気だが、自分らをくれと言った意味が分からない。
「年齢も症状の出方も様々です。女性もいたら比較対象があって完璧だったのですが、贅沢は言えません」
ユリウスはねだるようにラファエルを見上げた。
「彼らの事情聴取に私も立ち合っても良いでしょうか? 色々訊きたい事がいっぱいあるのです」
ラファエルは無言でローザリンデを見た。
「どうせ、この者らからはロクな情報は得られまい。裁判の時間も惜しい。先生の好きに研究されよ」
「良いのですかっ?!」
「裁判にかけたとしても結果は変わらん。国家反逆罪で死刑だ」
ローザリンデの言葉に 、男達の顔から血の気が引いた。自分達は、そんな大それた事はしていない。捕縛された時もしていた言い訳を口々にした。
「可笑しな事を言うなぁ、お前達は?」
ジークムントが檻の近くに歩み出た。
「国境を守護する砦の井戸に呪詛という毒を入れて戦力を削ぎ、敵国の工作員を招き入れ、呪詛を撒き散らせて機能不全にしたあげく、辺境の地を危機に陥らせた。立派な国家反逆者だ」
男らを睥睨し、ジークムントが剣の柄に手を掛けた。
「団長、縛首にするより、この場で首を跳ねてしまえば後腐れが無いし早いのでは?」
砦に出入りしていたのだ。もしかしたら、潜入していたアルベルトの情報を洩らしていたかもしれない。彼程の手練れがあっさり見つかるなど、ジークムントには納得出来なかった。
更に追っ手がかからなければ、あのような大怪我を負わなかったかもしれない。
「まぁ待て、ジーク」
ラファエルがジークムントの肩に手を置いた。
「殺してしまっては、呪詛の経過観察が出来ない。精々、ユリウスの研究の役に立って貰おう」
ラファエルの言葉に、ユリウスは眼を輝かせた。
「先生、必要な物を運ばせよう。檻の中には絶対入らない、近づかない。それを守るのであれば、いくらでも研究するが良かろう」
「ありがとうございます、伯爵様っ!」
ユリウスは男らの名前と年齢を記した名簿を受け取り、備えつけられた机と椅子を檻の前に移動させた。紙の束を持って椅子に座り、檻の中の監察を嬉々として始めた。
こうなると、誰の声も、どんな大きな音もユリウスには届かない。隣の部屋が火事になっても気がつかない。
「俺がユリウスを見張ってますから、団長は上へお戻り下さい」
ラファエルの提案にローザリンデは首を横に振った。
「時間が惜しい。夜明け迄に布陣を整えたい」
「…では、手透きの者をつけましょう」
若い兵士に注意事項を言い含めてユリウスと檻の監視を指示し、ローザリンデらは地下室から出た。
一階の講堂は怪我人の治療場となっていた。
ユリウスは地下へ潜ってしまって出て来ないので、手当ては軽傷の者が行っていた。その中に忙しく動き回っている赤毛があった。
倦怠感が強く動けない者に、薬草茶を配っているようだ。自分も治療を受けた側だというのに。
レオンを見つけたアルベルトが駆け寄って来た。
「レオン殿、ブラッドなのだが……」
アルベルトが小声で話し掛けてきた。
「アル? どうした?」
隣にいたジークムントが訊いた。
「もう、夜も遅い。なのに、ブラッドが休もうとしないんだ」
心配気にブラッドを見やり、アルベルトは言葉を続けた。
「休めって言ったけど、全然眠くないから手伝うって言い出して……。けど、疲れてない筈ないんだ。顔色も悪いし……」
ブラッドの元へ行こうとしたジークムントをラファエルが制した。
「レオン殿、二階の奥の部屋が空いている」
レオンは頷いてブラッドへ早足で向かった。
月は中天から傾きかけていた。
アルベルトに休むように言われたが、全く眠気が訪れる気配が無い。一人、寝台で横になっているより、忙しく躰を動かしていたかった。
呼び出されたユリウスはまだ戻って来ておらず、ブラッドは怪我人の手当てを手伝う事にした。
幸い、命にかかわるような重傷者はいなかったが、呪詛に触れた者達の酷い倦怠感を緩和させる薬草茶を大量に作って配った。
自分に出来る事は限られている。
戦いに参加出来るような剣の伎倆も無い。だから、後方支援の手伝いだけでもしようと思った。
少しでも助かったと思って貰えたら、胸の奥の重苦しさも軽くなるような気がした。それでなくとも、ユリウスの手伝いに来たのに拐われて、北方軍との戦闘で忙しい騎士団に迷惑をかけたのだ。
何かしなくては申し訳がない。
いや、何かしていないと心がざわついて落ち着かなかった。
薬草茶を一通り配り終わったブラッドは、血や泥で汚れた包帯や布を抱えて外の井戸へ向かった。広場は篝火が焚かれ、真夜中だというのに明るく照らされており、騎士や兵士が忙しく往き来していた。
布を洗う為に盥に水を注いでいると、背後から桶を取り上げられた。
振り返ると、厳しい表情のレオンが立っていた。
レオンは布を盥の水に浸すと、無言で膝を掬ってブラッドを抱き上げた。
「レ、レオンッ?!」
「アルベルトに休めと言われただろう」
「そうだけど……、全然、眠くないし……。あ、あのね、包帯とか洗っておかないと、血って落ちにくいから……」
「そういった作業は見習い達の仕事だ。人の仕事を取り上げるものではない」
「う……、でも……」
ブラッドの反論を目線で遮ったレオンは大股で建物に戻り、宛がわれた部屋へと向かった。途中、アルベルトと擦れ違ったが、彼はどことなくほっとした表情で二人を見送った。
レオンの腕の中でそっと見上げると、眉間に皺が刻まれていた。
助けて貰った上に勝手な事をして、また迷惑をかけてしまった。それを怒っているのだろうか? 呆れられた? それとも嫌われた?
そう考えると、温かい腕の中だというのに、氷を飲み込んだように身の内側から冷えていくようで躰が震えた。
「ブラッド?」
躰を強張らせ、無言になったブラッドの顔を覗き込むと、白い頬を青くして小刻みに震えていた。
「どうした? 具合が悪いのか? ユリウス先生を呼んで来ようか」
「ご……な…さ、い…」
「何を言って…」
「ごっ、ごめんな、さい……。ごめん、なさ、いっ……」
しゃくりあげながら謝ると、ブラッドの大きな瞳からは熱い雫が次々と零れ落ちた。
レオンは思わず足を止めて謝り続けるブラッドを見下ろした。
「何を謝るんだ…」
「だっ、だって…、迷惑ばっか…かけて……」
何かを言わねばと思った時、後ろから人の気配がし、レオンはブラッドの頭を胸に押し当てるように抱え直し、部屋へと急いだ。
部屋に入ると、寝台は整えられ、机には水差しと火の点いた燭台があった。擦れ違ったアルベルトが用意してくれたのだろう。
ブラッドを寝台に横たわせようとすると、手を伸ばしてレオンにしがみついてきた。嫌々と頭を振り、必死にしがみつく様に愛しさが込み上げ、レオンはブラッドを抱えたまま寝台に腰を下ろした。
「ブラッド……?」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい
……」
「何を謝ってるんだ?」
「いっぱい迷惑をかけた。不注意で拐われて、助けて貰った。言うこときかないで、勝手な事した」
「それは不可抗力だろう」
「で、でも、面倒な奴だって思った…よね? 呆れた? お願い、き、嫌わないで…… 」
紙程に薄っぺらくなった勇気をかき集め、ブラッドは懇願した。
漸く自分の生きていく意味と場所を与えてくれたレオンから嫌われたら、もう、生きていけない。
レオンは青ざめて懇願するブラッドを見下ろし、自分の失敗を悟った。
護ると宣言したくせに、みすみす拐われ、辛い目にあわせてしまった。呪詛による空間の歪みでブラッドをすぐに追えなかった時の血の気が引いた感覚を思い出した。
己の鱗を与えていたという安心と、人外の竜人族としての力を慢心していたのだ。
だが、いざブラッドが目の前からいなくなった時、何も出来ずに茫然と立ち尽くすしか術がなかった時、足元の大地が脆く崩れて奈落に落ちていくような薄ら寒い感覚……。
ブラッドを抱いているというのに、その感覚が甦ってきた。
全て自分の落ち度だ。己に対しての怒りと情けなさに不機嫌な感情を隠しておけないなど、なんたる未熟。
ブラッドが謝るなど、筋が違う。
「すまなかった、ブラッド」
「レオン……?」
「お前は何も悪くない。俺が眼を離したのが悪かったんだ。痛い思いをしたのに、お前に、また辛い思いをさせてしまった」
「でも、たくさんの人に迷惑をかけた…」
「迷惑じゃないさ。寧ろ、お前に良いところを見せようと張り切る志願者が多すぎて、伯爵に特大の雷を落とされていたぞ」
「えっ…?」
レオンは優しくブラッドの頭を撫でた。
「生きててくれて、ありがとう」
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