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第95話
執着から始まったブラッドに対する想いは、いつしかレオンの中で制御不能に陥る程の大きさになっていた。
すり抜けた命を、この手に取り戻す事さえ出来れば満足する筈だった。
出会った頃のブラッドは竜人族とは思えないくらい魔力が薄かった。生命力を表す色の赤い髪が印象的で眼が離せなかった。
ふと、偶然合った、澄んだ沼を思わせる翠の大きな瞳に心を射抜かれた。
その瞬間、欲しい、と思った。
探し人ではない。けれど、どうしても傍らに置きたいと思った。視線も躰も意識も全てが自分にだけ向いて欲しいと願った。
グリューンと自分の魔力に当てられ、竜人族特有の金環が瞳に濃く現れると、従姉によく似た魔力が発せられ、ブラッドが探していた卵だと確信した。何をおいても欲しいと切望した少年が探し人だったと確信を得ると、後先考えずに鱗を与えていた。
心臓の真上にある赤い鱗は、竜人族にとって重要な護りの盾だ。どんなに鋭い矢も剣も槍も通さない強固な盾。
赤い鱗を愛しい者に与える風習を行う竜人族は貴族ほど多い。
竜人族といえど心臓を貫かれば死に至る。だが、その弱点を晒している恐怖よりも、愛しい者が他に奪われるかもしれない恐怖の方が勝るのだ。
例え鱗を与えていたとしても、今回のように拐われてしまい、しかも気配すら辿れなかったなど……。
血の気が引くのと同時に怒りが沸き上がった。
やっと見つけた少年を拐かした人間を、決して赦さないと思った。爪で八つ裂きにしてやる、と。
竜身になったレオンは、微かに感じるブラッドの鼓動を頼りに探した。竜身になると五感が研ぎ澄まされる反面、神経が剥き出しになったように感情の抑えがきかなくなる。
それでも、闇雲に暴れてはブラッドが怪我をするかもしれないと考える程度には理性があった。
いつしか、腕の中でブラッドがうとうとしていた。
漸く落ち着いたのか、疲労した躰が睡眠を要求しているらしい。
レオンは規則正しい寝息を立て始めたブラッドをそっと寝台に横たわせ、額に唇を落とし、燭台の灯りを消した。
部屋を出て階段を降りて行くと踊場にウォーレンが立っていた。
レオンと眼が合うと、ウォーレンは深く頭を下げた。
「何を……」
「此度の事は、私の不手際です。申し訳ありません」
ウォーレンは真摯な口調で謝罪した。
頭を上げた彼の表情は竜の調教師でなく、鍛えられた歴戦の騎士の顔をしていた。
「危険の無いよう、城から遠ざけた方が良いと、私が侯爵に進言したのです」
あのまま城にいては、悪意と暴力から護り切れないと判断した。辺境伯の元にいた方が安全だと。
「……ブラッドが竜の愛し子だとは、いつ知ったのだ?」
「あの子が城に来て間も無く。竜とブラッドの様子を見て侯爵が判断しました。侯爵は辺境伯同様、竜と対話が出来る数少ない方なので、ご自分の騎竜から聞かされて確信と申しておりました」
「あなたは、それを何の疑いもなく信じたのですか?」
レオンは丁寧な言葉遣いで訊ねた。
竜人族であるレオンは年齢的には上だが、人生経験はウォーレンが上だと判断したからだ。
「竜の愛し子を信じる者など、今では殆どいない。調教師の玄人のミュラーでさえ、考えた事もないように見えたが」
「彼は現実主義者なので」
ウォーレンの口許が僅かに綻んだ。
頑固者の調教師を演じていたウォーレンだが、ミュラーはその遥か上をいっていた。竜の調教に関しては譲る事を知らず、彼を師と仰いで弟子となった者達の半分は、厳しさに耐えられずに去っていった。
「いるかどうか分からない愛し子より、どうやって竜を最高の状態にするかを重要と考える方ですからね」
「では、竜を呪詛に使うような事など、爪の先程も考えまい……」
「彼に関しては除外して良いと考えます。…やはり、レオン殿も城の中に内通者がいると思われますか」
口許を引き締め、ウォーレンはレオンを見つめた。
「侵入した黒い一族は、あの子供だけではないだろう。一人で行うには限度がある…」
「城の内通者に関しては、侯爵が鋭意洗い出しております。黒い一族と言えど、あの侯爵から逃れるのは至難でしょう」
「……あの時……」
レオンはひたとウォーレンと眼を合わせた。
「ブラッドが、竜に自分の血を与えようとしたのを止めてくれたと聞きました。感謝します」
礼を言って深く頭を下げたレオンに、ウォーレンは驚きを隠せなかった。
竜人族は自尊心が高いと聞く。神代の時から存在する仙境の者は、人間を自分達より遥かに下位と認識しており、同等に口を利くのも汚らわしいと厭う、とも。
中でも強大な力を有する竜人族は、その傾向が強いらしい。
「い、いえ、その、頭を上げて下さい」
何事にも動揺を見せなかったウォーレンだが、さすがに慌てた。レオンの物腰やちょっとした仕草から教養の高さが窺え、相当、身分の高い血筋の出身だろうと推察していたからだ。
その推察は外れていない。
本人は認めたくないが、竜人族で最も貴い血を濃く受け継いでいるのたから。
「竜騎士を除けば、今時、愛し子の存在を知る者は少ない方が良いのだが……」
レオンの憂いを帯びた口調に、ウォーレンは考え込んだ。
自らの掌を傷つけ、溢れる血を竜に与えようとしていたブラッドを見た時、万の敵軍に囲まれた時以上に心臓が竦み上がった。側に黒い一族のサイラスがいたからだ。
万が一、竜人族……愛し子である事を知られたら、確実に狙われる。竜人族の血は喉から手が出る程貴重なのだ。それが愛し子の血であれば尚更である。何故なら、全ての竜を無条件に従わせる事が力があるからだ。
「レオン殿は、いつから北方軍の竜がおかしいと知っておられましたか?」
階下に人の気配が無いのを確め、ウォーレンは声を潜めて訊いた。
「……竜の卵売りの行方不明者が出ていると言う噂を聞くようになった頃と同じで、少なくとも十年前からだ」
「そんな前に?!」
頷いて、レオンは言葉を続けた。
「北方では卵がどの国よりも高く売れると言う噂は、そのくらいの頃には、卵売りの間では常識として囁かれていた。その為、卵の乱獲でいくつかの竜の谷が消えたと、卵売りの協会では問題になっていた」
レオンは真偽を探る為に、何度か北方を訪れた。その折、竜の卵売りという肩書きは、厳しい国境越えを容易にしてくれた。
北方は国土の殆どが標高の高い山岳地帯だ。
夏は短く冬は長く厳しい。主要産業は炭鉱が半分、あとは羊毛、鉄、染織等だが、小麦等の穀物類の殆どを隣国からの輸入に頼っている。
税は高く、人々の暮らしはぎりぎりだ。周辺諸国に干ばつ等がおこれば、たちどころに餓死者が出るだろう。
そういった国は、大概二極に分かれる。
国土を豊かに為に土地を開墾したり、他国との交流を盛んにして流通を滑らかにするか、豊かな土地を求めて軍備を拡大するか、だ。
北方は後者を選んだ。
貧しければ豊かな者から奪えば良い。
北方の主要産業の中には『傭兵』があった。北方の兵士は伎倆も高く、更に金と引き換えに、どんな汚い仕事も引き受けるとして需要が高かった。
国の中枢は、そこに眼をつけた。傭兵として出稼ぎに出ていた者から各国の情報を細かに収集し、攻める時期を見定めていたのだ。
「竜の卵を通常よりも高値で買い漁り、戦力の拡充に力を入れていた」
しかし、どんなに戦力を拡大しても辺境領の結界は攻略出来ない。工作員は他国を経由して侵入させたが、軍隊は辺境の森を通れない。
「そこで呪術に頼ったのか……」
ウォーレンは呻いた。
ミュラーを現実主義者と称したが、ウォーレンも十分に現実主義者だ。己の力の及ばぬ所を補う為に、効果があるか分からない呪術に頼るとは考えつかない。
だが、その呪術は思ってみない効力を発揮した。呪術で竜を改良し、呪力に染まった竜の血で呪詛を最大限に利用した。
この工作を成功させる為に、一体、どれだけの竜が犠牲になったのか想像したくない。長い冬の暗い日々を、陰鬱な部屋で呪詛を研究し続けたのかと思うと吐き気がする。
「俺が竜人族だと知られたとしても、自分の身は守れる。……だが、竜身に変化出来ないブラッドは無防備だ」
「愛し子とまでは知られていないとしても、サイラスには竜人族である事はばれてしまったでしょうね」
安らいで眠っているブラッドの寝顔を思い出した。
返り討ちされる可能性のあるレオンよりも、卵から孵化したての雛より弱いブラッドを狙って来るのは目に見えている。
本音は、ブラッドを懐に抱え込んで自分の翼で覆い隠しておきたい。誰の眼にも触れさせず、そよ風にすら当てさせたくなかった。
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