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第100話

『我が弟を鍛えて欲しい』 国王から手紙が届いた時、フェリックス・オイレンブルク侯爵が港の城に城代として赴任してから三年が経過していた。 非公式であったが、国王が直々にしたためた親書を読み終えると、侯爵は丁寧に封筒に戻した後、破ろうとした。 家宰が慌てて止めなければ破り捨てた上、踏みつけていただろう。 「旦那様」 非難めいた家宰の視線を背中で感じながら、フェリックスはそっと嘆息を吐いた。自分より五つ年上で乳兄弟でもある彼には、さすがの侯爵も降参するしかなかった。 国王の母親違いの弟であるマルティン・ロート・バウムガルデンは、選民意識の強い、典型的な貴族至上主義者だ。国王とは十一違いと歳が離れており、母親や乳母、守役に甘やかされて育った為、堪え性が無いとフェリックスは見ていた。 厳しい内乱時代を王宮の最奥で、危険から徹底的に遠ざけられて過ごしていたのも、その原因のひとつだろう。その上、兄である王太子時代のきらびやかな部分しか見てこなかった。 九歳の時、王太子のような騎士団が欲しいとねだると、母親が年回りの似通った貴族の子息からなる騎士団を勝手に編成して授けてしまった。 男の子が夢中になる騎士ごっこだよ、と当時王太子だった国王がフェリックスに苦笑して言った。 激しくなる一方の内乱時代の一時期をオイエンブルク侯爵領で過ごしていた国王とフェリックスは、歳の離れた兄弟のように仲が良かった。二人で内乱後の新しい政策について夜通し話した事もあった。 だが、内乱が終息し、戦闘で荒れた街や村が建て直されても政が刷新される事は無く、保守的な考えの貴族による政治は容易に変わらなかった。改革派が政治の中央に参加するのは難しかったが、徐々に人数は増えていった。 しかし、そこにフェリックスの姿は無かった。自領の復興が忙しからと要請を断ったからだ。それでも、国王の相談役として王城に定期的に登城はしていた。 貴族の子息からなる騎士団を任されたのは、内乱終息から二年目の事。 内乱で武功を挙げた者への報奨や新領地の整理は終わったが、割譲出来る程の広い領地の無い子息の扱いが難しかった。領地に戻り、家の騎士団に所属しても、所詮、冷飯食い扱いだ。 終息したとはいえ、未だ国内は戦乱の火種が燻ったままだった。各地の領主が芯から国王に仕えているのか不確定要素もあり、監視と人質の意味も兼ねて子息らを新たな騎士団員に任命したのだ。 だが、その騎士団を束ねる団長を誰にするかで揉めに揉めた。国王のお声掛かりで編成された騎士団に、自分や己の息子を推す者が殺到したからだ。 家柄、血筋頼みの諸侯ばかりにうんざりしていた国王は、我関せずとそっぽを向いていたフェリックスに丸投げした。 面倒くさいと断り続けていたフェリックスだったが、国王直々の頼みに根負けして引き受けざるを得ず、結局は独自のやり方で最強の騎士団に育て上げた。かなり変則的で、通常の騎士団では絶対に採用されない方法ばかりだった。 それを王弟を含めた騎士団に応用して鍛え上げて欲しいとは、一体、何の冗談かと言いたかった。 フェリックスの騎士団でしか己の立ち位置を確保出来ない次男三男とは立場が違う。長子や領地を割譲して貰える子息ばかりの上、見映えに拘り、訓練で汗を流す事を野蛮だと言い出す始末。 「癒しが足りぬ」 早々に訓練を切り上げ、フェリックスは執務室で山と積まれた書類の決裁をする事にした。城下から上げられる陳情や港に荷揚げされた内容の確認、人の出入りの精査と仕事は山とある。 「私のブラッドは、どうしているだろう…。本当であれば、今頃は領地に一緒に戻って二人でお茶を飲んで、楽しく語り合っている筈だったのに……」 書類に判を押しながらフェリックスはぼやいた。横に立っていた家宰は、呆れ顔で決裁の済んだ書類を受け取った。 「ブラッド様は辺境伯様の保護のもとで、ゆるりと療養されてるでしょう。旦那様が余計な欲などかかなかったら、今頃は執務の手伝いなどなされ、私は本来の仕事に戻れていたかもしれませんね」 「あの方が来なければ、今頃は私のものになっていたのに」 「竜の卵売りの指名など出来ません。第一、旦那様はクレーメンス賢者のお弟子を既に幾人も手にお入れです」 「幾人束になってもブラッドには及ばないよ」 修正を加え、署名のみで判を押さない書類は寄せて、決裁の済んだ書類を家宰に方へ置く。 「港での仕事は完璧だった。帳簿の記帳、適材適所への人の采配。孤児だというだけで侮っていた者も多数いたが、ブラッドの仕事だけには文句をつけようとはしなかった」 そのブラッドを港から取り上げた結果が、机上の書類の山だから勤しむしかない。 未決済の書類の間に小さな紙切れが挟まれてあった。フェリックスは素知らぬ顔で掌に握り込み、そのまま袖口に押し込んだ。 「暫く天気は良さそうだねぇ」 背後の窓を振り返り、フェリックスは澄んだ青空を見上げて微笑んだ。 レオンがフェリックスの私室を訪れた夜、ブラッドは既に辺境伯領へ出立していた。 フェリックスはレオンが持ってきた情報と小飼の間諜との情報の内容の摺合せをした。 北方軍の動きと竜について、だ。 内乱の時から北方軍が度々国境を越えようとしていたのを辺境伯が抑えていたのだが、なかなか諦めようとしない。 守護の森により容易に侵攻させなかったのだが、皆既日食後に守護の結界が消える事をフェリックスはローザリンデから知らされていた。その対処についての話し合いの為、滅多に辺境を出ないローザリンデが城を訪れたのだ。 ローザリンデは自分に執心な王弟が城にいたのは予想外だったようで、大まかな対処を話終えると、さっさと自領にブラッドを伴って引っ込んだ。 フェリックスと同じく、有能な人材を集めるのが趣味のローザリンデは、ブラッドの持つ魅力と能力に当然ながら惹き付けられた。しかも、竜人族の血を引く彼女は、一目で『竜の愛し子』だと見抜いてしまった。 あくまでも『預ける』という形でブラッドを託したのだが、レオンが長年探し続けていた人物でもあったとは、さすがに想像もしていなかった。 フェリックスは、レオンの持っている情報を全部差し出すのと引き換えに、自分が見出だし、保護したブラッドを譲る事を確約した。雇用関係の正当な書類が存在しており、原本は自分が、写しは神殿が持っているからだ。 無論、レオンがその気になれば、易々とブラッドは拐われてしまうだろうけれど。 レオンの情報により、北方軍が竜の卵を大量に買いつけているという噂と、卵売りが幾人も行方不明になっているという二つの噂が事実である事が確認された。しかも、何やら竜に様々な薬を投与して怪しげな実験までしているという。 それは、ウォーレンが潜入して得た情報と一致していた。 加えて、北方国で竜の谷が全滅していたのはレオンでなくば調べられなかった事実だ。その為、大陸中の竜の卵売りに高値で卵を買い取ると打診していたらしい。 少しでも高く売りたいが為に北方へ行く卵売りが増えたのは致し方ない。ここ数年、竜の卵が高騰していたのは、そのせいだった。 しかし、北方国が竜の卵を高値で買い取り続けられる資金源はどこにあるのか。 「そんなものは無い」 無い袖は振れない。 レオンは断言した。 「大量の金貨をちらつかせ、もう一つ二つ持ってくれば言い値で買ってやる、と持ち掛けていたらしい」 そこで卵を持って来た卵売りを殺してしまえば金は払わなくて済むし、竜の卵も手に入る。 竜の卵売りの殆どは、採取に命の危険が伴う為に、卵を売って得た金を元手に新たな商売を始めたり、慎ましく暮らしていけば一生食うに困らない程度貯まると引退する。そこへ高値で買い取るといううまい話があれば飛びつく者は多い。 北方国は暗殺や呪術を手掛ける黒い一族と手を組み、何やら怪しげな薬を開発し、孵化したばかりの竜の雛に与えて品種改良をしていたらしい。その実験に耐えられずに雛が死んでしまった為に大量に卵が必要だったのだ。 「冬の季節が長いと、碌でもない事しか考えつかないのだろうかねぇ?」 確かに北方国は国境線である河を隔てて高い山々が連なり、国土の殆どが標高が高い為、穀物類が育ちにくい。厳しく長い冬季には餓死者も出る。 だからと言って、豊かな国土を攻めて良い理由にはならない。 皆既日食を翌日に控えた、その日の深夜。 フェリックスの私室の扉を音も無く開ける影があった。満月の明るい光を遮るように厚い帳が窓を覆っていた為、室内は漆黒となっていた。 影は迷うこと無くフェリックスが眠る天蓋の寝台へと進んだ。帳の隙間から月光が差し、影が持つ短剣の刃に反射した。 天蓋の帳を開け、影は刃をフェリックスの眠る寝台に突き刺した。

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