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第102話

避難所の地下牢は僅かな隙間から差す明かりのみで、薄暗かった。ユリウスがいる時は灯りが点されていたが、見張りの兵士と上へ行くと同時に消された。 意地悪や節約の為では無い。 無意識に選別しただけだと、呪詛に蝕まれた彼らは悟った。……罪人だからだ。 しかも、国家に対する反逆罪。大逆だ。 だが、誰もそんな大罪を犯していた自覚は無かった。少しでも生活が豊かになれば、と思っただけだ。 黒い小石を井戸に入れるだけの簡単な作業。毒ではないと言われた。渡してよこした男が一つ口に含んで見せた。顔色も変わらず、倒れたりしなかった。 ならば良いか、と、簡単に考えた結果が、今、地下牢で死にかけている……。 グレアムは街に近い小さな村の、貧しい農家の五人兄弟の末子だった。さして広くもない畑だけでは、税を納めるのがやっとで、家族全員が満足に食べる程の収穫は無い。 自然と畑仕事が出来る上の兄弟二人が残り、他はある程度の年齢に達すると街へ働きに出る事になった。職人に弟子入り出来れば幸運な方で、大概は荷物の運搬や街の雑事を低賃金でこき使われる。 グレアムは偶々募集していた城の下働きに運良く採用された。しかも竜舎の下働きだ。 働き振りが良ければ、もしかしたら竜の調教師の弟子入りが出来るかもしれない。 希望は無いよりあった方が働きがいがある。 しかし、それは甘い考えだった。 竜舎の仕事は体力的にも精神的にも辛く難しいものだった。しかも、竜は賢く人の機微にも敏く、好き嫌いがはっきりしていて扱い辛いのだ。 調教師になるには竜に好かれなければならない。だが、媚びてはならないし、かといって暴力で従わせるのは以ての他だ。 諦めて一生下働きのままか、努力して調教師になるか。 現実はもっと厳しかった。 調教師に弟子入りするには、ある程度の教養と身元の保証、そして、簡単な読み書き計算が出来る事が必須だった。グレアムは計算どころか自分の名前さえ書けなかった。 神殿学校に通っていれば良かった……。 神殿では毎週末の二日間、無料で子供達に簡単な読み書き計算を教えていた。だが、農村では小さな子供でも立派な労働力と見なされており、学校へ通う事がままならないのが実情だった。 下働きの中にはグレアムと同じ境遇の子供達が何人かいた。自然と彼らは仲間意識からつるむようになった。 尤も、彼らは誰かが真面目に仕事をして調教師に弟子入り出来るようにならないように、互いに見張っていたのだが……。 暫くして要領良く仕事をサボる事を覚えた頃、サイラスが下働きに加わった。 彼は最初から要領も周囲の人間からの評判も良かった。決して愛想が良いという訳ではない。だが、相手を気持ち良くさせる話術に長けており、あっという間に調教師見習いになった。 当然、グレアムら古参の下働きの少年らは面白くない。同じ年頃の少年らから嫌がらせをされるようになったが、サイラスはどこ吹く風だ。 それどころか、どう丸め込んだのか、いつの間にか嫌がらせをしていた少年らと仲良くなっていた。グレアムは一番年少で嫌がらせには積極的に加担してなかったが、その少年らと一緒にサイラスとつるむようになった。 その内、気がつくとグレアムも調教師見習いになっていた。 幸運だと思った。 これで将来は安泰だと喜んだ。 ブラッドを城で見かけるようになったのは、ようやく竜に近づく事に慣れた頃だった。 竜は大きく、近づくと思っていた以上に巨体で威圧感があった。眼は金色に光っており、牙は鋭い。何かの拍子に噛み殺されないかと怯えが常にあった。 それなのにブラッドは容易に竜に近づき、臆せず敷き藁を難なく代えたり、近くを平気で掃除したりするのだ。 見習いの少年らだけでなく、調教師らもブラッドを余程の鈍感か、頭がおかしいのだろうと囁き合って蔑んだ。 しかし、竜の方からブラッドに近づいて頭を擦り寄せて甘える場面を見ると、蔑みよりも嫉妬の方が強くなった。 竜に好かれようと努力している自分が馬鹿みたいではないか。結局は竜の好みの問題なのではないか。 みすぼらしい孤児が、どうして竜に好かれるのか。 少年らは納得がいかず、大人から見えないところでブラッドに嫌がらせをした。ミュラーよりも秩序に厳しいウォーレンに見つからないように、行為は陰湿になっていった。 ふと、気がつくと、鉄格子の前に人影があった。 ゆっくり顔を上げると、それは見知った顔だった。自分を地獄のような状況に堕とした張本人だ。 「サイ、ラス……」 「まだ生きていたんだ。案外しぶといね」 グレアムはサイラスを大して特徴のない顔だと思っていた。 だが、皮肉気に口の端を釣り上げ、蔑むように眼を細めて見下すような冷たい表情は、彼の面長の顔によく似合っていた。 その表情には見覚えがあった。ブラッドを貶める時によくしていた表情だ。 「…どう、して…ここに……」 鼻に皺を寄せ、サイラスは更に口の両端を釣り上げてグレアムを見た。 「呪詛返しにあった気分はどうだい?」 「! 知って……」 「まぁ、ここまで呪詛が成功するとは思ってなかったけどさ」 「…………」 何か言い返したいが、喉の奥に砂が詰まったように声が出せない。 「北方軍の侵攻の準備が整うまでの時間稼ぎだったんだけど、思ってた以上の結果で大満足だよ」 薄く笑いながら、サイラスは懐から黒い小瓶を取り出した。 「役に立ってくれたお礼をしなくちゃな」 隅の机の上にあった水差しに蓋を取った小瓶を傾けた。黒かったのは小瓶ではなく、注がれている液体の方だった。 夜の闇を全て集めたかのように不吉な程黒かった。 「これは元気の出る薬だよ」 最後の一滴まで注ぎ込み、サイラスは水差しを揺らしてよく混ぜた。 「本当は竜を強くさせる為の物なんだけど、特別にお前らにも使ってやるよ。これを開発するのに、何十年も苦労したんだってさ」 水差しを抱えながら唄うようにサイラスは続けた。 「死人だって甦るくらいの効果がある。黄金より価値があるかもしれない。喜びなよ。光栄だと思え。お前らごときに使ってやるんだからな」 「サイ……ラス……」 グレアムは狭い牢で後退った。 「楽をしたかったんだろ? 少しでもいい暮らしをしたかっただけだろ? それのどこが悪いんだよ。邪魔する奴らの方が悪いんだ。そう思うだろ? 仕返しをすればいいじゃん。当然の権利を邪魔した奴らに。ほら、俺が力を授けてやるよ」 サイラスは口の両端を凶悪に釣り上げ、水差しの中身を全部牢へ勢いよくぶちまけた。黒い液体はグレアムだけでなく、力なく横たわったり蹲った村人にも降り注いだ。 ジークムント隊を見送り、ブラッドらは砦へ出発する為の準備をしていた。 荷物は来た時より少ないので、準備といっても飲み水の入った革袋や携帯食を鞍に括りつけるだけだ。ユリウスはそれらに残った薬を詰めた箱を加え、マキシムは矢筒を背負い、 レオンはブラッドと相乗りする為に鞍を外した。 その作業を見つめながらブラッドは自分も馬に乗れるようになりたいと思った。 レオンとの旅は徒歩だろうか。竜の巣を探して大陸中を旅しているのだとレオンが言っていた。さすがに徒歩のみでの旅ではないと思うが、城に来た時、レオンは馬を連れていなかったが大陸は広い。 歩くにしても、もっと躰を丈夫にしないと迷惑をかけてしまう。何か良い薬草がないかユリウスに訊いてみよう。 「どうしました、ブラッド? どこか具合が悪いのですか?」 視線を感じたのかユリウスが振り返った。 「あ、いいえ、その、薬草について教えていただきたいなぁと……」 「よろしいですよ。砦の医務室に教本があるのでいくつか差し上げましょう」 「そんな、頂けません」 本は貴重で、まだまだ一般人に個人所有出来る物ではない。神殿、または、ある程度の規模の街の図書館で閲覧するか、保証金を支払って借りて読む物だ。 「私は全部覚えていますし、家に同じような本がありますから気を使わなくても良いですよ。ああ、神殿にある医薬百選は読んでいたんですよね? それよりは内容は薄いですが、日常使用する薬草類の絵が描かれており…… 」 「先生、それは砦に戻ってからにしてはどうだ?」 レオンが苦笑して言った。 「えっ、あっ、そうですね」 ブラッドに覆い被さるようになっていた自分に気づき、ユリウスは躰を離した。 「ブラッドが私の助手になってくれると、とても嬉しいんですけどね」 「ぼくなんかが、ですか?」 「おやおや自己評価が低いですね」 ユリウスがふわりと笑った。 「古語で書かれた神殿の本を読め、書き、計算が出来る。貴族でも、なかなかおりませんよ。私的な手紙は自分で書いても、面倒な書類や帳簿は人任せというのも珍しくありません」 でも、とブラッドは首を傾げた。 「侯爵様は全てご自分でなされます。城内の采配は全て侯爵様で、帳簿の管理も書類も自ら書かれてます。税収と支出の把握は領主の義務だと仰られておりました」 城内で働く者の顔や、とんでもない額の帳簿の数字を全て記憶しており、多忙な中でも騎士としての稽古も欠かさない。いつ休んでいるのか分からない程、侯爵の予定は分刻みだ。 「まぁ、あの侯爵は特別だ」 レオンが面白くなさそうに言った。 「実際、文書を人任せにしていると騙されて土地や借金を負わされたりする事がある。契約書や公文書は大概が難しい古い言い回しで書いてある。きちんと読めて、書式を覚えていないと騙されても分からない。さすがに全て侯爵自身がやっているとは思わんが、自分の領地と代理だが直轄地を治められるのは大したものだ」 何だろう。 誉めているのに最後の一言は忌々しげでもあった。 ブラッドが目を瞬いてレオンを見上げると、気まずそうに視線を反らし、小さく咳払いをした。 「とにかく、いつ、ここが戦場になるか分からん。砦に急いで戻ろう」 ブラッドを抱き上げて馬に乗せ、自分も跨がろうとした時、背後で爆発音が轟いた。

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