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第106話

「グレアムッ! マキシムッ!」 ユリウスは馬を降り、二人に駆け寄るかどうか迷った。 突然の凶行に声も無く固まっているブラッドを一人にする訳にはいかなかったからだ。 味方の援軍と思われる騎士に突如刺されたのだ。医師として戦場にも従軍した経験のあるユリウスと違い、つい最近まで荒事と無縁だったブラッドには、思考も感情もついていけなかった。 「来てはなりませんっ」 ブラッドとユリウスの護衛にと、ローザリンデ自らが選抜した歴戦の勇士でもある騎士らだ。 二人は突然援軍として現れたジーモン・バルデン子爵に用心して近づき、咄嗟に繰り出された剣を掴み、勢いを殺して急所を避けていた。刃は内臓まで届いておらず、致命傷ではないが重傷ではある。 彼らの騎馬の足下には血溜まりが出来つつあった。 「ここは俺達が防ぎます。お二人は引き返して下さいっ」 二人の腹から刃が引き抜かれると、出血は更に増した。それを息を詰めて堪え、表情には出さずに剣を抜いて構えた。 数で圧倒的に優位な子爵は、グレアムとマキシムの二人を庇って逃がそうとする献身さをせせら笑った。 「そちらにいるのは、かの高名なユリウス医師であろう?」 ユリウスは返事をしなかった。 「黙っていても、その美しい白銀髪と美貌と医師としての高い評価は我が領地にも聞こえておる。おお、そうだ。あなたを我らの軍に招待しよう。 伎倆の良い医師は少ない上に引く手数多。我らと来て頂けたら、この二人は見逃してあげましょう」 「俺達の命と先生とでは釣り合いが取れないな」 グレアムが鋭い視線と剣をバルデン子爵に向けた。 「先生は医師の中でも稀少な方です。あなたごときには勿体無い」 マキシムが橋を通らせまいと二人を庇うように腕を広げた。 だが、バルデン子爵は鼻で嗤い、更にブラッドを指差した。 「先生、そこな子供と一緒に招待しよう」 「……っ!?」 グレアムとマキシムが顔色を変え、ユリウスはブラッドを咄嗟に抱き抱えた。 「その子供は、竜を簡単に従える事が出来ると聞いておる。何でも、どんな気難しい竜をも大人しくさせる事が可能だとな」 認識が歪んで伝わっているようだった。 しかし、ブラッドが『竜の愛し子』である事は知らないようだが油断ならない。 竜騎士は、愛し子を神格化まではいかないまでも尊崇している。その上ローザリンデの騎士団では、竜騎士以外の騎士らも一兵卒から従者に至るまで、極秘事項を洩らすような不忠者はいない。 そして、港の城でブラッドが竜の愛し子である事を知っているのはオイレンブルク侯爵だけだ。だが、彼はお気に入りのブラッドの秘密を軽々しく口にするような人物ではない。 「さぁ、二人を助けたければこちらへ来なさい」 「なりませんっ」 「先生、そのまま引き返して下さい。…彼と合流して下さいっ…」 グレアムとマキシムの嘆願にユリウスは迷った。医師としての矜持が二人を見捨てられない。 しかし、二人の騎士としての矜持は、助けられるより護りたいとその瞳が叫んでいた。 強く手綱を握っていた手が汗で滑る。 (どうすれば……) 「…先生……」 ブラッドが蒼白な顔でユリウスを見上げていた。 細い顎が、薄い肩が震えている。 だが、恐怖で震えているのではない事が、ブラッドの瞳に宿る強い光りで解った。命を盾にする卑怯な行為と厚かましい要求に、静かに怒っているようだった。 神官に育てられたブラッドは、命に貴賤はなく、一人の人間に一つだけの宝物だと教えられた。その宝物の命を軽んじる子爵の行為が赦せなかった。 「命があれば、何とかなります」 「ブラッド?」 ブラッドは額にそっと手を当てた。 数瞬、二人は視線を交わして小さく頷いた。 「宜しいでしょう。業腹ですが、あなたに従いましょう」 「先生っ!?」 ユリウスはバルデン子爵を真っ直ぐ見据えた。 「但し、二人の手当てをさせて頂くのが条件です。それから、何を勘違いしているのか分かりませんが、この子は高貴な方々から預かっているだけで、あなたの言うような力はありません。ですが、無体は赦しません」 「おやおや、私の情報網を甘く見ないで頂きたいが、まぁ、良いでしょう。高名な医師と『竜の愛し子』が我が手に入るのだからな」 「!!」 ブラッドの肩に置いたユリウスの手に力が入った。 どこまで知られているのか。 その手にブラッドがそっと手を重ねた。 「行きましょう」 正直、不安と恐怖で躰は震えていた。 けれど、それ以上にブラッドの内側には怒りがあり、何よりグレアムとマキシムを死なせたくなかった。 大丈夫。 だって、ぼくはレオンと繋がっているもの。 額にある鱗が熱を発し、恐怖で凍えてしまいそうな躰を暖めてくれていた。 ブラッドは再びユリウスを見上げた。 今度は力強く頷き、ユリウスは馬の脚を進めた。

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