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第109話

ジークムント率いる重装竜騎士団は苦戦していた。 半数近くが黒竜の爆発に巻き込まれ、戦闘不能のまま北方軍の竜部隊を相手にしなくてはならなかったからだ。 ローザリンデの主戦力も加わったが、物量で攻めてくる歩兵と騎馬隊を無視する訳にはいかず、戦力の殆どをそちらに向ける事になった。 黒竜の鱗は固く、剣では容易に致命傷を与えられなかった。ジークムントは戦斧と槍に持ち替えるよう指示をした。 槍で足止めをする者と、戦斧で首を落とす者とで組ませる事で確実に相手の戦力を削る。 それは猫が爪研ぎて柱を傷つける程度のもの。確実ではあるが、遅々として進まず黒竜の爆発による森の汚染は拡がっていく。 (あの爆発の仕組みが分かれば阻止出来るか…?!) 戦斧を黒竜の首に叩き込みながらジークムントは考えた。いつもであれば、ジークムントが剣を振るって相手の勢いを抑えている間にアルベルトが敵の急所を探り、二人で突破口を開く。 その相棒が今は隣にいない。 アルベルトの容態は気になるが、ジークムントは頭を一振りして思考を切り替えた。 今は黒竜をどうにかしなくては辺境領の森全体が汚染されかねない。 一度戦斧を叩きつけただけでは刃が半分も食い込まない。それでも同じ場所を二度、三度と戦斧で攻撃すると黒竜は黒い血を流しながら落ちていった。 「返り血を浴びないよう気をつけろっ」 自身も血を避けながら攻撃を繰り返し、次の獲物へと狙いを定めた。 視界の端に、魚の頭を落とすように簡単に黒竜の首を大剣の一撃で斬り落とすローザリンデが見えた。 「さすが団長。俺も負けていらんねぇな。アルの分も落としてやるか。シルヴァン、あいつの頭を両足で掴めっ!」 一旦高く飛ぶと、ジークムントの騎竜は急降下して勢いのまま黒竜の頭に蹴りを叩き込んだ。衝撃で相手が一瞬怯んだ隙に両足で頭を掴んで固定した。 翼をばたつかせて逃れようと暴れる黒竜の背に降り、ジークムントは戦斧を首に振り下ろした。激しく暴れる黒竜から振り落とされまいとジークムントは鬣を掴み、更に片手で戦斧を振るった。 そこへ別の黒竜がジークムントめがけ鋭い牙が並んだ口を大きく開けて迫ってきた。ジークムントは反対側に移動し、黒竜の頭を掴んでいたシルヴァンの脚を伝って乗り移った。 シルヴァンが 頭から脚を離すのと同時に、迫って来ていた黒竜が仲間の黒竜の首に噛みついた。噛みつかれた黒竜は吠えながら、その黒竜の胸元に爪を立てた。 「仲間意識が無いのか……?」 通常、竜騎士団の騎竜に同士討ちは無い。 竜騎士と意識が一体となっているからか、同じ騎士団の竜同士で争う事が殆ど無いのだ。 しかし、騎士の意識に引っ張られる為か、時には他の騎士団の竜と喧嘩をする事が稀にあった。 それでも躊躇いもなく噛み付くなどあり得ない。人の手を加えられた事により、竜の意識に変化があったのか……。 嫌悪感に眉間を顰め、ジークムントは戦いを終わらせる為に黒竜へと向かって行った。 じりじりと前線が押されていた。 ローザリンデは女性には不釣り合いな大剣を振るいながら焦りそうになる己を叱咤した。 表情には出さずに部下を鼓舞し、竜騎士隊と騎馬隊の指揮をする。上空からだと騎馬隊の防御や攻撃の薄い部分が分かりやすい。 だが、竜騎士は騎竜を通じて指示を出しやすいが、騎馬隊はどうしても一歩遅れてしまう。厳しい訓練によって改善されてはあるが、疲労による遅れが出始めていた。 「くっ……。合図は、まだか……」 黒竜を屠りながらローザリンデは北方軍を見た。既に北方軍は国境線を越え、辺境領の森深くまで侵攻しつつあった。 これ以上前線が下がる事は避けたい。 ローザリンデの額から汗が流れた。 その時、空を裂く咆哮が轟いた。 声の方を仰ぐと、太陽を反射して煌めく青金色の竜が滑空して来るのが見えた。 「青い…竜? レオンかっ?!」 すれ違い様、金の眼がローザリンデと一瞬合った。 それだけでレオンの意図を悟った。 「ジークムント! 竜はレオンに任せろっ」 騎竜を通じ、ジークムントはローザリンデとレオンの作戦を理解した。レオンが黒竜を一手に引き受け、自分らは軍を相手にする。 力不足の自分に腹は立つが仕方無い。 ジークムントは隊を率いてローザリンデと合流した。 戦況を見る為に遥か上空に飛び上がったレオンは森の惨状に唖然とした。 通常の戦ではあり得ない状況となっていた。 なだらかな丘陵地帯に広がる森林は広葉樹が大半を占め、様々な実りが多く、そこに棲む動物の種類も多い。春から夏は色とりどりの花と緑が溢れ、秋は人の腰まで枯れ葉が積もる。それが腐葉土となり豊かな実りに繋がるのだ。 植物から動物の命を育む森。 それが、今、無惨に穢されていた。 黒竜の身体が歪んで膨れ、限界まで膨張したかと思うと爆発するように破裂した。そうして黒い血と内臓を撒き散らす。それに触れた植物はみるみる枯れて腐食していく。 呪詛という名の毒だ。 (緑の精霊王は纏めて封印すると言っていたが……) 穢れを嫌う精霊王に出来るだろうか。 しかも、思っていた以上に数が多い。 どうするか思案したのは、ほんの僅かな時間だった。 レオンは勢いのまま黒竜の群れへ突っ込んだ。改造で大きくなったとはいえ、レオンの方が躰は大きい。 左右の手で同時に二体の黒竜の首を掴み、そのまま力を込めて骨を砕く。息絶えた黒竜を下へ投げ捨て、別の黒竜の首を掴んで同じように骨を砕いた。 その前に破裂しようと躰を膨張させた黒竜の尾を掴んで己に引き寄せ、レオンは喉元に噛みついた。 凍った腐肉を噛み砕いた様な感触に全身の鱗が逆立った。 次々と黒竜を屠りながらレオンは黒竜の破裂の仕組みを理解した。 呪力を限界以上高める事で、その力が体内に収まり切れずに外へ逃げようとし、膨張し、爆発する。予め体内に呪力を増幅させる核となる物が仕込まれているようだ。 術者が何処かにいる筈だが、まずは黒竜を無力化するのが先決だ。 悪しき方向へ改造された黒竜への憐憫を飲み込み、レオンは足下に黒い屍の山を築いていった。 力の差は歴然としていた。それなのに黒竜は青龍へと向かって来る。夜の虫が松明の明かりに惹き寄せられ、自ら火に焼かれる様に。 ブラッドがここにいなくて良かった。 優しい気質のブラッドには、この惨状は耐えられないだろう。なるべくなら、愛しい者に辛い思いをさせたくはない。 あらかた片付きそうだと思った頃、北方軍の動きに変化が見られた。物量で攻めていた勢いが鈍くなり始めた。 何が起こったのか見極めようと北方軍の方に首を向けた。 北方軍の後方に見覚えのある、白百合の盾と二本の剣が交差した旗が上がっていた。 (待っていた合図です!) 頭にグリューンの声が響いた。 辺境領へ来る前に寄ったオイレンブルク侯爵の紋章だ。その旗の隣に黒鷲と薔薇の旗があった。 「あれは北方国の第三王子の旗印だ。どうやら術者の呪術を止められたようだ」 いつの間にか隣にグリューンの背に乗ったローザリンデがいた。 「何とか間に合った……」 溜め息混じりにローザリンデが呟いた。 あれほど狂気的にレオンに向かって来ていた黒竜が大人しくなっていた。しかも、徐々に羽ばたきは弱まり、ついには鳴き声ひとつ上げずに落ちていった。 地響きを立てて落ちた黒竜は苦し気に息を吐き、麻痺した手脚をだらんと伸ばすと、そのまま動かなくなった。 死骸となった黒竜へ太い蔓が方々から伸びて絡まり始めた。絡まる側から蔓が黒く腐食していく。 術は止まったが呪詛は消えていないようだ。 それでも蔓は新たに伸びてきて絡まり続けている。封印する為に蔓を操っている緑の精霊王にも、呪詛による相当の痛手を負っている筈だ。 清涼な空気と水を好み、呪詛の類いの穢れを厭う精霊には、精神的にも肉体的にも辛い行為だからだ。 北方軍の進行が緩やかになり、やがて止まった。 『レオンッ!!』 竜身から人型に戻ろうとしたレオンの頭に、ブラッドの切羽詰まった声が響いた。

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