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第113話

巧みに判断の選択権は自身にあると思い込ませたバルデンは、思い悩んでいるブラッドの頼り無げな背中を更に押した。 「田舎騎士などより、伎倆の良い医師の方が大事かもしれぬな。小僧、そう思わんか?」 はっとしてブラッドはユリウスを振り返った。バルデンの護衛の一人が剣を抜いて刃をユリウスの首に寄せた。 ユリウスは息を飲んで自分の首にある剣を見た。 気にするな、とブラッドに言ってあげたかったが声が出ない。 「面倒だ、奴らは燃やしてしまえ」 「や、やめてっ!」 バルデンの命令に、兵士が持っていた松明を油へと放り投げた。火は、建物の周囲に撒かれた油を嘗めるように走った。 「アルベルトさんっ! マキシムさん! グレアムさん!」 たちまち炎は空を焦がす勢いで立ち上った。 「や…嫌だ……。誰か、助けて! 火を消してっ!!」 ブラッドの悲痛な叫び声に、周囲は誰一人動こうとしない。無表情に燃え上がる詰所を見ていた。 近づきたいが炎の勢いに気圧され足が動かない。顔が炎に炙られて熱く痛い。 だが、炎に囲まれた三人はそれ以上に熱く苦しい筈だ。 「さぁ、小僧。この先生も同じように燃やされたくなければ竜どもに命令するのだ」 「ど…うして、こんな酷い事を……」 「酷い?」 「同じ王国の人なのに…」 バルデンは眉を寄せて、心底、呆れた顔をしてブラッドを見下ろした。 「高貴な血の私と平民が同じ人間な筈がなかろう」 遠く遡れば王家の血も入っている。今でこそ子爵だが、父方の本家は公爵だ。それが平民と同じとは何たる無礼な小僧だ。 これだから無知な平民は少しでも優しくするとつけあがるのだ。面倒だが、上に立つ者が躾をしてやらねばならん。 「よいか、小僧。我ら貴族と平民は天と地程立場が違うのだ。教育もまともに受けておらぬお前らには教養が無い故、我らが正しい方へ導いてやっておるのだぞ」 バルデンの感覚は大半の貴族が持っている平均的なものだ。自領の平民を人とは見なさず、労働力、もしくは租税の対象としかとらえていないのも事実だ。 その感覚のまま、現国王の革新的な考えについていけていない貴族がいるのも、また事実だ。国内の発展の為に、技術革新や貴族と平民の意識改革の意義を理解出来ない、否、したくない保守派。 彼らは過去の栄光と血筋のみに意義を見出だしており、革新派の行為は気の迷いにしか見えない。自分達が正しく導いてやらねば国が滅ぶ、と本気で思っている。 もっとも、その中には己の利益のみを追求している者が殆どなのだが……。 それがブラッドには理解出来ない。 貴族と平民が同じ立場にいるとは針の先程も思っていない。 しかし、命は貴賤問わず大事なものだとブラッドは神殿で教わり育ったのだ。 太陽が人を選別して暑さを変えるのか? 風が大人と子供で吹く強さを変えるのか? 否。 ここにレオンがいたら、あの超人的な力で救出してくれたかもしれない。けれど、今、この場にいないレオンに頼るのは違う気がする。 自分に出来る事をしないで、人に頼るのは怠慢ではないのか。 ブラッドは拳を握り絞めて立ち上がった。 レオンの隣に立てる人間になると誓ったではないか…。 見回すと炎の向こうに井戸があった。バルデンの護衛騎士が止める間も無く駆け出し、井戸から水を組合上げ、そのまま頭から被った。 「ブラッド? まさか……! 駄目です!!」 ユリウスの制止も聞かず、ブラッドは燃え盛る詰所の扉に体当たりするように開けて炎の中に飛び込んだ。 ブラッドとユリウスが引き摺られるように外へ連れ出され、扉が閉じたとたんグレアムとマキシムは固く閉じていた眼を開けた。 「グレアム殿? マキシム殿?」 アルベルトが声をかけると、二人はにやりと笑って起き上がった。怪我を負っているからか、アルベルトと違って二人は縛られていなかった。 「無事で何よりです、アルベルト」 黒子のある右側の眼を閉じ、グレアムはアルベルトの腕の、マキシムは足の縄を解いた。 爵位は無いが貴族である二人にアルベルトは姿勢を正して礼を言った。 「怪我を?」 アルベルトの問いにマキシムが頷いた。 「油断して刺されましたが急所は外してあります」 グレアムはこれまでの経緯を話し、アルベルトに戦況を訊ねた。 「私は北方軍の竜の黒い血を浴びてしまい、体調不良で前線を離脱したので詳しい戦況は分からないのです」 「大丈夫なのか? 体調はどうなのだ?」 「さっきまで寒くて躰を動かす事が出来なかったのですが……」 ブラッドの手で、凍えていた躰を擦って貰ったら不思議な事に体調が回復したと伝えると、二人の眼が大きく見開かれた。さすがに荒唐無稽だと笑われるかと思ったが、二人は真剣な表情で顔を見合わせて何度か頷いた。 「やはり、御子のお力だ」 「卿?」 「刺される時、急所は外したが早々に動けるような軽症ではなかったのだ。だが、御子に手当ての折りに腹を擦って頂いたら痛みが引いたのだ」 グレアムが刺された場所に手を当てた。 「縫うか焼くかせねば止まらぬ深手だったのだが、ぴたりと血が止まった。御子は癒しの手をお持ちかもしれん」 アルベルトは少し前に負った背中の斬られた傷を思い出した。ユリウスの的確で手早い処置のお陰で治りが早かったのだと思っていたが……。 ユリウスの指示で背中に軟膏を塗り、傷を清潔に保ち、包帯の取り替えや食事など、主に世話をしてくれたのはブラッドだった。 『早く痛みが取れるといいですね』 『早く傷が塞がるといいですね』 そう言いながら薬を塗ってくれた。滑らかな掌が背中を撫でる度に痛みが薄らいでいったのは気のせいでなかったのかもしれない。 竜の愛し子だと判明した後もアルベルトにはブラッドが弟のように可愛かった。 稀少な存在にもかかわらず驕る事も無く、ひたすら相手を思いやり優先させる心持ちが好ましい少年だ。 そのブラッドが竜を意のまま操るよう強制されている。どれだけ心を痛めている事か。 しかも、自分とグレアムとマキシムを人質して脅迫までされている。 何としても形勢を逆転しなくてはならない。 躰は自由になったが剣は取り上げられた。戦力差のある中、どうやって元凶のバルデンを捕縛するか……。 考え込んだ三人の鼻孔を焦げた臭いが突いた。 「やられた!!」 マキシムが窓から外を見て叫んだ。 「火をつけられた!」 油でも撒いたのか火はたちまち建物の周りに広がった。灰色の煙りが室内に充満し始め、三人は身を屈めた。 「生かしておいての人質ではないのか?」 冷静な口調でグレアムが呟いた。 「ユリウス先生がいる」 アルベルトの答えに双子は顔を見合わせて肩を竦めた。 「抵抗される危険のある騎士より、先生の方が抑え込めやすい。見た目は単純そうだったが、意外と考える頭があるらしいな」 ぐるりと室内を見回してマキシムが言った。 「この詰所に秘密の脱出用の通路とかあるのかな?」 アルベルトは頭を横に振った。 「詰所に勤務した事が無いので…」 分かりかねますと言いかけた時、扉が勢いよく開いて小柄な躰が転がる様に入って来た。 しかも炎より赤い髪の持ち主など、アルベルトらの知り合いには一人しかいない。 「ブラッドっ?!」 「あ、良かった。無事だったんですね!」 煤のついた満面の笑顔に、三人は膝から力が抜けそうになった。

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