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第115話

「心配しましたよ……」 強く抱き締められ、ブラッドはユリウスの背中に腕を回した。自分を抱き締める腕の力が、どれだけユリウスに心配をかけたのかを自覚させ、申し訳ないと思った。 「…心配をかけました……。ごめんなさい…」 「ええ……。あなたの意図は理解していましたが……」 「先生…」 「でも、あなたも私もラファエルのような殺しても死なない頑丈な騎士ではないのですから、無茶はいけません。助かったから良かったものの……どうやって助かったんです?」 ユリウスは再び頭をガシッとラファエルに掴まれ、頭蓋骨が軋む音がした。 「いい加減ブラッドから離れろ」 「い、痛いです、ラファエル」 「後ろの男が怖い顔になってるぞ」 ブラッドを抱き締めたままのユリウスをレオンが無言で睨んでいた。 人の心の機微に鈍感なユリウスでも、愛しい少年が他の男の腕の中にある事を面白く思っていないのが伝わってきた。 「そうですね。でも、無事を喜び合うくらい鷹揚に構える度量がないと良い旦那にはなれませんよ。 束縛も程々にしませんと、息苦しくて奥方に逃げられてしまった患者が何人いたことか」 レオンの額に青筋が浮かんだのと同時にラファエルはユリウスの頭に拳骨を落とした。 煙から逃れるように床に這いつくばったブラッド達の目の前で、唐突に床板が落ちた。冷気を含んだ少しカビ臭い空気が溢れ、中を覗き込もうとグレアムが移動しようした時、四人の下の床板が次々と抜け落ちた。 アルベルトがブラッドを抱え込んだまま、グレアムとマキシムが互いの腕を掴んだ格好で、四人はぽっかり空いた暗闇に声を上げる間も無く落下した。 炎と共に天井が崩れ落ちたのは、その直後だった。 「本当に抜け道があるとは思いませんでした……」 マキシムがぽつりと言った。 「国の要である国境の関所の建物に、抜け道くらいあるのは予想出来ただろう」 溜め息混じりのラファエルの言葉に、アルベルト、グレアム、マキシムの三人は余裕の無さを恥じ入り、副団長から眼を逸らした。 火の回りの早さに気が急いて、抜け道を探そうと考えられなかったからだ。 「詰所勤務が無かったとはいえ、大体の場所の見当すら付かなかったのか……」 騎士団の勤務内容と訓練を一から考え直さなくてはならんな、とラファエルは呟いた。 そこへ、きらびやかな鎧を纏った騎士が縄で捕縛され、辺境軍の兵士に連行されて来た。 手入れの行き届いた金茶の髪を肩まで伸ばし、腰には細やかな装飾が施された鞘の剣を下げた、いかにも育ちの良さそうな青年だった。 「無礼者! 私を誰だと思っているのだ」 尊大な態度でラファエルを怒鳴りつけ、自分を捕まえている両脇の兵士の腕を振り払おうと暴れた。だが、兵士は力を緩ませず、逆に力を増して青年を跪かせた。 「貴様ら……何をしているのか分かっているのか?! 私は侯爵家の者だぞ!」 ラファエルは無言で青年を見下ろした。 ユリウスから離れ、レオンに寄り添っていたブラッドには何が起きているのか分からなかった。それはユリウスも同様だったが、ラファエルに眼で下がるよう促されると小さく頷いて離れた。 「辺境ごときの田舎者が、このような無礼な行為を私にするなど赦されないぞ」 ぎりりと奥歯を噛み締めた時、遠巻きに様子を見ていたバルデン子爵と眼が合った。バルデンは肩を振るわせ、眼を逸らして兵士の陰に隠れようとした。 「バルデンっ。何を傍観しておるのだ! さっさとこの無礼な愚か者共を斬り捨てよ!!」 自分より年配のバルデンに対しての、僅かな躊躇いも無い命令口調に、彼らの力関係が察せられた。 だが、自分の護衛騎士と引き離されたバルデンは動けなかった。自分より格下で、更に無抵抗な相手にしか剣を振るった事がなかったからだ。 「ディビッド・フランクリン子爵」 何の感情も込められていない、抑揚のない低い声でラファエルが青年騎士の名を呼んだ。 あ、とユリウスが小さく声を上げた。 それは近くにいたブラッドとレオンにしか聞こえなかった。 二人の視線を感じ、ユリウスは小声で言った。 「…珍しいです。物凄く怒っています……」 表情も口調も淡々としているのが、滅多にない激怒している時のラファエルの癖だった。怒りが強ければ強い程、余計な感情が削ぎ落とされるからだ。 怒られ慣れているユリウスでさえ、ラファエルの怒気に当てられ、背中に冷たい汗が流れた。 部下達はユリウス以上に身の内が冷えていたた。常に公平で理不尽を要求しない副団長が激怒した時の苛烈さを身を以て知っているからだ。 ぴん、と張りつめた空気の中、ラファエルは腕を組んでディビッドの前に立った。 「子爵、貴殿がしでかした事は、父君であるフランクリン侯爵が容認していると認識して良いのですな?」 身分が下のラファエルに気圧されたのを認めたくないからか、ディビッドは殊更尊大に胸を張った。 「ふ、ふんっ。これは王国の、全ての上級貴族の総意だ。王国の行く末を憂い、本来の王国の在り方へ導く崇高な行いだ!」 「崇高な?」 「貴様程度の下級貴族程度が関われるような軽い事業ではないのだ! さっさと私の縄を解き地面に額を擦りつけて謝罪せよっ。我らは正しき王国の在り方を目指す憂国の使徒なのだぞっ!」 「他国に自国を売るのが、憂国の使徒の崇高な行いか」 「!!」 グレアムとマキシムが蒼白になり、息を飲んだ。 アルベルトは両手を握り絞めてディビッドを見つめた。 侵攻が開始される前、北方軍を偵察していたアルベルトは敵兵に見つかり危うく命を落としかけた。 アルベルトは斥候としてはかなりの実力者だと自負していた。決して慢心はしていなかったと今でも思っている。慎重過ぎる程、慎重に進んでいた、と。 だが、何故か自分を待ち構えていたかのように、退路の先々に北方軍の兵士がいた。王国内の森だというのに、だ。 何故か? それは内通者がいたからだ……。 「…国を売ったのは、国境沿いの村民だ。私は知らぬ」 「よくご存知ですな。まだ、中央には報告してもおらぬのに」 「っ……」 「貴殿の行いを王弟殿下はご存じなのでしょうな?」 竜舍で会った人だ。 ブラッドは、明るい金髪の品の良い青年の顔を思い出した。どうしてか分からないが、何だか自分に対して凄く怒っていた。調教師でもない自分が竜舍にいたからだろう。 「王弟殿下の親衛隊隊長の貴殿が殿下に無断で動くとは思えぬ。これは、殿下の意向で相違ないな?」 「い、いや……、これは、その」 「他国に我が国の詳細な地図を渡し、敵兵を引き込もうとした。更に国境付近に兵を展開し、我が軍の背後を突こうとした。これは明確に売国行為であり、国王陛下に対する反逆だ。違いますか?」 ディビッドの顔は青から白に変わっていた。 「ち、違う。売国などではない。正統な血筋の方に玉座に着いて頂くのだっ」 「正統な血筋、ですか」 「現国王などより、王弟殿下の母君の方の身分が遥かに上だ。ならば、王弟殿下が王冠を戴くのが正しいではないか」 それはディビッドが本心から信じている事だった。 前国王の正妃には子がいなかった。 その為、当時、数人いた側妃が産んだ中で最も聡明で先見の明があった長子の現国王が玉座に着いた。 しかし、前国王の弟で現国王の叔父が血筋に拘り、自分の方が王に相応しいと謀反を起こしたのが内戦の始まりだった。 今でも敗北した前国王の王弟に共感し、血筋に拘っている保守派は少なくない。 「時代の移行を受け入れられないとは情けない。もっと視野を広く持たねばならん世代だというに……」 ラファエルは呆れたように言った。 「政治の腐敗を正そうとしている国王を支え忠誠を誓うどころか、自分達の都合に合わないから廃しようとはな。それを憂国の使徒と称するとは笑わせる」 抑揚がない分、ラファエルの怒りの強さが表れていた。その中にディビッドに対する憐れみのようなものを感じたのはブラッドだけではないようだ。 隣に立つユリウスが唇を噛んでラファエルを見つめていた。 「ブラッドを……竜の愛し子を利用しようとしたのは誰の考えだ?」 「竜? 愛し子?」 ラファエルの問いにディビッドは訝しげな顔を向けた。 ブラッドの肩を抱くレオンの手に力が込められ、怒気が膨れ上がったのを感じた。 「何だ、それは? 訳の分からぬ言い掛かりをつけて私の崇高な行いを貶める気か」 ラファエルの眼が細められた。呆けた表情から、ディビッドは本当に知らされていないのが分かった。 「フランクリン子爵は竜の愛し子を知らないと。では、誰の指示で捕らえたのですかな、バルデン子爵?」 こそこそ逃げようとしたバルデンに、全員の眼が向けられた。 「わ、私も知らぬ。その、竜の愛し子とはどの様な子供かの?」 「ふむ。では、何故ブラッドがここにいるのか説明して頂こう」 「そのような子供は知らぬ!」 「おや、ブラッドが『子供』だとは一言も申しておらんが……」 バルデンは水から放り出された魚のように口をぱくぱくさせて喘いだ。流れる汗を手の甲で拭きながら、懸命に言い訳を探したが何も浮かばない。 そんなに、子供子供と言わなくても……。 ブラッドはバルデンにされた仕打ちよりも、もう十七なのに子供と称されてしまう自分に衝撃を受けていた。

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