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第116話
ラファエル隊によって、絡めら取られていた投網から竜達が解放された。
だが、竜達は生気が無く、ぐったりしたままだった。
「レオン…どうしたら治るの…?」
竜の首を優しく撫でると、竜はブラッドの腹部に甘える様に頭を擦り寄せた。しかし、動きは緩慢で力が感じられない。
「呪詛を浴びたのだろう。浄化するのが一番良いのだが……」
「浄化? どうやれば良いの? 洗ってあげたら綺麗になるかな?」
浄化と聞き、ブラッドは泥汚れを落とす様に洗う事を想像した。
竜は多少の汚れは気にしないが、鱗の間に入った小石などの異物を嫌がる。違和感で動きが制限されたり、そこから異物や虫を媒体に病気に感染したりするからだ。
だから竜舍では帰還した竜の全身の汚れを洗い流し、鱗の間に異物や虫が挟まっていないかを念入りに確認する。
「水か……」
レオンは眉間に眉を寄せた。
水の精霊の清浄な力が溶け込んだ仙境の水であっても、呪詛の完全な浄化は難しい。
レオンが喚んだ清廉な水でも同様だ。
何とか竜を元気にしたいと望んでいるブラッドに、完全な浄化は不可能に近いと告げるのをレオンは躊躇った。
落胆させたくなかったからだ。
「……取り敢えず、魔力回路の流れを正常にしよう。そうすれば体力が戻る。あとは竜本体の生命力を信じるしかない」
「分かった。ぼくも手伝うよ」
ブラッドは習って間もない、魔力回路の修復を拙いながらも施し始めた。眼を閉じ、弱々しい魔力の流れを感じ取れるように竜の首に額をつけた。
それを補助しながらレオンはブラッドの肩を抱いて、全騎竜の魔力回路の修復を始めた。
ブラッドの慈愛に満ちた魔力を、額に埋め込んだ自分の鱗を介して増幅させて流し込む。
表情には出さないが、レオンは内心で感嘆していた。魔力回路の修復は仙境の治癒師でも難しい繊細な作業だからだ。
ブラッドは解れた糸を一本一本掬い上げ、丁寧に伸ばして太い束に戻すように、回路の修復作業を淡々とこなしていく。焦ったり、なおざりにしたりしない。絡んで解れた糸の束を解す様に根気よく進めていく。
全ての竜人族が魔力操作に長けている訳ではない。皇帝を始めとする魔力が豊富な上流階級に属する者や戦士、治癒師、魔道師などは圧倒的な魔力量でもっての操作を得意としている。
反対に階級が下にいく程、魔力操作は不得手となる。魔力量よりも魔力の質が違うからだ。
それでも血縁以外や種族が異なる相手への魔力操作や魔力の譲渡は難しい。血縁といえど属性の問題がある。一歩でも間違えれば、相手だけでなく自身への負担が重くなり、怪我や病気の重篤さでは共倒れになる事もあるからだ。
注いだ魔力が抵抗も無く流れ込む。
本来であれば、レオンの強大な力を保有する皇族の魔力を竜種は受け止め切れない。だから、大抵は魔力回路の流れを整える程度で止めておく。
しかし、弱り切って魔力を自身に集める事が困難になった竜には、それを補わなくては衰弱死してしまう。
四大属性のレオンの魔力だから拒絶反応を起こさずに受け入れられるのだろうか。
レオンはブラッドを見た。
竜の愛し子であるブラッドを介しているからかもしれない。
いや、竜に対する慈愛に満ちたブラッドの魔力が導いてくれているからこそ、レオンの力の塊のような純粋な魔力が拒絶されないのだろう。
本人は自覚していないが、全てを包み込むような暖かさと懐の深さ、それに加えての柔軟な思考。生来の資質なのか。それとも、育てた者による開花なのか……。
レオンは今更ながら自分の手でブラッドを育てられなかった事を悔やんだ。ありったけの愛情を注ぎ込み、養育も教育も全て自分の手でしたかった。
可愛い盛りを独り占めしたかったのが一番の本音だが……。
戦闘が停止されると同時に、ジークムントはアルベルトを追って騎竜を駆った。
呪詛を含んだ黒い血を洗い流す為に向かった川が見えてくると、更に速度を上げた。死人のような青白い顔色のアルベルトを思い出すと、胸の奥がざわめき、居ても立ってもいられなかった。
(アルベルト……)
後ろからは、部下らがジークムントに遅れまいと必死に食らいついて来ていた。
「隊長!」
部下が指差す前に、ジークムントは川岸に倒れている数人の騎士に気づいた。
騎竜が地面に降りるのを待たず、ジークムントは高所から飛び降りた。
「おいっ。しっかりしろ!」
意識が無く倒れている騎士の頬を叩く。
肌は氷のように冷たく、手足は強張っていた。口元に手をかざすと、弱々しいが呼吸が感じられた。
ジークムントに遅れて仲間を助け起こしている部下が声を上げた。
「隊長、全員生きています! 冷えきっていますが息があります!」
ジークムントは頷いた。
「火を起こして、お前達の外套でくるんで暖めろ。俺はアルベルトを探す」
倒れていた騎士の中にアルベルトの姿は無かった。
介抱を部下に託し、ジークムントは単独で騎竜を駆った。アルベルトのみがはぐれたとは思えない。
また、動けない部下を放って行ける性格ではない。ましてや、アルベルト自身も呪詛の穢れで動きを制限されていた筈だ。
だとすれば、考えられる事は一つ。誰かに連れ去られたのだ。それも、状況からすれば『敵』に。
また、彼らの騎竜が一騎もいないのが不可解だった。
「くそっ!」
戦場では常に二人で行動を共にしていた。
辺境の竜騎士団に入団して五年。身分の隔たりなど関係無く、互いの不足を補い合い、視線一つで相手の望みが汲み取れる程になっていた。
無くてはならない相棒だ。
ふと、鼻腔を焦げた臭いが刺激した。
森の焼ける臭いとは違う、僅かに油を含んだような強い刺激が感じられた。
(この先は関所がある。という事は詰所が燃えているのか?)
眼を凝らすと黒い煙りが上がっているのが見えた。油を含んだ特有の黒色が濃い煙りだ。
「シルヴァン、行くぞっ」
ジークムントの意を汲み、騎竜は翼に魔力を込めて力強く羽ばたいた。
「アルベルトーーーッ!」
自分を呼ぶ声に、空を見上げるとジークムントが降ってきた。
「ジーク?!」
着地した勢いのままジークムントはアルベルト抱き寄せた。
「ちょっ…、ジーク、何を?!」
戸惑うアルベルトの躰のあちこちに手を這わせ、ジークムントは最後に頬を両手で挟んで顔をじっと見た。
「怪我は無いな?」
「あっ、ああ。大丈夫だ」
「それに頬が暖かい。顔色も良い。……何でだ?」
先ほど発見した騎士らは顔色は白く、躰は氷の様に冷えきって強張っていた。
「何でって……」
アルベルトはブラッドを見た。
「多分……、ブラッドのお陰、かな?」
「はぁ?! どういう事だよ」
アルベルトは詰所での出来事をかいつまんで話した。
「つまり、ブラッドに全身撫で回して貰ったら治ったって?! おまけにグレアムとマキシムの怪我も軽症になったって? 何だそりゃ?! 羨まし過ぎんだろ!! 」
「撫で回しって…、お前、言い方」
「事実だろうが! 全身撫でて貰ったんだろっ?!」
「まぁ…うん。大体そんな感じ」
「クソーッ」
憤るジークムントに引き気味のアルベルトは、冷えて強張った躰を暖めようと懸命に擦り続けてくれたブラッドの手を思い出した。
「…気持ち良かったな…」
ポツリと溢したアルベルトの言葉にジークムントが眼を剥いた。
「何…だと…?」
「ブラッドの手が触れた所からほんわかしてきてさ、ちょうど良い湯加減の風呂に浸かってる感じに躰が暖まっていくんだ。強張っていた関節とかも弛んで痛みが引いてさ、凄く気持ち良いの何のって」
アルベルトは眼を閉じてブラッドの手の感触を思い出した。
「状況が状況じゃなかったら、俺、ブラッド撫でられて寝たかったなぁ。そうそう、刺された腹を撫でて貰ったグレアム殿とマキシム殿も驚いてたよ。熱を持ってた激痛がすぅーっと引いたって感動してた」
「俺が必死に戦っていた時に、お前はブラッドといちゃついていたって事か……」
「何言ってんの、お前? 生きたまま焼き殺されるところだったんだよ、俺らは。副団長が来なければ、今頃は骨も残らず焼かれてたんだからな」
「暖まって良かったな」
ジークムントは唇を尖らせた。
「死ぬ所だったけどな」
拗ねた口調のジークムントにアルベルトは苦笑したが腹は立たなかった。
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