119 / 157
第119話
竜騎士の騎竜は、絆を結んだ者、またはその者が信頼する人間以外は背に乗せたがらない。背中という急所を晒した無防備な場所に乗せるのは、命を預け合う特別な者でなければ安心出来ないからだ。
それ故、騎乗を赦した者を害そうとした人間を捕縛しているとはいえ背に乗せるなど、天地が逆転してもあり得ない。
獣がそんな理知的な思考を持つ訳がない、と傲慢な考えを持つ人間は多い。たが、竜騎士達は、竜は賢く、愛情深く感情的に行動する事を知っていた。
だから、ジークムントを始め、子爵らの護送を任された竜騎士達は自分の騎竜に彼らを乗せてくれるよう頭を下げて誠心誠意頼んだ。
今度の遠出はお前の好きな処へ行こう。
好物をたくさん用意するよ。
躰を隅々まで綺麗に洗って、鱗を一枚一枚丁寧に磨いてあげよう。
恋人や妻を相手にするのと同様に優しい口調で宥めすかし、時には子供をあやす様に物で釣ろうとしたが、騎竜はそっぽを向いて取り合わない。余程、子爵らの行いが腹に据えかねているらしい。
助けを求めるようにジークムントがブラッドを見た。
何を求められているのかを悟ったブラッドはレオンをそっと見上げた。レオンはブラッドと竜達を交互に見てから、首を横に振って肩を竦めた。
「無理みたい……」
愛し子の頼みであろうと、一旦、機嫌を損ねた竜は簡単に承知したりしない。それは、高位の竜人族のレオンの命令でも同じだ。
それでも懇願する視線に負けて、ブラッドは竜に意識を向けて心に触れようと試みた。ところが、思念はすげなく跳ね返されてしまった。
「やっぱり駄目。竜達、凄く怒ってる」
ジークムントは頭を掻いた。
「仕方ないな。無理矢理乗せて噛み殺されたら面倒だし」
ぽろりと溢したジークムントの言葉に、フランクリンとバルデンはぎょっとして顔色を無くした。
「荷馬車でいいよな?」
「ジーク、さすがに荷馬車は不味いよ」
貴族をその辺の犯罪者と同様に晒し者にするのは、後々、要らぬ恨みを買う事になる。これから先を考えると、敵は少ないに越した事はない。
「じゃあ、布を被せる。それなら人目につかないだろ」
目立つ事に変わりはないのだが。
アルベルトが何か言う前にジークムントが表情を改めて口を開いた。
「本来であれば、馬に繋がれて市中を引き回され問答無用での斬首か、磔られて火刑に処されても文句は言えないんだ。国家転覆を謀った大罪人なんだからな」
「ジーク…」
「敵軍を国内に引き入れた時点で罪は確定してる。それでも裁判にかけてやるんだ」
ジークムントは『死刑』という言葉は口にしなかったが、アルベルトには彼の言いたい事は分かった。判決は容易に想像出来るが、裁判という公衆の面前で釈明の機会を与えてやるつもりなのだ。
ジークムントの心情としては、どうにか未遂で済ませてやりたかった筈だ。
彼の兄のフェリクス・オイレンブルク侯爵なら、何の呵責もなく散々に利用し尽くした挙げ句、ひと欠片も躊躇わずに処刑台に送るだろう。
だが若いジークムントには、まだ、その度量と覚悟が足りてなかった。
甘いと言われても反論は出来ない。 内戦のきっかけとなった膿を出し切る為と言われても…。
アルベルトもジークムントと考えは同じだった。
出来れば犠牲は出したくなかった。敵味方、関係なく。同じ国民だから。
その為に越境する危険な偵察を買って出たのだ。斥候は大規模な戦闘を回避させるのが最大の目的だった。
騎士となったのだから、手柄を立てて出世するのは夢だし目標でもある。騎士が昇進や褒章を目的に戦場を求めるのは当然だ。
けれど、アルベルトが騎士になった最大の理由は、家族や友人が安心して暮らす為だ。
辺境は地理的に外敵の侵入や山賊による被害が多い。家畜の放牧中に山賊に拐かされる事も珍しくない。
集落の子供が何人も行方不明になり、とうとう見つからなかった。村外れの家が山賊に襲われ、燃やされた事もある。
国全体から見れば事件の一つ一つは小さく、さほど珍しい事ではない。ほんの数行の報告で済んでしまう程度の出来事。
それでも先代の辺境伯は、捜索隊を編成し山狩りを行ったり、山賊退治に騎士団を動員してくれたりした。それは現辺境伯であるローザリンデも同じだ。
犠牲を厭うのは騎士らしくないかもしれない。子爵らの行く末を気の毒に思う事も。
けれど、国の為だからと言って辺境が犠牲になるのは、もっとおかしい。彼らの謀略で村が一つ滅んだ。呪詛により森が汚された。
「アルさん……」
思考に沈んでいたアルベルトの腕にブラッドがそっと触れた。気遣わし気に眉尻を下げて見上げている。
大人で騎士だというに、俺はこの子に心配ばかりかけているな……。
アルベルトは努めて明るい表情でブラッドの頭をぽんぽんと叩いた。
「俺は大丈夫。ブラッドのお陰で体調も万全だ。ありがとうな」
「ぼくに出来る事ある? 何でもするよ?」
レオンの様な魔力や騎士の様な武力もない。
お手伝い程度の、ほんの些細な事しか出来ないけれど。
ブラッドの言いたい事は、彼の澄んだ瞳から読み取れた。
自分が騎士を目指したのは、ブラッドの様な戦う力の無い者を護る為だ。騎士が、その対象に心配をかけては本末転倒ではないか。
「ありがとう、ブラッド。じゃあ、負傷者を砦に搬送したら、また、先生と一緒に看病してくれるかな、大変だと思うけど?」
ブラッドは大きく頷いた。
サイラスは林の中から、ブラッドを暗い眼差しで睨めつけていた。
おかしい。
何年も前から立てていた緻密な計画が、悉く潰されていく。
最初は順調に計画が進んでいた。
竜の調教師見習いとして潜り込み、徐々に周囲の信頼を得て、城内の雰囲気を悪化させて各部署の連携を阻害させた。それにより、オイレンブルク侯爵への暗殺者を城に容易に引き込む事が出来た。
更に、辺境伯の騎士団の主戦力がある砦への呪詛も仕掛けられた。
後は北方軍が辺境領を蹂躙し、王国の貿易の要である港街の城を落とすだけだった。
その計画に綻びが出始めたのだ。
順調だったとはいえ、当初の予定よりは遅れていた。それは城代がオイレンブルク侯爵に交代した頃からだった。
用心深く、周囲を身内で固めていた侯爵は、なかなか思惑通りに動いてくれなかった。そこへ侯爵がブラッドを連れてきた。
サイラスが数年がかりで得られた信用をブラッドは僅かな期間で得た。しかも、人に容易に懐かない竜がブラッドには簡単に頭を垂れたのだ。
サイラスだけでなく調教師達も顔には出さなかったが驚いた。竜が躰に触れる事を赦すまで、時間をかけて信頼を得なくてはならないからだ。
唖然。
驚愕。
ブラッドと竜との間に壁が存在しない関係に調教師らは戸惑った。
そこをサイラスは利用した。
戸惑っている調教師らにブラッドの悪印象を植え付けたのだ。ブラッドに彼らの意識を向けておいて自分は城内で暗躍した。
ブラッドへの意趣もあった。
サイラスも孤児であった。
大陸の北部に拠点を構える『黒の一族』は、暗殺や呪詛を請け負う事で成り立っていた。便宜上『一族』と名乗っているが、殆ど血の繋がらない者同士だ。
拐ってきた子供を暗殺者と呪術士とに分けて育てる。一族同士で結ばれた者から産まれた子供も同じ様だ。
親が誰かなど分からない。
サイラスは一族同士の子供だったが、産まれて初乳を与えられて直ぐに親元から離された。
ただ、両親とも呪術士だったらしく、呪術に関してサイラスはどの子供よりも才能があった。しかも、サイラスに取って最悪の方に抜きん出ていた。
呪詛を行う場合、術が破られた時を想定しなくてはならない。不確定要素の強い呪詛は成功させる為に様々に非道な手法を取る。
呪い殺す為の呪詛は強力だ。強力故に破られた時、呪詛は何倍もの呪力となって返ってくる。
最悪、呪術士は死ぬ。
だから呪術士は、返しの呪詛を代わりに受ける身代わりを用意する。
本来であれば身代わり人形に呪詛を受けさせるのだが、サイラスは返された呪詛を受けても死なない稀有な子供だった。呪力を溜め込む事が出来る器の持ち主だったからだ。
『黒の一族』はサイラスを身代わりに、呪詛の依頼をどんどん受けた。
しかし、呪詛返しを受けて死なないからと言って、全く苦痛が無い訳ではない。有りとあらゆる苦痛がサイラスを苛んだ。
時に身を裂く激痛。血が氷の様に冷えて凍えたかと思うと、黒い塊が無数の矢となって全身を貫く。
窓の無い小屋に繋がれて、サイラスは長い間、呪詛の失敗の返しを受け続けた。
何年過ぎたのか分からなくなった頃、サイラスは己の躰に起きた不可解な事象に気がついた。
とっくに成人している筈の自分の手足が、背が、躰が小さいままだった。少年期から全く成長していないのだ。
いつまで呪詛返しを受け続けなくてはならないのか?
死ぬまで?
外の世界もろくに知らず、呪詛返しを受けるだけで終るのか?
呪詛返しの呪力を溜め込めるとはいえ、限界はある。サイラスは本能で限界が近い事を悟っていた。
いつの間にか代替わりしていた長と交渉し、今回の仕事の成功と引き換えに自由になる契約を結んだ。
そうだ。俺は自由になるんだよ。お前を…ぶっ殺してな! 同じ孤児なのに、幸せ面しやがって気に食わねぇっ。
サイラスはブラッドに向けて弩を放った。
ともだちにシェアしよう!