121 / 156
第121話
黒い靄はサイラスを取り込みながら厚みを増し、急速に膨れ上がり、異形の姿を取り始めた。
首がにゅうっと伸び、鋭い鉤型となった爪が地面に突き刺さった。口が裂け鋭い牙を剥き出し、丸太ほどもある尾が暴れ、周囲の木々を薙ぎ倒した。
背中から生えた、鉤爪のついた歪な翼が起こした強風で枝がしなる。
(畜生…騙しやがったな……)
己の内から外から異形に作り変えられていく。骨が軋む耳障りな音に歯噛みをしながら人ではなくなっていく。
(奴ら、最初からこれが狙いだったのか…?!)
それは偶然が重なった結果なのだが、サイラスには全てが一族による企みにしか思えなかった。
黒の一族は仔竜を使って蠱毒を行い、様々な呪詛を行ってきた。
呪いは、必ず成功するとは限らない。ましてや、不確定要素が多く失敗も少なくない。
その時に返ってくる呪詛は、何倍にも強力なものとなる。強力な返しを受けた呪術師は無事では済まず、更に身代り人形では返しを受け止め切れなかった。
その為、近隣や遠くの集落から子供を拐ってきて生きた身代り人形とした。
狭い小屋に閉じ込め、身代りの子供らが死に絶えると、また拐ってきて身代りとする。その繰り返しが長年続いていた。
彼らは呪詛と同時に、子供を使って蠱毒の実験も繰り返していた。
実験の中で生き延びたサイラスの躰は、長い年月をかけて蠱毒そのものになっていた。
また、呪いを含んだ血は、無効化された呪詛を引き寄せる事を可能とした。
全てが計画通りに進んだ訳ではない。
偶然と凶行が起こした皮肉な『奇跡』
呪詛に取り込まれ、漆黒の巨竜へと変貌していく中、サイラスは己の自我が薄れていくのを感じながら閉じかけた視界にブラッドを捉えた。
同じ孤児として生を受けた。それなのに、何故こうもブラッドと立ち位置が異なるのか。
大勢の者に好かれ、保護され、無条件に竜に愛される。
何故、自分が『そちら側』でないのか。
ブラッドに対する嫉妬と憎悪が急速に膨れ上がった。それがサイラスの消えかけていた自我を押し留めた。
光を吸い込むような黒竜と視線が絡み合った。
ぽっかりと空いた洞の奥を思わせる空虚な眼に仄暗い焔が宿った。無数の棘を帯びた憎々しげな視線に射抜かれ、ブラッドの背中が恐怖に震えた。
ブラッドが黒竜の最大の標的となった瞬間だった。
黒竜のブラッドへの殺気を感じ、レオンは動きに邪魔な胸の矢を、勢い良く引き抜いて投げ捨てた。
途端に激しく出血したが、呪詛の核となっていた原因を取り除いた事で、抜け落ちるような躰の怠さは軽減した。
黒竜が鋭い牙が乱立する口を大きく開いて咆哮した。
鼓膜を直に爪で引っ掻かれたような感覚に鳥肌が立ち、全身の毛が逆立った。
落ち着きがなかった騎竜らが一斉に首を黒竜に向けた。
黒竜の視線はブラッドにのみ注視している。
騎竜らは一斉に黒竜へ飛びかかった。愛し子の危機を本能で察し、ブラッドを護る為に爪で、牙で攻撃をした。
それを黒竜は虫を払うように尾や翼で、次々と叩き落とした。更に、黒竜を取り巻く黒い靄が蔓のように方々に伸び、騎竜を絡めて投げ飛ばした。
黒竜が触れた部分には黒い染みが広がり、青銅色の鱗がパラパラと剥がれ落ちた。それに構わず騎竜は立ち上がり、黒竜への攻撃を続けた。
だが、一回り以上大きい黒竜は難なく攻撃をいなし、騎竜を黒い蔓で叩き落とす。地面で苦痛にのたうつ騎竜を眺め、黒竜の内部でサイラスが仄暗い笑みを浮かべた。
ブラッドに味方するものは全部壊してやる。
竜騎士達は、最初こそ騎竜の突然の攻撃を呆気に取られて見ていたが、直ぐに助力するべく駆け出した。倒れた騎竜を追い打つ黒い蔓を剣で斬った。
切られた蔓は再び靄となり黒竜へ吸い込まれ、再び蔓となって伸びた。
黒竜が鉤爪の生えた歪な翼が大きく広げ、胸から血を流すレオンを支えているブラッドに向けて大木を薙ぎ倒した。
レオンはブラッドを抱えて轟音を立てて迫って来る大木から飛び退いた。その拍子に地面に鮮血が飛び散った。
ブラッドは息を飲んで自分を抱えたレオンを見上げた。
大丈夫だとレオンは頷いたが、内心で舌打ちをした。
(血を出し過ぎたか…)
出血する事で、体内から呪術による汚染物質を出しているのだ。故に、安易に傷を塞いでしまうと、体内に呪詛を取り込んだままになってしまう。
体力が削られてしまうのは仕方がない。
ブラッドを抱えて黒竜の攻撃をかわしながら周囲の様子を見た。
黒竜の足元が黒く変色して広がっており、攻撃で倒された木々が朽ちていく。黒竜の翼が起こした風により、青葉が萎れ、大木がみるみる枯れた。
呪詛を撒き散らし、黒竜の攻撃は激しさを増した。時に鞭のようにしなり、時に槍の雨となって降りそそぐ。
騎士団は反撃するどころか己の防御で手一杯だった。
それでも、ブラッドへの攻撃を少しでも減らそうと必死だ。
深傷を負ったレオンに抱えられ、騎士らに庇われ、自分は何一つ力になれない。ブラッドは申し訳なさと情けなさに涙が滲んだ。
黒い槍がレオンに抱えられたブラッドに向けて雨のように降ってくる。その槍からジークムントが、アルベルトが、騎士らが身を呈してブラッドを護る。
厳しい訓練で鍛えられた騎士とは違い、更に致命的に運動音痴が一人いた。
彼らの邪魔にならないよう、遅々ではあるが後方へ下がる努力をしているユリウスである。
自分が戦場では足手まといでしかないのをユリウスは理解していた。いや、ラファエルに耳にタコが出来る程言い聞かされていた。
『医師の出番は戦闘が終わってからだ。戦場では邪魔でしかないから、必ず安全な場所にいて傷一つ負うな』
医療行為はありがたいが、戦闘中は寧ろ邪魔でしかない。ユリウスを庇っての戦闘は著しく戦力を低下させる。
ブラッドはレオンがいるから大丈夫。
だから自分はラファエルの邪魔にならないよう後方へ避難する。
しかし、冬の嵐の雹のように降り注ぐ槍や、思いがけない方向からくる蔓を避けながらでは進みようがない。一つを避けると二つが迫って来る。その上、投げ飛ばされた騎竜まで降って来るのだ。
何度も転がり(転がされ)、擦り傷と打撲だらけになりながらユリウスは進んだ。その直ぐ横に騎竜が落ちて来た。
ひゃあ、と情けない声を上げながら、ほぼ無い反射神経を総動員し、奇跡的に騎竜の巨体を避けた。息を継ぐ間も無く、飛ばされた騎竜が直ぐ側に落ちた。
轟音を立てて落ちた騎竜の衝撃がユリウスを襲う。
衝撃に吹き飛ばされ、ユリウスは激しく地面に叩きつけられた。背中から腰にかけて激痛が走り息が詰まる。
「先生っ!!」
ブラッドの視界の端に、起き上がれずにいるユリウスに、先端を鋭く尖らせた槍と化した蔓が迫っていく。
レオンも咄嗟に動く事が出来ない。
黒い槍が背中を貫く寸前、ラファエルがユリウスを抱えて飛び退いた。しかし、矛先はラファエルの右脇腹を抉った。
「ラ、ラファエルッ」
削り取られた鎧の穴から鮮血が溢れ出た。
「止血しませんとっ」
手当てしようとするユリウスの手を掴み、ラファエルは首を横に振った。
「俺は大丈夫だ。ここは俺達が抑える。お前はレオン殿と一緒にブラッドを連れて砦へ行け」
「でも……ラファエル…」
「腹に穴が空いたくらいで俺は死なん」
普通は死ぬんですよ、と言いかけ、ユリウスを口をつぐんだ。
「副団長、止血くらいして下さい」
そこへジークムントが槍を避けつつ駆け寄ってきた。
「俺達が防いでいる間に」
いつの間にかジークムントの隣にアルベルトが立っていた。
二人はラファエルとユリウスを背で挟んで立ち、降り注ぐ槍を次々と剣で弾いた。お互いの死角を庇い合いながら隙を作らない。
その間、ユリウスは自分の上着を脱いで細く裂き、鎧を外したラファエルの胴にぐるぐると巻いた。激痛を無表情で堪え、ラファエルはユリウス作業がしやすいよう協力をした。
きりの無い黒竜の攻撃に、レオンは焦れた。
じり貧のまま、騎士団は全滅しかねない。
彼らは、腕の中の愛しい存在であるブラッドを身を呈して庇い、護ってくれている。これまで戦った事など無いであろう、呪詛の塊と化した異形を前にしても一歩も退かない稀有な人間達だ。
その彼らをブラッドは慕っていた。
彼らが傷つき、倒れるのをブラッドは耐えられないだろう。
ふと、ローザリンデを思い出した。
自分より遥かに年下のくせに、まるで姉のようにレオンを鼓舞するかのように接してくる。
そして、ブラッドを心ごと護ろうとしてくれている。その彼女が率いる騎士団を無くしたくない。それはブラッドも同じ気持ちだろう。
レオンは黒竜の視角に回り込み、大木の陰にブラッドを下ろした。
「レオン……?」
「ここから動くな」
ブラッドが躊躇いながら頷くと、レオンは黒竜へ向かって駆け出した。それと同時に魔力を解放し、その身を蒼竜へと変化した。
ともだちにシェアしよう!