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第122話
竜身となったレオンは両翼を目一杯広げた。四方八方から襲い掛かる黒竜の攻撃を次々と弾くが、さすがに全てを無効化するのは不可能だった。
ぽっかり空いた胸からは鮮血が流れ続けている為、人に降りかからないように気をつけながらでは動きが制限されてしまう。 言い伝えられている程の激毒ではないが、人間には刺激が強いのは事実だからだ。
それにしても黒竜の暴れ方は尋常ではない。
呪詛の副作用とも違う。
癇癪を起こした子供のような滅茶苦茶な攻撃を繰り返しているが、一方でブラッドに対する明確な殺意がはっきりと感じられる。
森を破壊し、汚し、騎竜を足蹴にする。
その行為に愉悦し、更に興奮度を上げていく。
倒すだけでは駄目だ。
呪詛の塊を何とか封印出来ないか。黒竜との距離を詰めながらレオンは必死に考えた。
木の陰で、ブラッドは蒼竜と黒竜の攻防を無為に見ているしかなかった。
翼を翻して降り注ぐ槍を防ぎ、尾をしならせて方々から襲う蔓を払い落とす。その度に胸の血が飛び散る様が痛々しい。
その血が騎士らに降りかからないよう態勢に気を使っているのが、蒼竜の不自然な動きで分かった。動きに制限がかかり、防ぎきれない攻撃を躰で受け止めるしかない苛立ちが伝わってくる。
自分だけ安全な場所に隠れていていいのだろうか?
ブラッドは自分の無力さを痛感し、彼らを直視出来ず、唇を噛んで眼を伏せた。
皆が、竜が、レオンが必死に戦っているのに、自分だけが安全な場所で隠れていていいのか?
自分が『竜の愛し子』だから?
皆の命を危険に晒してまで護られるだけの価値とは何なのか?
卑下しているつもりはない。けれど、そんなに大層な価値のあるものだとは思えないし、未だに自覚すらないというに……。
だが、彼らは違う。
彼らはこれからも辺境を、王国を、人々を外敵から護っていく大事な役目を担う騎士だ。
ブラッドは目線を上げ、心話でレオンを呼んだ。
(レオンッ、聞こえる?!)
槍を叩き落とし、レオンは心話で応えた。
(どうした?! 何かあったのか?!)
(ううん、ぼくは大丈夫。あの、どこか広い所に移動するよ。その方がレオンも動きやすいでしょ?)
(何を馬鹿な事を言っている。頼むから隠れていてくれ)
(駄目だよ。このままじゃレオン、思うように動けないんでしょ? どこか開けた場所はないかな?)
(駄目だっ!)
(でも、レオン、血がまだ止まっていないから思いっきり戦えてないよね)
(……)
(お願い。黒竜の気を引くのは、ぼくにしか出来ない)
(……分かった。そこから東に石切場が見える。待っていろ、俺がお前を抱えて飛ぶ)
ブラッドは頭を横に振った。
(駄目、今、レオンがそこを離れたら皆が危ない。少し距離を取るから待ってて)
(…そこの獣道を北に行くと石切場に続く道に出る。そのまま東へ…右へ走れ。……気をつけろよ)
(分かった、ありがとう)
心話を終えると、ブラッドは静かに移動を開始した。
木々の間を黒竜から視角になるように少しずつ。じりじりとではあるが、なるべく音を立てないように進むと、周囲より雑草が短い細い獣道が伸びていた。
その間も黒竜の激しい攻撃を蒼竜が受け止め続けているのか見えた。
(ちょっと、怖いかな…)
黒竜から視線を外して背を向けた途端、黒い槍に貫かれそうな気がして足が竦む。心臓の鼓動が耳に響くくらい鳴っている。深呼吸を数回繰り返し、腹に力を入れるとブラッドは獣道を進み始めた。
ブラッドの赤い髪が木々の間から見え隠れしながら北へ移動を始めたのが見えた。
黒竜の意識が自分に向くよう、レオンは防御から反撃に出た。
負傷者がユリウスと共に後方に下がるのを躰で隠し、威力を加減した魔力の風の刃をいくつか黒竜の首めがけて放つ。
本来であれば、竜身となったレオンの爪による一閃で黒竜の首を落とせる。
しかし、呪毒でもある黒竜の血が人間に降りかかる危険がある為出来ない。
黒い蔓を掴んで黒竜の動きを封じようとすると霧散してしまい、今度は細かな矢となって蒼竜の眼を狙って飛んで来る。それを手で払い、地面スレスレを騎士らに向かって伸びてくる蔓を踏みつけた。
ラファエルは、自分達がレオンの足手まといになっているのを忌々しく感じていた。
騎竜の制御もままならず、反撃に転じようと隙を窺うが、攻撃を防ぐので手一杯だ。せめてレオンが思うよう動けるように退路を探した。
だが、ラファエルの意図を察した黒竜が槍で退路を塞ぐ。蒼竜に庇われながらも黒竜に囚われた捕虜と変わりない状態だ。しかも、負傷者が増える一方で苛立ちは募る。
だが、それをおくびにも出さず、ラファエルは表面上は冷静に指示を続けた。
「馬はどうしたっ?!」
「怯えて動きませんっ」
馬は臆病な動物だ。
大きい音に驚き、すぐに制御を失う。しかし、軍馬は多少の大きな音や鬨の声に怯えないよう訓練してある。その軍馬が怯えて動けないとは。
(このままではジリ貧だ)
体力も無限ではない。
疲労で動きが緩慢になってきた者も出始めた。
黒竜の攻撃を受け続けた剣の刃が黒ずんで刃こぼれしている。このままでは剣が折れてしまうかもしれない。
ふと、隣で剣を振るっていたジークムントの動きが一瞬止まった。
「…あいつ…っ」
ジークムントが焦ったように呟いた。
その横にいたアルベルトが眼と口を大きく開けた。
「な、何を…? まさか…?!」
二人の視線を追うと、木々の間を移動する赤い色が見えた。
辺境領の騎士団であれば皆、領内の地理は頭に叩き込んである。街道、領民の生活道、獣道等の全て。
今、ブラッドが移動しているのが獣道であり、その先の道が何処へ通じているのかも。
「あいつ、まさか、石切場に…っ」
ブラッドを追って駆け出そうとしたジークムントの前に蒼竜の脚が塞がった。
「なっ……?!」
ムッとして見上げたジークムントを金色の瞳が静かに見下ろしていた。
咄嗟に文句を言おうと口を開けたが、無言ながらも真摯な金色と視線が合うと、ジークムントは唇を尖らせて追うのを止めた。
傍らで駆け出そうとしたアルベルトの腕を掴み、止める。
「ジーク?!」
ジークムントが首を横に振った。
「レオンが承知している。何か考えがあるんだろう。……大体は察するけどさ」
赤毛が見えなくなると、蒼竜が首を伸ばしてブラッドが消えた方向に視線を固定した。
黒竜がそれにつられて首を向けた。
獣道から出たブラッドを見つけたのか、黒竜の意識が憎い相手に傾き、攻撃があからさまに減った。
その隙を見逃さず、蒼竜が黒竜に見せつけるように飛び上がった。吼える黒竜を無視し、蒼竜は愛しい少年へ向って一直線に飛んだ。
騎士団を攻撃していた黒い蔓を躰に戻し、黒竜は蒼竜を追って飛び立った。
後に残された騎士団は、黒竜の猛攻が無くなった事に安堵した。
「ジーク、ブラッドは……」
「俺達の為にあいつを引き剥がしたんだ」
馬鹿野郎、とジークムントは口の中で呟いた。自分の力不足が口惜しい。
「ブラッドとレオン殿が時間を稼いでくれている間に態勢を整えるぞ。各隊の怪我人の人数と状態を報告。馬は尻を叩いてでも正気に戻せ」
ラファエルの指示に、茫然と立ち尽くしていた騎士団が迅速に動き出した。
ジークムントとアルベルトも自分の隊の状況と騎竜をまとめる為に互いに頷き合った。
石切場へ続く道に出たブラッドは東へ向かって駆け出した。
頭上を覆っていた枝葉が無くなり、ブラッドの姿が丸見えとなった。いつ背中から襲われるか分からない恐怖に竦む脚を懸命に動かす。
力強い羽音が近づいてきた。
見上げる間もなく、蒼竜が鋭い爪が当たらないよう、そっと両手でブラッドを抱き上げた。
蒼竜が高度を上げると、森の中に白い岩肌が剥き出しになった石切場が見えた。
ブラッドを大事そうに抱きかかえた蒼竜の後ろから、あからさまに殺気をぶつけてくる黒竜が追って来ていた。
その殺気から護るように蒼竜はブラッドを己の胸に抱え込んだ。
溢れるように出血は続いていた。
(痛い?)
(大丈夫だ。痛みは無い)
(そう……)
ブラッドは蒼い鱗をそっと撫で、傷口に唇をつけた。
傷を癒したい。
本能が、そうする事が正しい、と訴えかけているような気がする。
どくどくと脈打ち血が溢れている傷口にそっと舌を這わせた。動物が傷を癒すように熱心に血を舐め取る。
鉄臭い筈の血が芳醇な香りが鼻腔に広がり、ブラッドには不思議と甘露に感じられた。
石切場に到着した蒼竜は待ち構える様に黒竜と対峙した。
血が溢れ、ぽっかり空いていた胸の穴は完全に塞がっていた。
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