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第126話
雷は止む間もなく轟き、風は底冷えする程の冷気をはらみながら強さを増し、踏ん張らなければ立っていれられない強さとなった。その上、叩きつけるように大粒の雨が降り出し、たちまち踝まで水が溜まった。
ローザリンデは予期せぬ騎竜の変調と荒天に浮足立つ騎士らを叱りつけた。
(レオン殿……)
突然の荒天の原因がレオンにあるとローザリンデは察していた。
僅かではあるが竜人族の血を受け継いでいるのだ。しかも、四大精霊を従える力を持つ竜人族でも高位の血だ。
自然界の魔力のみならず、大量に躰に保有する竜種の魔力まで支配下に置き、強引に吸い上げられていくのが肌で感じる。
負傷者を収容している天幕が飛ばされないよう補強を指示しながら、ローザリンデは走れそうな馬を探した。しかし、戦闘に耐えるよう訓練されている軍馬が怯えてしまっている。
「何としたものか……」
雷が轟き、稲妻が裂く空をローザリンデは忌々しげに見上げた。時折、青白い光が輝く雲の下を細い光が流れた。
(何だ?! 火矢?)
白い、小さな光だった。
晴れていれば流れ星と見間違えたかもしれない。ローザリンデは手を翳して眼を眇めた。
「鳥、か…?」
ツグミ程の小さな鳥の形をした光が豪雨の中を飛んでいく。その方向は……。
「まさか……」
石切場がある方角だった。
耳の奥を破壊するかのような音を立てて吹く強風に木々がしなり、枝が折れ、雷が落ちた大木の幹が裂けた。雹混じりの雨に叩きつけられ、千切れた葉が舞い上がる。
更に突然の豪雨により沢が溢れ出した。
このまま雨が止まなければ山津波の危険が増す。
その嵐の中を白い光の鳥が強風の影響を全く気にせず飛んでいた。通常であれば小鳥など強風に吹き飛ばされ、その小さな命は容易く失われている。
だが、風も雨も小鳥を通り抜けていく。
不意に嵐から抜け出ると、そこは静寂だった。木々を揺らす強風も、叩きつけるように降る豪雨も無く、空には星が瞬いていた。
その中心に、事切れたブラッドを抱きかかえたレオンがいた。地面に両膝をついたまま微動だにせずに。
小鳥はその上を一周旋回すると、レオンに向けて急降下した。
腕の中で徐々に冷たくなっていくブラッドと同調するように、レオンの思考も凍っていった。涙すら出ない。
自分の心臓をどうやって止めようか
そう考えていたレオンの頭に、軽い衝撃が当たった。それに構わず動こうとしないレオンの頭に数度衝撃が当たる。
ようやく顔を上げたレオンの鼻先を、光る小鳥が嘴でつついた。煩わしくて払い除けようとすると、小鳥は手をすり抜けレオンの額や頬を忙しなくつつく。
嘆息を吐いたレオンの頭に女性の声が響いた。
《何を呆けておるのじゃ!》
「?! その声は……おばば?」
《何と情けない体たらくじゃの! 心を落ち着かせよ! そなたの心に引き摺られて精霊共が大暴れしておる。このままでは無数の小さき命が失われてしまうわい》
「……おばば…」
レオンは感情の無い眼で小鳥を見上げた。
《ええい、呆けておる暇はないぞえっ》
「……?」
《まだ間に合う》
「間に…? 何に?」
《まだ魂の糸は切れておらぬ》
言葉の意味が汲み取れず、レオンは問うように小鳥を見た。
《しっかりいたせ! まだ、魂が躰から完全に離れておらぬと言うておるのじゃっ!!》
「しかし…」
ブラッドの腹に空いた大きな穴から大量に流れ出た血溜まりを見やり、レオンは絶望に頭を横に振った。
《魂を捕まえて躰に戻すのじゃよ。魂の糸が完全に切れる前ならば反魂は可能じゃ》
「だが、この状態では……」
《妾が誘導する。其方と其方が集めた魔力があれば可能じゃ》
小鳥の言葉に、レオンは周囲に魔力の嵐が渦巻いている事に漸く気づいた。強風に撓る木々の悲鳴も轟く雷も豪雨も、ブラッドの死を嘆くレオンの耳には届いていなかった。
《時間は無いぞえ》
小鳥は再度レオンの額をつついた。
《其方の鱗で、小僧の破れた心の臓と躰を再生するのじゃ》
見開いたレオンの蒼穹の瞳に光が戻った。
おばばと呼ばれた小鳥の本体は、リリエンタール領の深い森に住む、遠見の魔女と呼ばれていた。
その昔、皇族に近い高位の貴族でありながら家名を捨て、魔物が多く棲む森の奥に住みついた。縁者らは彼女を変り者と貶み一切の関わりを断った。
もっとも、それは彼女にとっても最良で、誰にも邪魔されず調合と魔力の研究を心置きなく始められたのだが。
それからは滅多に森から出る事もなく、時折、彼女の薬を求めて麓の村人が訪れるのみの静かな日々。ふとした気紛れに、使い魔の小鳥に精神を乗せて周囲を探索するだけの隠遁生活が気に入っていた。
その生活に変化が起きたのはレオンがリリエンタール家を継いで暫く経った頃。集落を襲っていた魔物を森の奥まで追ってきて、遠見の魔女の家を見つけたのだ。
自領の森に変わった魔女が住んでいる事は知っていた。領民として税の支払いを一度もされてない事も。
お互い偏屈で人嫌い。
なのに何故か気が合い、度々レオンが訪れるようになった。
ある日、レオンが魔女に遠見を依頼してきた。初めての事だった。レオンがリリエンタール領を出奔して二十年近くが経っていた。
女性用の装飾品を推しつけ、この耳飾りに纏う魔力と近い魔力を探してくれ、と。女に逃げられたのかと揶揄したら、思い詰めた表情で「俺の半身だ」と呟いた。
レオンがリリエンタール家を出た経緯は知っていた。魔女は水鏡で探し人を遠見した。
この大陸で最大の王国の紋章。そして、竜の意匠と港が視えた。
伝えた内容に心当たりがあるのか、レオンは礼を言うと竜となって飛び立った。
何にも心を動かさず、厭世的だったレオンがなりふり構わず探す相手に興味が湧いた。魔女は水鏡でレオンの様子を度々視た。
探し人が竜の愛し子だったという事には驚いが、レオンの積み重なった想いを受け止める相手としては申し分ないと思った。竜種の愛情で孵化した愛し子だ。下手な相手では、竜人族特有の執着に押し潰されてしまう。
想いが通じ合い、漸く欠けていた心が満たされる時が訪れたのだ。魔女はレオンに心からの祝福を贈り、自分も何となく幸せな気分に浸った。
レオンのただならぬ慟哭と魔力の波動が届いた。皇城まで届かなかったのは奇跡だった。叛意と取られかねないからだ。
すぐさま使い魔に精神を乗せて飛んだ。
瀕死の少年を抱えたレオンを見つけた魔女は瞬時に状況を把握した。
そして、少年の……ブラッドの魂が完全に躰から抜けていない事も。
まだ間に合う。
黄泉に去る前に魂を捕まえるのだ。
白く輝く無垢な魂を。
白い霞の漂う空間をブラッドは歩いていた。
ふわふわとしていて、歩いているのか浮いているのかよく分からなかった。ただ、躰を包む空気が心地好く、ずっとこの空間にいたかった。
ふと、名を呼ばれたような気がした。
明確な言葉ではなく、頭に直接響いたような感じがした。男か女か分からなかったが、包み込むような温かさを感じた。
名を呼ばれた方に意識を向けると、ブラッドは引き寄せられるように下に落ちていった。
ここは……いつか来た事がある…?
白く暖かな空間。
痛みも苦しみも悲しみも無い所。
自分を傷つけるものは一切無い優しい世界。
このまま水の中をたゆたうように眠れたら、どんなに幸せだろうか。眼を閉じると、ブラッドとしての自我が溶けてしまいそうだ。
それは最強の誘惑だった。
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