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第129話

「陛下は私を過労死させるつもりかな?」  フェリックス・オイレンブルク侯爵は、漸く戻った自領の城の門を潜りながらぼやいた。  王位継承を巡る内戦中に父を亡くし、若くして侯爵家を継いでから内戦後の今日に至るまで殆ど休みなく国王に仕えてきた。 立太子時代から国王を支えてきたフェリックスを宰相にという声もあったが、年若い彼には荷が勝ちすぎるとの反対意見の方が多かった。  もっとも、それは妬みを含んだものであったが……。  国王の即位式は、激しい戦禍で半分崩れかけた王都の大聖堂で行われた。急場凌ぎの修復であったが、大勢の市民に見守れながらの異例の即位式となった。  内戦中に敵方に属していた貴族の殆どが降爵、奪爵後に領地替えや、領地、財産没収となった。新国王に恭順を示し、頭を垂れた者が殆どだったが、中には頑なに降る事を拒否し一族郎党処刑された家もあった。  内戦に関する裁判や処分、人事の再編が終了するのに内戦終結から五年の月日を要した。  だが、内乱の火種は燻り続けていた。血筋に拘る貴族達によって、旗頭に王弟が担ぎ出されようとしていたのだ。  王弟は全く玉座には興味が無かったのだが『母親が貴い血筋なのだから国王に相応しいのは自分だ』と思っているに違いない、と勝手に慮って盛り上がっていた。しかも、前国王時代に散々旨味を味わってきた者達は懲りずに、やはり国王は正当な血筋の者が即位するべきである、と主張する始末。  清すぎる水には魚は棲まない。  しかし、膿を出し切らねば内側から国が腐ってしまう。  国王が国政の改革を円滑に進める為に、フェリックスは首謀者を炙り出すべく水面下で動き出した。 (しかし、こんなに忙しくなるとは……)  敵味方の区別が曖昧なままでは協力者を増やそうにも難しく、オイレンブルク家の子飼の手駒と騎士団を総動員し、自身を囮にして改革反対派を誘い出す事にした。  辺境伯に預けた異母弟のジークムントも順調に実力を身につけてきていた。父譲りの豪胆さと天性の人たらしで辺境での確固たる地位を築き上げた。  そのお陰で、疑心暗鬼の中で辺境伯と渡りをつけられたのは本当に僥倖だった。    そんな権謀術数で殺伐とした日々の中、思ってもいなかった嬉しい出来事があった。賢者と名高いクレーメンス老の愛弟子ブラッドとの出会いだ。  本人は賢者の弟子であったという自覚は無かったが、思慮深く聡明で視野が広い少年だった。更にそれらを誇示せず、己を磨き続ける為の努力を惜しまない稀有な人物でもあった。  奴隷商に連れ去られる前に救い出せたのは奇跡であり、神の差配だと今でも思っている。  諸々済ませて早く領地に連れ帰って側近として育てようと思っていたが、多忙過ぎてなかなか会えない日々が続いた。子飼いの一人であるウォーレンからはブラッドの様子を聞いていたが、まさか奴隷と思われて暴力を振るわれるとは……。  ウォーレンにそれとなくブラッドの面倒を見るよう指示したが、本来の仕事を優先させると、どうしても眼を離さざるを得ない。     しかも、竜舎の仕事から外そうとすると竜がブラッドを求めて暴れかねない。  結局、ブラッドを竜舎の仕事につけるしかなく、問題の者を外す前に騒ぎが起こってしまった。    その結果、ブラッドの心は一気にレオンに傾いていった。 (まぁ、同族に惹かれるのは本能に近いから仕方ないがね、ちょっと納得がいかないけれど)  辺境伯の天幕で再開したブラッドとレオンの距離の近さで、二人の信頼関係の深さが分かってしまった。レオンに躰を自然に預けている姿勢が、言葉以上にブラッドの心を雄弁に語っていた。 「侯爵様、お怪我をされているのではないですか?」  黙り込んでしまったフェリックスにブラッドが訊いた。  鎧にこびりついているのは返り血だったが、ブラッドはフェリックスが怪我をしていると思ったようだ。  本心では、怪我をして痛いんだとうそぶいてブラッドに優しく手当てをして貰いたいところだが、さすがに状況が許さない。 「私は大丈夫だよ。ブラッドこそ顔色が悪いね。休んだ方が良さそうだ」 「お気遣いありがとうございます。ぼくは大丈夫です。それよりも、一体、何があったのですか?」 「そう? でも、具合が悪くなったら遠慮しないで言うんだよ。……実は、まさか、新たに呪詛の攻撃を受けるとは思わなくてさ、油断したよ」 「じゃあ、やっぱり他の天幕でも大変な事に……。他の方々の手当てに向かいます」 「それは大丈夫だから」  天幕を出ようとしたブラッドをフェリックスは制した。 「私の部隊の者が手当てにあたっているからね」  ブラッドはほっとして止まった。 「それより、何があったんだい? 急に騎竜が飛べなくなって、危うく墜落するところだったよ」  フェリックスの疑問にブラッドは答えられずレオンを見上げた。 「大した事ではない。魔力が大量に必要になっただけだ」 「ふむ。よく分からないけれど、今はそれで良しとしよう。時間がないからね」 「どういう事だ」 「北方軍との停戦は成ったのだけど、今度は北方軍同士での戦闘が始まってしまったのだよ。私の部隊は、今から攻撃を受けている側の加勢に行こうと思っていたのだが……辺境軍が全く機能していない状態でここを離れるのは……」  自軍同士の戦闘と言っても、圧倒的な戦力差で蹂躙されている軍への加勢だ。一時でも早く駆けつけなければ全滅してしまう。 「その攻撃を受けている軍とは、まさか…」 「辺境軍に加勢してくれた、北方国の第三王子の軍だ。戦闘停止のきっかけを作ってくれた方だよ」  第三王子から密かに接触があったのは、王国で禁止されている奴隷船を拿捕し、ブラッドを保護した頃だ。  国王直轄地で領主代行として派手に動いて、謀叛に加担している者を大いに刺激していた。   『貴国の恥知らずと我が国の恥知らずが手を結んでいる』  短い、率直な文面の密書をフェリックスに届けたのは、第三王子に最も近く、全幅の信頼を寄せられている従者だった。  従者によると、立地の良い港からの収益欲しさに北方国の国王を唆した者がいたようだ、と。北方国は海に面してはいるものの断崖絶壁が殆どで、小さな漁村が点々とあるだけで、貿易を目的とした大きな港が作れる立地が無かった。 「そんな……だって、自分が住む国なのに……どうして……」 「謀叛人共は、国王の強力な後ろ楯である私と辺境伯が邪魔だったんだよ。私を暗殺し、辺境伯を北方軍に討ち取らせ、上手いこと言い包めて北方軍にはお引取り願うつもりだったってさ」 「はぁ?」  レオンが呆れた表情でフェリックスを見た。 「毎年、莫大な収益のある港を北方の蛮族になんぞにくれてやるのは愚かな事だ。何、文化の低い蛮族だ。いくらか金品を渡せば満足して帰るだろう。港の収益は我らで山分けとしよう」  フェリックスは言いながら肩を竦めた。 「あまりに浅薄な、いや、単純な…阿呆で杜撰な計画にはさすがに私も呆れたよ。あれこれ策を弄し、国中を駆け回り、過労死を覚悟した私を労ってくれないか?」  言葉を取り繕うのを捨て去り、フェリックスは深い嘆息を吐いた。 「侯爵様……」  フェリックスの秀麗な顔には、戦闘以外の疲労の陰が色濃く残っていた。 「……さすがのオイレンブルク侯も阿呆の考えを読むのは不得手だったようだな」  いつの間にかローザリンデが起き上がって床机に寄りかかっていた。真っ青だった顔に僅かに赤味が戻っていたが、声にはいつもの力強さが無い。 「伯爵様っ。起き上がって大丈夫なのですか?!」  立ち上がろうとするローザリンデをブラッドが支えようと駆け寄った。 「鎧を外してくれたのだな。呼吸が楽になったよ、ありがとう」  ブラッドの手を借りて立ち上がったローザリンデはフェリックスに頭を下げた。 「我が軍が世話をかけた。後は気にせず、第三王子の助太刀に向かってくれないか」 「しかし……」 「今、あの方を失う訳にはいかぬ。それは、侯もよくよく知っておろう。これからの国同士の関係に無くてはならぬ方だ」 「…そうですね。騎竜が飛べないので騎馬をお借りしてもよろしいかな?」 「案内は出来ぬが、動ける馬は全て連れて行っても構わぬ故……頼みます」  本当は自ら駆けつけたいに違いない。  今更、何故、呪詛が仕掛けられ、終わった筈の戦闘が再開されているのか。激憤を抑え込み、ローザリンデはフェリックスにもう一度頭を下げた。 「薬類は置いて行きます。動ける騎馬は全てお借りします」  頷いて踵を返したフェリックスの背にレオンが声をかけた。 「俺にも馬を貸してくれ」 「レオンッ?!」 「ブラッドは辺境伯と一緒にいてくれないか」 「で、でも…」 「大丈夫だ」  後に続いて天幕を出て来たレオンにフェリックスが振り向いた。 「竜になっていただけるのかな?」  レオンは首を横に振った。  体内の魔力は回復してきているが竜身になるには不足だ。  レオンは無骨な大剣を掲げた。名門の公子が持つには華美な装飾が一切無い。しかし、よく斬れる業物だ。 「剣士として助太刀する」          

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