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第130話

 一体、何処から湧いて出たのかとぼやきたくなる程の数の黒い塊が蠢いていた。  思っていた以上に広範囲から魔力を集めていたらしく、敵軍の黒竜の浮遊力も奪っていたようだ。  レオンはフェリックスと並んで急勾配の坂を馬を駆って降りながら片眉を上げた。  黒竜が腕を振り下ろし、脚で歩兵を踏みつけていた。騎馬が果敢に槍で立ち向かうが、太い尾の一振りで吹き飛ばれた。  魔力が足りずに飛べなくとも竜の攻撃力が強力な事に変わりはない。 「先に行く」  言うと同時にレオンは騎馬に魔力を注いで脚力を強化し、速度を上げた。  混戦の中、最も防御を固めている場所に北方国の第三王子がいるのだろう。だが、どれが王子の陣営の兵か敵方か区別がつかない。  レオンは兵よりも黒竜に狙いを絞った。    今にも兵を踏もうとしている脚を一刀で斬り落とすと、返す刃で下から黒竜の腹を裂く。噛みつこうと大口を開けた首を叩き斬ると、絶命してゆっくり傾いでいく竜を踏んで跳ぶと、更にもう一体の首を落とした。  圧倒的な力差で兵士をなぶり殺していた黒竜が慌て始めた。人間は虫のように弱く、自分達は強い筈だ。  それが産まれたての子牛のように次々と屠られていく。  恐慌状態に陥った黒竜達は一斉にレオンに向かっていった。通常の竜であれば、決してしない愚行である。  竜がどんなに強くとも、竜人族の……皇族の竜人族と戦うなど本能で避けるからだ。  竜身にならずとも、レオンは剣士として最高の教育を受けている。更に仙境で竜と同等の魔物を狩っていたのだ。  力を振るうしか知らない黒竜は強敵にはなり得なかった。 (やれやれ、まるで鬼神じゃな)  戦場の上空で光る小鳥が……おばば、こと遠見の魔女がレオンの奮闘を見下ろしていた。  休みなく迫りくる黒竜をいなし、斬り捨て、更に尾を掴んで振り回して黒竜の群れに投げ飛ばす。  普通の人間であれば竜に迫られたら恐怖で動けなくなるか失神するかだろうに、レオンは冷静に対処して剣を振るっていた。 (いや、違うのう)  あれは、冷静に怒っている。 (器用じゃな)  怒りが強ければ強い程、腹は煮え滾る熱が今にも膨張して爆発しそうだが、頭は反対に冷えて視界が広がっていく。  レオンは黒竜の頭を落とし、急所を一突きしながら次の獲物に視線を向けた。全てを屠らなけらば腹が収まらない。  ブラッドを悲しませ、苦しませ、挙句に命を落としかけたのだ。例えこの戦が終わっても、奴らは存在するだけでブラッドの心に闇を残す。  ブラッドが悲しむからというより、ブラッドの中に自分以外の存在が残る事が気に入らない。後顧の憂いを残さない為にも黒竜は全て消す。 「いやはや、竜人族の独占欲は凄まじいねぇ」  黒竜への容赦の無い攻撃を見て、フェリックスは正確にレオンの心情を見抜いていた。  助っ人を買って出たのは純粋に騎士道からだろうが、黒竜への攻撃を開始した時から私憤が勝っていたと思われる。 「黒竜はレオンに任せて我らは人間を相手にするとしよう。第三王子の隊は左腕に白い布を巻いてある。巻いてない方を攻撃するように」  フェリックスは攻撃を黒竜に任せて遠巻きにしている隊を剣で差した。 「ほら、油断して右翼ががら空きだ。隊長格の首級を取って名を上げよっ!!」  まさか増援が来るとは露ほども思っていなかった敵軍は構える間も無く、フェリックスの精鋭部隊の攻撃をもろに喰らった。  辺境軍の本陣までは剣戟の音は届かないが、命が失われていく気配が水面を走るさざ波のようにブラッドに届く。何故かは分からないが、今まで感じた事のない空気の波動が肌で感じられるようになっていた。  苦痛。  怨嗟。  諦め。  悲哀。  離れた戦場の血臭に囲まれた気がし、ブラッドは胃液が喉元に迫り上がってくる感覚に口元を手で覆った。 「ブラッド?」  ちょうど本陣の幕内に入ってきたラファエルがブラッドの異変に気づいた。 「大丈夫か?!」  そう言いながらブラッドを支えるラファエルの顔色は更に悪い。  意識を取り戻してからラファエルは体調の悪さを一切口にせず、騎士団の様子を見て回っていた。動けそうな者にユリウスが用意した薬草茶を煎じるよう指示し、意識が戻っても動けない者や意識が混濁している者との天幕を分けて歩いた。  動ける者の中で特に呪詛の影響の軽い兵士を見張りに立て、兵站を確認した。  ローザリンデも騎士らを鼓舞して回っていた。  辺境軍は地形が深雑な為、機動力を重視した騎馬隊と竜騎士が多い。自分の躰より、ぐったりしている騎竜と騎馬の世話をしている騎士に交代で休むよう声を掛け、ローザリンデも本陣に戻った。  そこでラファエルに躰を支えられて椅子に座らされていたブラッドを見て顔色を変えた。 「ブラッド! いかがしたのだ?!」  ラファエルから水袋を受け取り、ブラッドは一口飲んで短い息を吐いた。ローザリンデは膝を着いてブラッドの頬に手を当てた。  頬は冷えていたが、水を飲んで落ち着いたのか赤味が僅かに戻っていた。 「ブラッド、体調が悪いのであれば、寝台を整える故、疾く休むがよい」  ローザリンデの申し出にブラッドは慌てて首を横に振った。 「い、いいえっ。大丈夫です」 「しかし……」 「本当に大丈夫です。その、何と言ったら…空気が痛い、と言うか重苦しくて……」  死の淵から還ってから細胞の一つ一つが活性化しているようで、肌から伝わる情報量の多さにブラッドは戸惑っていた。空気の対流が視覚化されているような感覚に肌が粟立つ。  遠い戦場の出来事が離れていながら手に取るように分かる。それが怖い。  レオンが戦っている様子が眼を閉じていても視える。勇ましく、頼もしい姿が。  だが、戦っている相手は黒竜の筈なのに、黒い『呪』そのものにしか視えないのが恐ろしい。  牙を剥き、爪で引き裂こうとする黒竜を次々と屠るレオンの足元に漆黒が広がっていく。  あれは……駄目だ。 「駄目とは何だ?」  声に出ていたらしい。  ブラッドはきつく閉じていた眼を開けてた。  その瞳を見たローザリンデとラファエルが息を飲んだ。  どこまでも澄んだ緑の縁の金環の瞳の美しさに。 「このままだと、大地が……命が穢れてしまう……」  ブラッドがふらりと立ち上がる。  慌てて止めようとしたローザリンデの手が何かに弾かれた。 「ブラッドッ!?」 「穢れが広がっている……」  それが恐ろしいのと同時に悲しい。  何とかしなくてはという焦りがブラッドの胸を占めていた。  天幕を飛び出したブラッドは戦場に向かって走り出した。  あれ程の漆黒の『呪』が消滅するには千年近い時を待たねばならない。その間、呪いは様々な生き物や無機物を媒体として広がっていくかもしれない。  時に疫病として。  時に心と精神を病む闇として。  人の世が荒廃していのが視える……。 「そんなの、駄目だよ。悲し過ぎる……」  眼の奥が熱くなり、視界が滲んだ。  雫が、ぽたり、と落ちた。  突然駆け出したブラッドをローザリンデとラファエルは咄嗟に追った。体調不良でも二人は鍛え抜かれた竜騎士だ。  すぐに追いつくと思っていた。  遠くの稜線に白い光の筋が見えた。闇一色の空が白み始めたのだ。  もうすぐ朝がくる。  夜であれば闇に紛れて敵からは見つかり辛いが、明るくなってしまえば隠れる場所が無い。戦う術の無いブラッドは見つかり次第殺されてしまう。  ローザリンデより先にラファエルがブラッドに追いついた。腕をブラッドの躰に回して抱き抱えようとした瞬間、白い光が輝いた。 「なっ…んだっ?!」  強烈な光に閉じていた眼を開くと、白い竜が現れ、ゆっくりと翼を広げた。  

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