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第140話

 初冬、王国では戦勝の祝賀会が大々的に催された。    内戦から舞踏会はおろか夜会も数える程しか開催されておらず、若い男女の出会いの場が少なかった。その為、親類縁者の紹介や派閥同士の限られた縁談のみで、若年層からは不満の声が上がっていた。  国王もこれでは駄目だと思っていたが、何分先立つものが無かった。長引いた内戦で国庫は空も同然だったのだ。  ところが、北方国からの賠償金が驚く事に一括で支払われたのだ。国庫は潤い、祝賀会が開催される事が決定した。    数年振りの舞踏会である。  王国の威信をかけての大舞踏会だ。  若い男女のみならず、人々は今までの鬱憤を晴らすかのようにきらびやかに着飾って集まった。王宮への道は馬車が連なり渋滞し、最後尾が王宮に入るのに数日かかった程だ。  国も貴族の末端にまで招待状を届け、この祝賀会は、国の威信をかけての大規模な祝宴である事を知らしめた。  更に、三日間の祝賀会の最終日は北方国との新たな国交樹立の祝宴となっている。      侵攻してきた、そして打ち負かした国との、である。  当初、議会は外患誘致は北方国による陰謀だと結論し、敗戦国の王室は滅ぼすへまきだと息巻いた。  しかし、調査が進むにつれ、声高に喚いた者の殆どが外患誘致に関わっており、辺境伯領からの援軍の要請を握り潰していた事実が発覚した。  それらに対する処罰の全てが漸く終わった頃、秋も終わろうとしていた。  そこから祝賀会を行うと国王が宣言し、王宮は上を下への大騒ぎとなり、大方の準備が調った頃、木々の葉は散っていた。  初冬であれば食中毒の心配も軽くなる。  街道を持つ領主に整備を命じ、腰まで積もった落ち葉を掃除し終えたのは祝賀会の直前だった。  領民してみれば祝賀会など自分達には関係無いのだが、街道の整備に参加した者には一人残らず国から銅貨が配られるとあった。しかも税のかからぬ臨時収入である。  人々はこぞって参加し、漸くよちよち歩きを始めた子供までも連れて来た。  これで今年の冬越えが楽になると皆喜んで作業をした。  色とりどりに着飾った若い男女の最大の目的は、美しく、更に家の利になる配偶者を得る事だ。  令嬢達は勝利の功労者であるオイレンブルク侯爵の、三男以下の令息らはエーデルシュタイン辺境伯の気を引く為に最大のお洒落をした。    白地に金銀の装飾の施された両扉が開かれると、人々の眼は驚愕に見開かた。  フェリックス・フォン・オイレンブルク侯爵とローザリンデ・フォン・エーデルシュタイン辺境伯が、にこやかに連れ立って現れたからだ。  フェリックスは翠の礼服を、ローザリンデは榛色に近い琥珀の大ぶりの装飾品を身に着けて国王の前に立った。お互いの瞳の色を纏った二人に、国王は大袈裟に両手を広げて祝福をした。    二人の『婚約』ではなく『結婚』を。  国王の後ろに控えていた王弟は目と口を大きく開けて、糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。令嬢らも淑女らしからぬ大きな口を開け、令息らは絶望の悲鳴を上げた。  会場は阿鼻叫喚の渦に覆われた。  次々と届く婚約の申し込みに辟易した二人は手を組む事にした。  お互い国境に接する重要な領地持ちで、更にローザリンデは辺境伯である。他家に嫁ぐのではなく婿取りをしなくてはならない。  それをフェリックスは国王に直訴して超法規的措置で『通い婚』という形で結婚を可能にした。  初め議会は二人の結婚を反対した。  国王派と無派閥派の最大勢力だ。これでは国王派の力が強まってしまう。  先の紛争で議会の力がかなり削がれてしまっている。焦った議会は、典範を隅から隅まで法務局に調べさせたところ、領地を治める爵位持ち同士の結婚の記述が無かった。議会は安堵し、居丈高に結婚は不可能だと述べた。  無いのならば、新たに作ればいい。   フェリックスは口の端を釣り上げた。実に魅惑的で悪魔的な微笑で。  そしてフェリックスは断るには不可能と言うしかない魅力的な提案を、国王と議会にした。 「北方国からの賠償金の支払いを早められますよ?」     祝賀会最終日。  北方国との国交樹立の記念式典である。  調印式を終え、北方国の使者を交えての大舞踏会だ。  人々の話題は、数ヶ月前まで戦っていた北方国の外交官として訪れた第三王子が主だった。  野蛮な国の王子とは、どの程度の者なのか。  大陸の文化の中心と呼ばれる大国に、無謀にも戦を挑んだ愚かな田舎者。  莫大な賠償金を支払い、金の無い小国がどれだけ着飾れるものか。どんなにきらびやかに着飾ろうとも野蛮人は野蛮人、と嘲りを含んでいた。      現れたのは、月光のように輝く銀髪を頬で切り揃えた、白薔薇の化身見紛う美貌の王子。傍らには、その王子に手を取られ、淡い金髪がふわふわと揺れる愛らしい姫。雪のように透き通る白い頬は、緊張と期待で薄っすらと紅色に染まっていた。  王子が芸術の神に彫られた水晶の彫刻ならば、妹姫は砂糖菓子の甘さと愛らしさを具現化した妖精姫。  先日、王太子となったばかりの第一王子は、同じ年の妖精姫と目が合った途端、躰の奥がかぁっと熱くなった。  いつもは下ろしている父譲りの黄金色の前髪を後ろに撫でつけ、今夜、第一王子は大人の仲間入りを果たした。今までは未成年だったので夜会には参加出来なかった。  記念すべき初めての夜会は、敵国だった国との国交樹立の式典と舞踏会。調印の外交官として訪れる第三王子には礼を尽くすようにと、父王には釘を差されていた。  けれど自分は勝利国の王太子だ。相手は敗戦国で、文化的にも国力的にも我が国より劣る、たかだか三番目の王子だ。自分の方が格上だ。容姿も国一番の美貌で知られた母の容貌と、父の猛々しさを譲り受けている。  王子という優位性を差し引いてもモテていると思う。  思っていた。  その小さな自尊心と高い鼻は、第三王子と妹姫が連れ立って会場に現れた瞬間、ポキリと折れた。  それは会場中の、今宵の為に着飾れるだけ豪奢に着飾った人々も同じだった。  微笑み合う第三王子と妹姫。  白地に銀糸の薔薇模様の刺繍の王子。  同じく白地に、裾にいくに従って徐々に濃くなっていく淡紅色の花模様の刺繍の妹姫。  国王が二人を紹介し、祝賀会が始まった。  王太子は逸る気持ちを抑えながら二人の前に立った。 「シグルド・クロムウェル・バウムガルテンです。ようこそお越し下さいました」 「クリスティアン・バンティクル・ハーヴェスト・モレーンです。丁寧なご挨拶、痛み入ります」 「クラリッサ・モレーンです」  声まで可憐で可愛い。 「ぼ…私と踊って頂けませんか?」  勇敢にも兄王子の目の前でダンスに誘ってみた。妹姫に断られるとは思いたくないが、兄王子の反応が怖い。  クラリッサは兄を見上げた。  クリスティアンは慈愛に満ちた笑みで妹を見返した。 「楽しんでおいで」 「はい、お兄様」 「シグルド王子、妹を宜しくお願いします」  シグルドはしっかりと頷き、クラリッサの手を取った。  国王が合図をし、音楽が流れた。  最初の印象の妖精のように軽やかに踊るクラリッサに、シグルドだけでなく令息達も見惚れた。彼らの婚約者は冷めた視線を向けつつも、国王の傍らに控えていたフェリックスと談笑しているクリスティアンが気になって仕方がない。  クリスティアンは誰と踊るのか、と。  重さを感じさせないクラリッサの軽やかな足どりにシグルドは感嘆した。  兄王子のクリスティアンは氷を思わせる水色の瞳だが、クラリッサは透明感のある紫水晶の瞳だ。  その澄んだ瞳と目が合うと心臓が不規則に跳ね上がる。それを何とか表情に出さないよう努力し、シグルドはクラリッサに訊ねた。 「私の事はシグルドと呼んで下さい。クラリッサ姫と呼んでもいいですか?」 「ええ」 「婚約者がいらっしゃるのではないですか? 私と踊っても良かったのでしょうか?」 「いいえ、まだおりませんの」 「それは僥倖です。私が婚約者に立候補しても?」 「まぁ」  クラリッサは可笑しそうに微笑んだ。  王族の婚約となると国家間の重要案件である。クラリッサはシグルド言葉を社交辞令と受け取ったようだ。 「クラリッサ姫の理想の男性とは、どのような男性なのでしょうか?」  クラリッサは小首を傾げて口元を綻ばさせた。 「クリスティアンお兄様より強い方、かしら?」  身近な男性は家族だけなだろう。クラリッサはクリスティアンの名を上げた。  シグルドは父王と侯爵と談笑しているクリスティアンに、ちらりと視線を向けた。  白薔薇の化身のような華やかな美貌だ。長身だが細身で、とても剣を振るう武人には見えない。  今は身長が足りないかもしれないけれど、あと数年もしたら父王と並ぶくらい伸びる筈だ。剣の師は豪剣で知られる王家直属の騎士団長だ。剣の技倆は、同年代より頭一つ抜きん出ている。  もしかしたら、クリスティアンより強いかもしれない。  少年期特有の謎の自信に、シグルドは朗らかに微笑んだ。 「クリスティアン殿下はお強いですよ」  クラリッサと心ゆくまで会話をし、心にも背中にも羽根が生えたように弾みながら自室に戻ろうとしたシグルドにフェリックスが告げた。   「……えっ…?」  振り向いたシグルドの顔には疑問符があった。  女性めいた容貌のクリスティアンを、シグルドは無意識に侮っていた。それをフェリックスは感じ取っていた。  そのシグルドに、フェリックスはにっこり笑ってとどめの言葉を続けた。 「熊を一撃で、しかも素手で倒した逸話をお持ちです。これは事実ですよ」          

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