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第141話

 驚きと衝撃のフェリックスとローザリンデの結婚だったが、二人は二男一女に恵まれた。  長男次男は双子でオイレンブルク侯爵領で、二歳下の長女は辺境伯領で育てられている。 「是非、子供達に会いに来てくれと二人からの言付けだ」  十年眠っていたという自覚は無いが、確実に年月が過ぎているのだなとブラッドは感じた。意外な二人の結婚だが、結構お似合いだなとも思った。   「長男と次男が七歳で、長女が四歳だ」    敬愛する二人の子供達だが、想像が出来ない。どちらに似たとしても、きっと愛らしく可愛いのだろうな思った。 「その内、会いに行こう。だがその前に、取り敢えずは俺達の家に行こう」 「家?」  旅をするにも拠点があった方が良いから家を買ったとレオンは答えた。二人で住むには少々手狭だが、小さく管理のしやすい丁度良い物件が森の入り口付近にあった、と。 「どうやら魔力が落ち着いたようだな」  言いながらレオンはブラッドを抱き上げながら立った。 「え? レオン?」 「おばば、世話になった。これで暇する」  奥に向かって声を掛けると、意味の分からない言葉の応えがあった。 「研究に夢中になったら籠もり切りになるからな。構わず行くぞ」 「え? でも…」  ブラッドは顔を見て、改めてきちんとお礼を言いたかった。 「気にするな。お前の髪の毛は、対価として十分貴重な物だ。釣りがくるくらいだ」 『白竜』の素材が手に入る事など、今後、千年経っても無いだろう。一、二年は外に出て来ないかもしれない。  竜について前のめりに研究しているユリウスを思い出した。 「いいのかなぁ…」 「構わん構わん。さぁ、俺達の家へ行くぞ」  レオンはブラッドの額に唇を落とし、背中に翼を出すと、上機嫌で空に飛び上がった。 「確か、小さな家って言わなかった、レオン?」  上空から見下ろした家は、高い樹木に囲まれた、広い庭と池のある大きな館だった。池の傍らには、白を基調にした外壁に蔦が絡まった四阿がある。  館の背には魔獣が跋扈する深い森。崖下は湖。手狭と言うには大き過ぎる、天然の要塞と言っても過言ではない立地だ。  木こり小屋を少々大きくした規模の家を想像していたブラッドは頬を引き攣らせた。 「やはり、小さ過ぎたか?」  レオンは申し訳無さそうに眉尻を下げた。 「小さいどころか…」  二人では大き過ぎると思う。掃除だけで一日が終わりそうだ……。      ブラッドを横抱きしたまま館の庭に降り立ったレオンは憮然とした。無人の筈の館の玄関前で、五人の男女が並んでいたからだ。  中央に立っていた黒に近い藍色の髪を後ろに撫でつけた青年が一歩前に出た。胸に片手を当て、美しい所作で深々とお辞儀をした。 「お帰りなさいませ、旦那様」  残りの四人も青年に倣い、揃ってお辞儀をした。 「何故ここにいる、ゲオルグ?」  レオンは不機嫌に青年の名前を呼んだ。 「我ら一同、旦那様とご伴侶様のお帰りを心からお待ちしておりました」  口元を綻ばせ、ゲオルグはブラッドを見た。切れ長の青灰色の瞳には優しい光があった。 「こちらの者達を紹介させて頂きます」  ゲオルグと呼ばれた青年はレオンの質問には答えず、後ろに控えている男女の紹介を始めた。  白髪交じりの肩幅の広いがっちりした体型の男性が庭師のヨアヒム。その横の茶色の髪の少年が、ヨアヒムの孫で庭師見習い兼雑務。焦げ茶色の髪を短く刈り上げた長身の男性が料理人のスヴェン。優しい微笑みを浮かべている、緑がかった金髪を結い上げた女性がスヴェンの妻で、家事全般を請け負っているアンネリー。 「そして、私が執事のゲオルグ・バッハシュタインと申します。以後、宜しゅうございます、ご伴侶様」 「…だから、何故ここに」 「旦那様がお屋敷をご購入さなさってから早五年…」  ゲオルグはレオンの言葉を遮って慇懃に話し始めた。 「どんなに頑丈な屋敷と言えど、家は人が住まねば忽ち荒れてしまいます。そして、この規模の屋敷の維持は、旦那様が考えておられているより人手がいります」 「このくらい…」 「通常であれば、最低限十人は使用人が必要です。掃除、洗濯、料理、庭の手入れ」 「そのくらい…」 「布を破かずに洗濯。家具を壊さず、壁に穴を開けずに掃除。肉や魚を焦がしたりせず、栄養価を考えた食事。花についた虫を風で払って庭木を吹き飛ばしたりしない」 「お、お前…どこで…」  ゲオルグが言った事は、レオンが旅に出て直ぐに全てやらかした失敗だ。  領地を出奔し、竜の卵を探す旅。  成人してからは家に寄り付かず、城下街や繁華街を放浪していたから、多少は世慣れたつもりだった。  しかし、結局は傅れて育った貴族の坊ちゃんである。また、街ではレオンに気に入られようと女達が争うように世話をしたのも、生活能力を身につけるのを阻害するのに拍車をかけた。  土埃で汚れた服を洗おうとして、力の加減が分からず真っ二つに破いたり、川魚を消し炭にしたり、獣の肉を歯が立たない硬さまで焼いたり、宿の部屋で虫を追い払おうとして壁に穴を開けたりと散々だった。  徐々に旅慣れていったが、それらの失敗が全てバレている。こっそり後をつけて覗き見していたに違いない。  そう確信してゲオルグを睨んだ。   「覗き見しなくとも容易に想像がつきます」  ゲオルグはにこりともせずに言った。 「公爵家で大事にお育て申し上げたと父が言っておりましたから」 「俺が世間知らずだと言いたいのか」 「いえいえ。ご立派に成長なされました」 「お前、俺と半年しか違わないくせに偉そうに」 「ご当主、ご伴侶様をいつまで陽の下に晒させておくおつもりですか? 秋といえど、この陽気では躰によろしくございません」 「ぬ…ぅ…」  ブラッドは目をパチパチさせてレオンとゲオルグを交互に見た。言い淀む、更に言い負かされるという珍しいレオン。  そして、ずっとレオンに抱きかかえられたままだと気づいて慌てた。 「レオン、降ろして」 「何でだ?」 「ぼくも挨拶しないと。このままは失礼だよ」 「構わん」 「構うよー」  足をバタバタさせて抗議をしたが、レオンはブラッドを抱く腕に力を込めた。 「どうぞお気になさらず、ご伴侶様。素足の裏が傷ついてしまいます。直ぐに履物をご用意致しますから、お茶でも飲みながらお待ち下さい」 「だから、どうしてお前が仕切るんだ…」    応接室の長椅子で、何故かレオンの膝の上に座らされて、ブラッドはゲオルグが淹れたお茶を頂いていた。  一人で座ろうとしたが、床に足が着く前にレオンが当然の顔をして、抱えたまま長椅子に腰を降ろしたからだ。  茶菓子を用意しているのを躰を小さくして見ていると、視線を感じたゲオルグがブラッドに微笑みかけた。 「どうか旦那様の気の済むまで膝の上でお寛ぎ下さい」  柔らかな口調でゲオルグが言った。 「宝物を抱え込むのは竜の習性なので」 「習性…?」 「はい。物語での竜は、金銀財宝などを溜め込んでますでしょう? あれは竜種の大切なものを懐に大事に仕舞い込む習性を、お伽噺では財宝に見立てたものなのです。それに、旦那様の膝の上は居心地が良いでしょう?」  ブラッドは素直に頷いた。  人前で恥ずかしいが、レオンに抱えられるのは嫌ではない。腕の中は心地良いし、安心するのは確かだ。ずっとくっついていたいと思う。 「特に高貴な方々は血が濃いので、その傾向が顕著なのです。但し、嫉妬心も激しいのでお気をつけ下さいね」   嫉妬?  小首を傾げたブラッドの頭頂部にレオンが軽い音を立てて口づけをした。 「レレレレオンっ。人前でっ…、執事さんが いるんだよ?!」 「私など、部屋の隅の花瓶とでもお思い下さい。それから私の事はゲオルグと」  真っ赤になったブラッドにゲオルグは笑いかけた。 「そこら辺の虫とでも思っておけ」 「可憐な花に惹かれる蝶に例えて下さるとは、旦那様は詩人ですね」   「誰が蝶だ。花虻がいいところだろうが。大体、何だってお前らがこの家にいるんだ」 「私共は公爵家の使用人ですので、旦那様方のお世話をさせて頂くのは当然でございます」  レオンは深く息を吐いた。 「俺は、もう公爵家から出たんだぞ」 「本邸からは少々遠いですが、この辺りはリリエンタール領でございますね」  空になった茶器に新たに茶を注ぎながら、ゲオルグは天気の話でもするように答えた。 「旦那様の不在を守るのも我ら使用人の大事な仕事です。領政は家宰と管財人とできちんと経営し、税もきちんと納めております。それから、旦那様は今だリリエンタール領の領主にございますよ」 「領地返納の手続きの書類も印も用意していたおいたのだが?」  ゲオルグは目を何度か瞬いてから、ああと大きく頷いた。 「あの書類にはいくつか不備がありまして、無効となりました」 「不備? 無効?!」  必要な書類は全て取り寄せた筈だ。当主印も領主印も押した。 「第三者による保証人の欄に署名がありませんでしたよ」  他領との没交流だったレオンには、保証人になってくれる高位貴族がいなかった。だから、高名な遠視の魔女に…おばばに署名してもらったのだ。おばばの名声は、皇族始め高位貴族らにも知られていたからだ。 「はい。魔女様のお名は有効でございました」 「ならっ…」 「旦那様」  ゲオルグは小さく嘆息を吐いた。 「保証人は最低限二名で有効になります」  二人のやり取りをブラッドは黙して見守るしか出来なかった。              

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