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第143話

 長らく王領だったリリエンタール家に一代限りの当主が決まった時、ゲオルグ・バッハシュタインは生後半年程だった。  リリエンタール家の管財人であった父は、これを機に年齢を理由に引退を決めた先代家宰の後を継ぐ事となった。それは皇家の意向もあったが、妻が子供を出産したばかりだったのも大きな理由だった。  リリエンタール家を継ぐのが、孵化したばかりの赤子だったからだ。  皇帝の最愛の側妃が産んだ男児。    皇帝には既に正妃が産んだ皇子が三人おり、側妃は男児の皇位継承権を拒否した。  更に皇帝は側妃に夢中で、彼女が産んだ皇子には全く興味が無かった。むしろ、側妃との時間を奪う存在として気に入らなかった。  ところが、側妃は自分が産んだ赤子に愛情を示さなかった。冷ややかに一瞥し、抱く事もしなかった。  両親のどちらからも関心を持たれなかった赤子の世話を誰もしたがらず、かと言って放置するには血筋が貴い。  必要最小限の世話だけで一月が過ぎた頃、側妃が病で床についた。  元々、側妃には婚約者がいた。  幼馴染みで互いに想い合っており、成人後に結婚する予定だった。  だが、成人のお披露目を兼ねた皇城での舞踏会で、皇帝が彼女の美しさに一目で惹かれ、強引に側妃に召し上げたのだ。  当然、彼女は激しく抵抗した。幼い頃から想い合っていた相手との結婚を目前としていたのだ。  しかし、伴侶の証の鱗を交換していなかったのが仇となった。  相手は伯爵家の三男で、彼女の子爵家に婿入りする予定だった。  子爵家が皇帝に歯向かうなど、針の先程もあり得ない。伯爵家も同様だ。  両家の話し合いの結果、三男は子爵家の次女と結婚し、予定通り入婿する事になった。  失意の中、彼女は後宮に入ったのだった…。    皇帝は側妃に執着し、毎夜訪い、程なくして彼女は懐妊した。  実家である子爵家の親族は歓びに沸いたが、子爵家は複雑な心境だった。  竜人族の貴族は竜身となり卵を出産する。その卵の殻は母親の魔力で作られるのだが、これは外敵から胎児を保護する膜であり、古来からの名残りだ。  ところが、卵の殻を形成するには胎児の魔力に対し側妃の魔力が弱かった。  父親である皇帝の血が濃く、強大な魔力を受け継いだからだ。  母体の本能で卵の殻を形成する事に魔力が注がれ、ギリギリの魔力で側妃は竜身となった。長い時間をかけ、側妃は苦しみながら卵を産み落とした。  側妃が床についたのは、難産により魔力を生み出す回路が壊れたからだった。  それも、回復不可能な程に。  ゲオルグとレオンは乳兄弟として育った。  父母は、レオンを伝統のある公爵家の立派な当主となる為の養育に心血を注いだ。  教育、教養、剣術、体術、魔力操作。  全てにおいて同年代の貴族より抜きん出るように。  レオンもまた幼いながらも、己の立ち位置を正確に把握していた。少しでも手を抜くと、自分の世話してくれている者達が責任を取らされるのだ。  レオンは泣き言一つこぼさず、血の滲む努力を続けた。  それらが自分を護る盾になると信じて。    隙を見せてはいけない。  失敗は赦されない。  あの頃の幼いレオンの小さな肩には、どれ程の重圧がのしかかっていたのか。    伝統の重み。  公爵の重み。  義務の重み。  父母と共に他の使用人もレオンを献身に仕えた。ゲオルグも父母に倣い、将来レオンの支えとなる為に猛勉強をした。    レオンが歩き始めた頃から、父母に連れられ皇城へ上がる日が時々あった。  父に抱かれて帰宅するレオンは、いつも蒼白な顔でぐったりとしていた。意識が朦朧としてる時もあり、そのまま数日寝込む事もあった。  レオンを心配したゲオルグは父母を問い詰めた。しかし、二人は厳しい表情で何も言わなかった。  他言無用。  父母の無言の圧力にゲオルグは口を噤むしかなかった。  後に分かった理由に、ゲオルグは頭が沸騰した。レオンの存在意義を根底から無視をした非人道的な所業だったからだ。  病床の母親である側妃への魔力の『譲渡』という名の『搾取』  魔力を自分の躰で作り出す事が出来なくなった側妃…母に、レオンは魔力を可能な限り注いだ。   『そのくらい当然であろう。それが母を犠牲に産まれた其方の罪の贖い方だ』  漸く立ち始めた頃の幼いレオンに皇帝は冷ややかに吐き捨てた。  本来であれば、膨大な魔力を保持する皇帝が魔力を注ぐ方が早いし確実だ。     しかし、皇帝が側妃とはいえ個人に固執して魔力を注ぐ行為は、周囲に軋轢を生みかねない。正妃を始め後宮の派閥と政治の派閥は表裏一体。  側妃への労りを我儘として周囲に諌められた苛立ちを、皇帝は幼いレオンにぶつけた。  それらは大人の事情でしかないのだが。  母の病状が重くなる度に城に昼夜を問わず呼びつけられ、皇宮所属の術師により、レオンは死ぬ手前まで魔力を搾り取られた。  無慈悲に魔力を搾取され続けていたが、成人直前に母が儚くなった。  どんなに魔力を注いでも、躰に溜め込む事すら出来なくなったからだ。  その直後からレオンは皇帝を含む皇城からの全ての召喚を無視し、登城するのを止めた。  登城を止めたレオンに、ゲオルグも家宰である父も何も言わなかった。  花街に入り浸っていても、たまに館に戻り領地経営の仕事の手を抜かないし、魔獣が出ると討伐に向かう。  幼い頃から常に気を張っていた。  それがプツリと切れた。  ぽっかりと胸に穴が空いたような喪失を、どう埋めたら良いか足掻いているようにも見えた。  空虚な瞳に光が戻ったのは、レオンの従姉から卵を託される事が決まってからだ。  竜人族では、卵を二つ産む事を獣腹と称し、古来から忌み嫌われていた。  尤も、それは竜身となれる貴族の間だけで、平民の中では多産はむしろ歓迎されている。  頑健で長寿な竜人族では、貴人平民の関係無く子供が出来難い。その為、力仕事が主な農村部では、子供が産まれると喜んで皆で育てる。      レオンは今までの荒んだ生活を見直し、自分だけの『命』を迎える準備に勤しんだ。緩む頬を懸命に引き締めようと眉間に皺を作る主を、館中の者達が温かく見守った。  その卵が棄てられたと知った途端、レオンは迷わず地位も財も捨てて出奔した。  爵位を皇帝に還す書類の不備は、レオンの帰る場所を残しておきたいという遠視の魔女と家宰によるものだ。  必ず探し出して戻って来ると確信しての……。  魔力溜まりで十年間も眠っていたブラッドの躰を慮り、料理人のスヴェンは消化の良い胃に優しい料理を中心に調理した。  野菜を細かく刻み、肉は叩いて潰して茹でた大豆と混ぜて柔らかい団子にしてクタクタになるまで煮込んだ。甘味は林檎をすり下ろし、蜂蜜と檸檬を加えて煮立たせた簡素なのだが口当たりが良い。  熱を出した子供に食べさせる甘味なのだが…。  レオンにはブラッドと同じ料理に見せて、肉団子は鹿肉に替えて満足感を得られるようにし工夫していた。  神殿の孤児院育ちと聞いていたが、ブラッドの食事の所作は無駄が無く美しかった。食べ方も綺麗で、教養の高さが伺えた。  良い師に師事したのが分かる。  食後の茶を運んで来たスヴェンは、とても美味しかったとブラッドから素直な感想と礼を言われ照れていた。    部屋へ戻るブラッドと一緒に行こうとしたレオンを再び執務室に連れ戻し、ゲオルグは執務机に新たな書類を積み上げた。 (少しぐらい意趣返ししても良いでしょう。いつになるか分からない主の帰りを待っていたのですから)  いつか帰って来る。  必ず探し出して帰って来る。  年若い主に使えていた者達は一人残らず確信していた。  遠視の魔女から主の帰還の報せが届いた時、皆、涙を流して喜んだ。  更に、鱗を交換した伴侶を伴ってだ。それも相手は探していた卵だと言う。  父は主の執念深さに引き気味だったが、ゲオルグは誇らしかった。必ず探し出すと言って旅立ったのだ。砂漠で小石を探し出すようなものだが、主は見事成し得たのだ。  その上、伴侶となった方は、仙境でも半ば伝説と化した『白竜』だった。  優秀な癒し手でもある白竜は、古来から時の権力者に召されてきた。レオンが白竜を伴って帰って来た事が知られれば、有無を言わさず皇帝に奪われかねない。  しかし、既に伴侶の鱗を交換した相手を皇帝とはいえ召し上げる行為は禁忌である。  ゲオルグ達は拍手喝采した。 「さすがは我らが主!」    月が中天にかかる前に最後の書類を処理したレオンは、浮き立つ様子を隠しもせずいそいそと執務室を出た。  その後ろ姿にゲオルグは深々と頭を下げて送り出した。 「お方様、後は宜しくお願い致します」   

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