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第149話

 レオンに手を添えられてブラッドは馬車を降りた。深く被った純白のベールが、ふわりと風になびいた。    眼前には灰色と黒を基調とした壁の城がそびえ立っていた。訪れた者を圧迫する色合いだ。    華美な装飾は無い。  実質剛健。  初代リリエンタール公爵……当時の皇弟の人となりを今に伝えている。  館と同様に小高い丘にある城の背後には原生林が密集した山。正面は開けており、城の右翼は切り立った崖で、その下の広い湖が陽光を反射して輝いていた。  館の立地や規模は城の縮小版なのが分かった。  高い石壁が城と城下町を隔てるように伸びており、一定の距離で物見櫓が設置されていた。   「大雑把に言うと、壁の外は農村部、内側は町民の住居、商業、貴族街とそれぞれが壁で分かれている」    馬車の中から外を眺めながらレオンは説明した。  街は活気に満ち溢れ、商隊が行き交い、子供達の笑い声が聞こえてくる。  竜人族と言えど竜身に変化出来るのは貴族のみで、平民は躰は頑健だが貴族には及ばず、竜身に変化は出来ない。寿命も貴族の半分程度。  馬車が通る道は石畳が敷かれており、酷い揺れは無かったが、館からの長距離移動で少し酔ってしまった。 「大丈夫か?」 「うん……。ごめんなさい。ぼくが竜になれなくて…。せっかく馬車を出してくれたのに……」 「いや、それは違う」  当初、レオンは手早く移動する為に竜身となり、ブラッドを自分の背に乗せようとした。  それをアンネリーが止めた。 『せっかく衣装を厳選し、髪を整えたのに風で乱れてしまう』と。  レオンの伴侶であるブラッドのお披露目である。気合を入れて完璧に着飾ったアンネリーとしては、髪の毛一筋とも乱れるのは赦せなかった。  緩く結い上げた赤髪に映える黒真珠と蒼玉の黄金の簪、それと対になっている首飾り。純白の上着は膝まで長く、裾には薄い空色で細かい花が刺繍されており、下袴には生成りで同様の花が散らされていた。  薔薇のレースで縁取りしたベールを被せ、アンネリーは何度も頷いて満足気に微笑んだ。  ブラッドは純白の絹なんて汚したら大変だと思っただけだが、レオンはアンネリーが選んだ衣装の意味を正確に見抜いていた。    花嫁衣装、だ。  黒真珠と蒼玉はレオンの色で、細かい花はリリエンタール家の紋章に描かれた鷹が咥えている野薔薇だ。  暫し見惚れ、我に返ったレオンはブラッドの手を取って馬車に誘導した。  対してレオンは黒を基調にした正装だ。最高級の紅玉の耳飾りに釦は全て翠玉だ。  あまり金をかけるのは好かないが、ブラッドを着飾るのには、いくら金貨を積んでもいいと強く思った。  本人だけ分かっていない花嫁衣装のブラッドは、馬車を降りると口をぽかんと開けてしまった。  圧倒的なまでの迫力の外壁に対し、門を潜ると玄関までの道を色取り取りの薔薇が囲んでいた。白、黄色、薄紫、淡い紅色……濃い色は無いが柔らかで芳香が漂っている。  馬車酔いなど吹っ飛んでしまった。  人の気配にブラッドは慌てて口を閉じた。  ベールを被ってて良かった。  間の抜けた顔を曝すところだった。危ない危ない。  ベールの下で赤面するブラッドをレオンは、ただただ可愛いと口元を弛ませた。  ゲオルグが見たら呆れた溜め息とともに注意されただろう。      玄関前では十数人の使用人が並んで頭を下げていた。  その中心で一番姿勢の良い男が顔を上げた。 「お帰りなさいませ、お館様」    藍色に近い黒髪をきっちり後ろに撫でつけた壮年の男性だった。両側のこめかみに白髪が混じっている。  上げた顔立ちに、ブラッドは既視感を覚えた。理知的な青灰色の切れ長の目。引き締まった薄い唇。細身だが弱々しさは感じられない。衣服の下は鍛えられた躰だと分かるからだ。  「良きご伴侶を得られました事をお祝い申し上げます」  口元を弛ませ、じっとブラッドを見つめる視線は優しかった。その眼差しにブラッドは既視感を覚えた。 (あ、ゲオルグさんだ!) 「お初にお目にかかります、お方様。家宰を任されておる、ヴォルフガング・バッハシュタインと申します。こちらに控えておるのは下働きを中心にしている使用人達でこざいます」 「は、初めまして。ブラッドですっ」 「お方様がお気づきになられたように、ゲオルグは私の不肖の息子です。厳しく執事教育をしましたが、何か不自由をおかけしませんでしたか?」 「いいえ! 大変良くして貰いましたっ」 「おやおや…、お方様に庇って頂けるとは…あ奴もまだまだ未熟者と言う事ですな。後で鍛え直さねばなりませんね」  眉を顰めたヴォルフガングに、ブラッドは慌てて手を振った。 「ゲオルグさんには、本当に、凄く良くして貰いました! 完璧に!」  自分の返答は間違いだったらしい。このままでは、何も悪くないのにゲオルグが叱られてしまう。ブラッドは焦って言葉を続けた。 「ゲオルグさん始め、お屋敷の皆さん、本当に優しくて、食事も美味しくて……、だから、その」  叱らないで欲しくて、勢い良く頭を下げかけたブラッドの肩をレオンが抱き寄せた。 「ブラッドをからかうな、ヴォルフ」  レオンは嘆息を吐いた。 「久方振りでございます。ご健勝のようで何よりでございます、お館様」 「ブラッドは素直なんだ。皮肉や揶揄は通じん。それから、ブラッドには毛一筋の傷も赦さん。心身共に、だ。心しろ。……俺に客だと聞いたから来たんだ」  それがなければ絶対来なかった。  レオンの心内を理解しながらも表情には出さず、口の端に薄く笑みを残してヴォルフガングは頷いた。 「先ずは中へ。新しく入った使用人もおります故、顔見せなどをいたしとうございます」 「…分かった」  ヴォルフガングは胸に手を当てて頭を下げて音も無く退き、レオンに道を空けた。  それが合図だったのか、重厚な両扉がゆっくりと開かれた。  玄関から続く大広間で、両脇に分かれて並んでいる男女の使用人が、深く頭を下げていた。  その間をレオンに手を取られ、ブラッドはゆっくり進んだ。顔を伏せながらも全神経を向けられているのを感じる。  長く不在だった主の帰還である。  しかも、伴侶を伴っての。 (うん。分かるよ。レオン、格好いいもんね)  ブラッドは彼らの意識が自分に向いているとは露程も思わない。主の隣を歩く人物が気になっているのだが。 「お帰りなさいませ、お館様」  ヴォルフガングの後ろで一列に並んだ使用人が声を揃えて深々と頭を下げた。    長くリリエンタール城には主がいなかった。  その昔、人界に嫁いだ公女がいたという記録がある。当時の竜皇帝に側女にと望まれたが、それを厭い、恋しい相手に嫁いだのだ。  その頃から皇族との距離が出来、皇女が降嫁する事も無くなり、社交からも遠ざかるようになり、リリエンタール家を継げる程の魔力を保持している者も生まれなくなった。  魔力の釣り合う者同士でなければ子が出来にくい。リリエンタール家は程なくして絶えた。  領地は皇族直轄地となり、代々リリエンタール公爵家に家宰として仕えていたバッハシュタイン家が代理で管理してきた。  新しい主が出来たのは、ほんの百年前。 膨大な魔力を保持した赤子が預けられ、新たなリリエンタール公爵家の歴史が始まった。期間限定で。  レオンを幼い頃から知っている使用人らは、主が伴侶を得た事を心から喜んだ。レオンの不遇の時代を見守ってきた者達にとって、主の幸福は素直に嬉しい。  対して、新しく雇われた女性の使用人は頬を染めてレオンの容貌に見入っていた。  艷やかな青みを帯びた黒髪。切れ長の蒼穹の瞳。姿勢良く立ち、傍らのベールを被った人物の肩を抱いている。  伴侶に選んだのは男性だと聞いて、もしかしたら主のお手つきがあるかもしれないと、新たな使用人の間で沸き上がった。やっぱり男より女のほうが良いと言って。  レオンは使用人の顔を見回し、視線をヴォルフガングに戻した。  ヴォルフガングはレオンの冷ややかな眼差しを受け、小さく頷いた。  傍らのブラッドは、自分の肩を抱くレオンの手に僅かに力が籠もった事に疑問を持ったが何も言わなかった。 「改めまして、良きご伴侶をお迎えなさった事を我ら一同お祝い申し上げます」   ヴォルフガングが棟に手を当てて頭を下げた。 「お方様、こちらの使用人は主に内向きの仕事を担っております。御用の折は遠慮なく申し付けて下さい」   「はい」 「お館様、ご伴侶様のお披露目を」  レオンはブラッドからベールを外し、ヴォルフガングに渡した。    真珠を思わせる白い肌。森の奥にある湖を思わせる翠の瞳。ふっくらした愛らしい紅い唇。  使用人達からは控え目だが感嘆の声が上がった。  主の伴侶が白竜である事を使用人達はヴォルフガングから伝えられていた。極秘ではないが、大声で吹聴して歩いてもならないとも注意されていた。  古来より白竜は高貴な方々を癒してきた。命を損なう怪我や病魔から。  権力者はこぞって白竜を己のものしようとした。金品や美食には靡かない白竜を得る為に、時に強引に奪い、或いは大事な者を人質とし、自ら身を差し出すように仕向けたり、と。  白竜を巡っての争いもあった。  リリエンタール家所属の騎士団はヴォルフガングより、主の伴侶を護る為に今以上に剣技を磨くよう厳命されていた。  最初は半信半疑だった。  長く白竜は滅んだとされていたからだ。  それでも公爵家に次ぐ高位のヴォルフガングからの命である。騎士団は主が帰還するまでの間、厳しい訓練に明け暮れた。  その労苦など、ブラッドに微笑みかけられた途端、霧散した。  ヴォルフガングによって騎士団を紹介されたブラッドは何度か目蓋を瞬いて視線をむけた。 「ブラッドです。色々と皆さんの手を煩わせる事も多々あると思いますが、宜しくお願いします」    真珠の粉をはたいたように白く艷やかな頬をほんのり染めてブラッドが挨拶をすると、騎士団は揃って最敬礼をした。    絶対、護る。  騎士団は心から誓った。  ブラッドの微笑み一つで落ちた騎士団だった。               

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