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第150話
「ここではレオンの事『お館様』って呼ぶんだね」
城の最奥の私室に二人を案内したヴォルフガングは、洗練された手つきで茶を淹れた。レオンが口をつけるのを待ってブラッドも茶を飲んだ。
ほぅっと息をついて目を細めるのをレオンは微笑ましく見つめた。
そのレオンに耳打ちをし、ヴォルフガングは一礼して部屋から出て行った。
「…本邸での俺は一応『公爵』だからな。向こうでは気楽でいたいから呼び方を変えてもらったんだ」
出奔する前は『若君』『公子』等と呼ばれていた。成人前だったのだから子供扱いは仕方ない。
ところが、戻った途端『ご当主』『閣下』呼びである。最初は揶揄されているのかと思ったが、どうやら本心かららしい。
だが、どうにも座り心地が悪い。
レオンはそれらの呼称を厭い、本邸では『お館様』別邸では『旦那様』と呼ばれる事を渋々ながら承諾した。
「それで、ずっと不機嫌だったんだ。でも、それだけじゃないよね?」
レオンは茶器から口を離し、眼を見開いた。
茶器を卓に戻したブラッドは小首を傾げてレオンを見た。
驚いたような顔をしているのが可笑しかった。くすりと笑ってブラッドは焼き菓子を食べた。焼き菓子は仄かに甘く、口内でほろりと崩れて溶けた。
「レオンも食べて。美味しいよ」
甘味を取ると苛々は解消すると思う。
レオンは隠していたつもりのようだが、ブラッドは僅かな表情の変化も見逃さない。
行儀が悪いかなと思いつつもブラッドは席を離れ、レオンの傍に座った。
「ここ」
レオンの眉間を指で突く。
「皺が出来てるよ。ほんの少しだけど」
「…そうか。ブラッドには隠せないな」
くすりと笑い、レオンはブラッドの手を取った。眉間を突っついた形のままの人差し指をそっと食んだ。
驚いて瞬くブラッドの目元が、ほんのり紅く染まった。
チュッと指を強く吸われた途端、背中がぞくりと震えた。熱の籠もった吐息が鼻から漏れる。
「…んっ…ふぅ……」
レオンは視線を合わせたまま細い指の間に舌を這わせた。
「レ…オン……」
吐息混じりに名前を呼ぶ。
生まれ始めた体内の熱。落ち着きが無くなり、ブラッドは無意識に膝を擦り合わせた。
「だめ、だよ…。こんな、明るい所、で…んんっ」
レオンに軽く歯を立てられ、そこから甘い痛みが躰中に走った。背中から力が抜けて座っていられない。
レオンの悪戯な光の瞳と視線が絡む。
「ブラッド……」
名前を耳元で囁やかれ、蠱惑的な低音が鼓膜から侵入し、脳を揺らす。必死で繋ぎ止めている理性が流れ出ていく。
再び唇が重なり、吐息が、理性が奪われる。
やわやわと食む。
上唇を吸い上げ、下唇を噛む。堪らず開いた隙間から舌を侵入させ、つるりとした歯列をなぞる。奥で震えている舌に舌を絡ませ強く吸うと、ブラッドの吐息の熱が増した。
ブラッドの官能を引き出した事に気を良くしたレオンは更に先に進む事にした。
力の抜けたブラッドを自分の膝に乗せ、凭れかけさせる。
項を撫で上げ、形の良い耳殻に舌を這わせるとブラッドの吐息に掠れた声が混じった。
「やっ…んんっ……」
力無く縋りつく手が震えている。
その手を取り指先に口づけし、ブラッドの襟元のレースを解いた。純白の生地に多種類の白の刺繍糸で華やかに彩られた花嫁衣裳。清純で禁欲的な白に赤髪が良く映えている。
背中の釦を外そうとしたが、意外と硬く締められており、片手では無理そうだ。
もう片手でブラッドを支えながらでは手間取りそうだ。レオンは手っ取り早く引き千切ろうと真珠貝の釦を摘んだ。
「取ったらダメ」
「ダメか?」
「ダ〜メ」
沢山の職人の手がかかったであろう緻密な刺繍の施された衣装。それを丁寧に着付けてくれた嬉しそうな笑顔のアンネリー。
それを損なう事は悲しいと思う。
火照った躰を預けながらもブラッドは最後の理性を手放さなかった。
「ブラッド…」
耳元で名を囁くと、肩を竦めて自分に縋りついてくる。それに気を良くし、僅かに残っているであろう理性を剥ぎ取ろうと皮膚の薄い項を指でなぞる。
甘く啼く唇を吸い上げ、柔らかな感触を堪能する。吐息を奪い合い、唇を食み合う。
(どうしよう……。頭が溶けちゃうよ……)
力強い腕に抱き込まれ、唇を重ね、力の入らない手で広い胸に縋りつく。そうするとレオンの唇が僅かに笑みの形になったのが分かった。
「レオン、ぼくの事、からかってる…?」
「いいや?」
否定しているが口元が笑みの形に緩んでいる。
「やっぱり、からかってる…」
唇を尖らせる。
「可愛いな」
尖らせた唇を指で突っつくと、揶揄われたと思ったのか更に唇を尖らせた。
「絶対、からかってる!」
「ふっ、ははっ。からかってないよ」
「からかってるもん!」
「ブラッドが可愛いすぎるからさ」
唇を啄むと、今度は頬を膨らませた。
「やっぱり、可愛いな」
「レオンってば!」
滑らかな頬を撫でると、ブラッドは猫のように目を細めた。
「…機嫌、治った?」
「!」
にっこり笑い、ブラッドはレオンの眉間を人差し指で突っついた。
ブラッドを膝に乗せ、官能を引き出すのではなく、軽い戯れ合いの口吻けを交わし合う。啄み、鼻の頭を擦り合わせる。深く唇を重ね、軽い音を立てて離す。
額をつけて微笑み合う。
思えば、魔力溜まりで目醒めてから明るい時間に二人っきりで触れ合うのは初めてかもしれない。人界にいた時はお互いの仕事上、どうしてもすれ違いがちだった。
会える時は大抵ブラッドの危機で、レオンに救けられてばかりだった。
ここでもレオンの力は圧倒的で、自分の助けなど針の先ほどもない。
領地に戻ってからのレオンは多忙で、一日の大半を執務室で過ごし、時には視察や討伐で館を数日留守にする事もあった。
仙境でも最強種の竜人族のレオンが傷つけられる事はそうそう無いが、疲労は蓄積されていく。それを少しでも癒せればと思う。
可愛いな。
自分を労ってくれる気持ちが癒しの魔力を伴って流れ込んでくる。
本人は無意識に行っているようで、自覚の無い純粋な想いが心地良い。
顎を指で撫でると猫のように目を細め、視線を合わせると微笑み、唇を重ねると頬を染めて応えてくれる。
唇が、躰が、心が重なる幸福。
戯れの口吻けが深くなる。
再び躰の奥に火が灯る。
中断したその先へ……。
「ウオッホンッ!」
突然の咳払いに二人の躰が硬直した。
錆びた蝶番いのように顔を上げると、無表情のヴォルフガングが少年を伴って立っていた。
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