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第152話
蒼い鱗から仄かに漏れ出る魔力。
間違いなく蒼竜の鱗だ。
レオン本人ではなく、ブラッドが手を伸ばしてリーンハルトから鱗を受け取った。
青金石の煌めきと艷やかさ。
全く劣化が見られない。つい先刻躰から剥がれ落ちたようだ。
「この鱗、ぼくが貰ってもいい?」
「そんな古い物より、新しい鱗の方がいいだろう」
「ううん」
ブラッドは鱗を握り込んた。
「これもレオンだもの。ぼくのものだよね?」
「…そうか。そうだな」
口元を綻ばせ、小首を傾げてブラッドはレオンを見た。
「それで、どうするの、レオン?」
問いながらも、ブラッドの瞳にはレオンへの全幅の信頼があった。
レオンは短い嘆息を吐いて目を閉じた。
リーンハルトは辺境領に近いベックシューマッハ子爵領の片隅で育った。
子爵領の大半を占める森林の奥の小さな屋敷で、母子と数人の使用人と隠されるように過ごした。否、隠されて育った。
慈しんでいた愛娘が婚外子を産んだ。
激怒したベックシューマッハ子爵は、母子を森の奥の屋敷に閉じ込めた。使用人は母子を外に出さない為の監視人を兼ねていた。
子爵の末娘は魔力量が少なかった。出産の際に竜身になるにはギリギリの魔力量だった。
そして、卵を孵化させるには圧倒的に足りない。
本来であれば、両親で協力をして魔力を卵に注いで孵化を促すのだが、その足りない分を補ってくれたのが魔力を含んだレオンの鱗だった。
石と化す寸前で奇跡的に卵は孵化する事が出来た。以来、蔑みと厳しい視線の中で母子は身を寄せ合って過ごした。
病弱で床につく事の多かった母は、それでも微笑みを絶やさずリーンハルトを慈しんだ。
他者との交流を禁じられ、屋敷の敷地内から一歩たりとも出る事もなくリーンハルトは成長した。世間知らずのリーンハルトが一人旅が出来たのは、母の教育があったからだ。
手巾を丁寧に畳み、リーンハルトは懐に仕舞った。
顔を上げると、ブラッドが蒼い鱗を両手で包むように乗せ、愛おしそうに見つめている。真珠色の頬を仄かに紅色に上気させ、金環の翠の瞳を潤わせて。
リーンハルトは目を瞬いてブラッドを見つめた。
母とは違う……。
時々、母は鱗を取り出し、大事そうにそっと撫でていた。口元を綻ばせ懐かしそうに、それでいて少し悲しそうに……。
それは、何故?
幼かった頃、鱗を見つめる母の眼差しの意味が分からなかった。今も分からない。
嬉しそうに、愛おしそうに鱗を見つめるブラッド。
純粋な愛情。
それに応えるレオンの眼差し。
胸の奥がチリチリする。
この感覚は何だろう……。
「さて、どうするか…」
レオンの低い呟きにリーンハルトはハッとして躰を震わせた。
視線をブラッドからレオンに移した。
自分に向けられた怒気を含んだ視線に躰が竦む。
「じ、自分の身の処し方は心得ております。閣下の御手を煩わせる事は決していたしません」
慌てて椅子から降り、リーンハルトは床に膝を着いて深々と頭を下げた。
「こーら」
ブラッドがレオンの耳を引っ張った。
「怒る相手を間違えてるよ、レオン?」
摘んだ鱗を目の前に掲げた。
「それに……ぼくにどんな言い訳をしても、これは立派な『証拠』になるよね?」
「『証拠』?」
「う・わ・き・の」
レオンは目を剥いて絶句した。
背後に控えていたヴォルフガングは片眉を跳ね上げ、口の端を僅かに歪ませた。
リーンハルトは思わず頭を上げて口と目を大きく開けた。
「卵のぼくを大事にするって誓ったのに、貰う前に色んな人と楽しんだんでしょ?」
「た、楽し…?」
「左様でございますね。あの頃のお館様は城下街からお帰りにならず、様々な娼館を渡り歩いていたと聞いております」
「ヴォルフガング! おおおお前っ…!」
「港街の酒場で、結婚を控えた男の人がよく言ってたよ。結婚したら奥さん一人になるから、独身最後の夜まで色々な花の蜜を味見するんだーって」
ブラッドは唇を尖らせた。
「大店の旦那さん方は、酒場でお妾さんの数を競ったり、どれだけ美人か自慢してたなぁ。結婚したからって花を愛でるのは男の甲斐性なんだって。まぁ、その後は皆さん奥さんにボコられてたけど」
あれ?
そういう話しだっけ?
リーンハルトは首を傾げた。
「ま、待て、ブラッド。時系列が、その、おかしい…」
「時系列? そう言ってぼくを誤魔化そうとしてる? 綺麗なお花を渡り歩いていたんでしょ?」
「いや、そうじゃなくてだな、そのだな」
「お館様、お見苦しゅうございます」
ヴォルフガングが冷めた茶器を下げ、新たに淹れた茶器を二人の前に置いた。
「爛れた日々をお過ごしになられたのは事実ではございませんか」
「爛れっ…そんな事はしていないっ」
レオンは全力で首を横に振った。
「成人なさってからは、城よりも城下で過ごす方が多くなったのは事実でございます。城の居心地を快適に保つ事が出来ず、お館様を補佐をする私の不徳の致すところ。お方様には大変申し訳なく思っております」
ヴォルフガングは左胸に手を当ててブラッドに深く頭を下げた。
「お館様への教育不足は私の力不足。何卒、お怒りは私めに、お方様」
「…頭を上げて、ヴォルフガングさん」
鱗に口吻けし、ブラッドはレオンの顎に指を這わせた。
「ぼくに謝るのはヴォルフガングさんじゃなくて、レオンたよね?」
「ま、待て待て」
心地好い筈のブラッドの指から、ほんのり冷気が流れ込んでくる。
「この前のレオンの言葉とこの鱗。矛盾してるよね〜」
「待て待て待て待てっ」
おかしい。
リーンハルトの訪問を受けた直後はブラッドの機嫌はすこぶる良かった。それが一転した。
どこで機嫌を損ねた?
「ブラッド…、その、何に怒って…」
「本当に、分からない?」
ブラッドの瞳の輝きが増した。
「この鱗はレオンがリーンハルトのお母さんに与えたんだよね? それは事実でいいよね?」
「うっ…、そうだ、な…」
「自分で種を蒔いたのに、責任を子供に押しつける気?」
ブラッドの怒りの意味が分かった。
しかし、本人を前に自分が父親ではないと否定するなど酷な事は出来ない。それこそ男として卑怯な言い訳になる。
リーンハルトの父親が自分ではない事は自分がよく分かっている。ベックシューマッハ子爵令嬢と、そういった関係になった事実は無い。
決して無い。
絶対に無い。
レオンは必死に念話をブラッドに飛ばした。
念話が届いているのは感覚で分かる。
氷の壁で跳ね返されているのも……。
「ぼくのレオンは無責任男なんかじゃあないよねぇ?」
レオンはこくこくと頷いた、
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