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第160話
夜明けと共に領都を守る防壁に沿って黒い鎧の群れがぐるりと囲んでいた。
久しく領都が攻められるなど無かった。
それでも都民達は恐慌状態に陥る事なく兵士に誘導され、それぞれの地区の神殿や庁舎に避難した。
明け方には外堀に跳ね橋が下ろされるのだが、今は分厚い外門の前に上げられたままだ。通常であれば、関所の受付開始の時刻だ。
商隊の馬車や旅人が列をなしているのだが、大軍を恐れたのか影も形もない。
太古、国としての形を成す以前、竜人族同士の戦いは大災害と同等だった。
竜身同士の戦いは力と属性の魔力のぶつけ合い。
炎、水、風、雷…あらゆる属性が自然災害となる。森が焼かれ、大風が吹き荒れ、土砂が水で押し流され、大地が割れた。
荒事を好まない精霊は隠れ、大地は荒廃した。大地に再び生命が蘇るには、長い年月を要した。
勢力争いに勝利した初代竜皇帝は、荒廃した大地に立ち、竜人族同士の争いで竜身になる事を禁じた。
人界で竜身となったレオンは膨大な魔力を封じて戦っていた。そうでなければ敵味方関係なく、全て塵と化していたからだ。
竜人族を乗せる馬は、魔獣と掛け合わせた体格の良い軍馬だ。竜人族の放つ強大な魔力に、普通の騎馬では怯えて動けないからだ。
その大軍の中で一際巨体の軍馬に跨った青年が進み出た。
漆黒の鎧に、同じく漆黒の天鵞絨の毛並みの騎馬。
深い藍色の髪を短く刈り上げ、夕闇色の瞳が鋭い光を放つ上級軍人。
「我は此度の軍を率いるアウグスト・カロッサと申す。開門願おう」
決して声を張り上げているのではないが、彼の声は領城まで届いた。
「アウグスト・カロッサ将軍。代々勇猛な武将を輩出している武門の名家ですね」
領都全体を見下ろせる露台で、レオンの傍らに控えたヴォルフガングが、抑揚の無い口調で言った。
「…俺の剣の師は、先代のカロッサ将軍だったからな。現将軍の事はよく知っている」
剣の稽古で撃ち合いの相手を務めていた。先代将軍は大柄で、子供相手では身長差があり過ぎて撃ち合いにならないからだ。
裏表の無い、面倒見の良い陽光のような朗らかな少年だったが…。
「鬱陶しい奴だった」
眉間に皺を寄せて苦々しく吐き捨てた。
ヴォルフガングが意外そうに主を見た。
本当に鬱陶しかったのだ。
面倒見が良いだけならば、軽くいなしておけば済んだのだ。
だが、親切の押し付けがましさには辟易した。事あるごとに兄振り、馴れ馴れしく、無遠慮に内側に入ってこようとする。
幼い頃から自分の立ち位置を理解し、最も鬱屈していた時期だったから尚更だ。
城に戻らず、城下で暮らすようになってからも面倒を見にやって来た。どうやって調べたのか、短期間で転々としていた拠点に現れるのだ。
「あれは任命されたというより、自分から率先して来たんだろうよ」
両手を振って大声を上げている将軍を副官らしい青年が必死に止めている。
「目障りだし、領民が怖がってる。将軍を城内にご招待しろ」
ヴォルフガングがレオンに一礼して、右手を高く掲げると黒い鳥が現れた。光を吸い込む漆黒の鴉が羽ばたいた途端、黒い流れ星が門へと向かった。
程なくして、跳ね橋が轟音を立てて落ちた。
「意外と早かったな。やっぱり、あいつ俺に会いたいんだな」
アウグスト・カロッサは副官を振り返って朗らかに笑った。
「何言ってるんですか。街を大軍で囲んでいるんですよ。我らに友好を感じてるなんて有り得ません」
副官が呆れた表情で頭を横に振った。
「そんな事は無いさ。ちょっと捻くれてるが、素直な良い子なんだ」
「…それ、絶対、本人に言わないで下さいよ」
「誉めてるんだが?」
「そう思ってるのは、あなただけです。いいですね? 余計な事は絶対に言わないで下さいよ。交渉が拗れてしまいますから」
室内に戻ったレオンは、そのまま足速に私室に向かった。
奥へ続く階段の踊り場で、ブラッドが窓から外を食い入るように見ていた。傍らに控えていたリーンがレオンに気づき、頭を下げた。
「…何か物々しいね。どうして軍隊が街を囲んでいるの?」
顔を外に向けたままブラッドが不安気にレオンに訊いた。
横に立ったレオンの、躰を包み込む力強い気配。
安堵とともに肌がヒリヒリする。
「レオン、凄く怒ってるね?」
同じように窓から外を見下ろすレオンの頬に手を伸ばした。愛おしそうに微笑みを向けるが、内から吹き上がる怒りを抑えているのを感じる。
「約束を破ったからな」
誰が、とは訊かなかった。
それはレオンと約束をした誰かとの問題だからだ。自分が踏み込んでいい領域ではない。
ブラッドの肩を抱き寄せ、レオンは再び外を見遣った。
皇軍の軍旗を誇らしげに高く掲げている騎兵団。それを背にアウグスト・カロッサは副官を従え、騎乗したまま城へと続く道を進んで来る。
その後に続いて軍が領都に雪崩込み、内壁に沿って街を囲み始めた。
眼を眇め、レオンは内心で舌打ちをした。
「『陽光の将軍』も、えげつない脅迫するんだな」
領民を盾に、一体何を要求するつもりなのか。
「ふん…。まぁ、城に到着するまで、まだ時間がある。ブラッド、朝食にしよう」
「朝ご飯? お客様が来るんでしょう?」
「来たら来たで待たせておけばいい。こんな朝っぱらから、先触れも約束も無しで来やがったんだ」
レオンの後ろでヴォルフガングが使用人らに指示を出していた。
いつもより早く城内が慌ただしくなり、厨房からは食欲をそそる匂いが漂い始めていた。
「お方様、お支度を致しましょう」
「えー。このままじゃダメ?」
可愛く唇を尖らせるブラッドにリーンは微笑んだ。
「朝食を食べている間に、客人も到着なされると思います。その時に部屋着では客人に侮られます」
「そっか。このままだと、カッコいいレオンが侮られちゃうもんね。でも、あんまりヒラヒラした物じゃないのがいいな。動き難いと言うか…どこかに引っ掛けて破いちゃいそうで怖いから」
「どんな御姿でもお方様は可愛らしく美しいです」
「そうだな。げど、あの野郎に、大事なブラッドを見せたくないな」
レオンが唸るように呟いた。
「?」
「あいつは、美人と見たら見境無く手を出す節操無しだから、お前を見せたくない。それに、あいつが見たらブラッドが減る」
ブラッドは目蓋を瞬いてレオンを見た。
冗談かと思ったが、蒼穹の瞳には真剣な光があった。
「…減らないと思うよ?」
「いいや、減る。絶対に減る。いや、あいつの視線なんかに晒されたら汚れるかもしれない」
「レオン?」
「いっそ奥に隠しておくか…」
「さぁさぁ、お館様も早くお着替えなされませ。お方様にカッコいい姿をお見せ致しませんと」
レオンはヴォルフガングに急かされ、ブラッドはリーンに急かされて二人の私室へ向かった。
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