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第163話
ブラッド達が通された部屋は、豪奢な館の三階の最奥だった。天井が高く冷え冷えとしており、縦長の細い窓の全てが分厚い帷で閉ざされていた。調度品は円卓と椅子が二脚。
扉は外から鍵が掛けられ、呼び鈴すら無かった。
「これでは、お茶が淹れられません」
不服そうに言いながらリーンが椅子を引いてブラッドを座らせた。
「リリエンタールの小僧の鱗を寄こせ」
ゴッドリーフ・ブランケンハイム公爵が片眉を跳ね上げて言うと、エヴァンジェリンがハッとしてブラッドを凝視した。
咄嗟に胸を押さえ、ブラッドは一歩下がった。すぐさま、リーンが庇うようにブラッドの前に出る。
「ほぅ、儂の前に立つか。度胸だけはある小童だな」
口の端を歪め、ブランケンハイムが眼を眇めた。
「だが、勇気と無謀は違うぞ、小童。命が惜しくば儂の邪魔はするな」
刃の束のような威圧に晒されながらもリーンは踏ん張った。
「己より年下の者を盾にするか」
ブランケンハイムはリーン越しにブラッドを小馬鹿にする用に吐き捨てた。
「ち、違っ…。その、これは、レオンから貰った大事なものだから…」
改めて魔力を込めてくれた、愛しい人の鱗。後で首飾りに加工すると約束してくれた。一緒に意匠を考えようと優しく微笑みながら。
「生意気に我を張るか」
言いながらブランケンハイムは背後の護衛騎士の剣の柄を握った。
「お前ごときが我を張り続けるのなら…」
抜いた剣の切っ先をエヴァンジェリンの喉に突きつけた。
「この小娘の首を斬り落とす」
「なっ、何を…! 公爵様?! 話しが違いますわっ」
顔色を無くしたエヴァンジェリンの喉から赤い雫が溢れた。
「耳障りだ小娘。暫し黙れ」
視線を背後の護衛騎士らに向けると同時に、彼らは一斉に剣を抜いた。無言でエヴァンジェリンが率いてきた騎士らを囲む。
「指一本動かすな。小娘の首が転がるぞ。さぁ、鱗を出せ。それとも、先にこの階の使用人全員を斬り捨てるか」
「公爵様、お話が違いますわ。このような蛮行はっ…」
「何の覚悟も無く兵を率いて来たのか、小娘。其方は既に謀反者だ。主君に剣を向けておいて忠義者を名乗るなど、片腹が痛いわ」
息を飲むエヴァンジェリンを冷やかに見遣り、ブランケンハイムは薄い緑の瞳をブラッドに向けた。
「十数える。一つ減るごとに小娘の部位を一つ落としていくとするか」
荒事に対して一片の躊躇いの無い眼差しに、ブラッドは慌てた。
「まっ、待って下さい」
ブラッドは懐から畳まれた純白の手巾を取り出した。繊細なレース編みで縁取られた最上級の絹の手巾だ。
震える手で開くと、青金石色の鱗が光を反射した。
親指の爪程の大きさの鱗をブランケンハイムは手巾ごと取り上げた。
「…ふむ。この魔力、確かに小僧のだな」
手巾越しでもレオンの魔力は感じ取れたのだろう。面白くなさそうに呟き、エヴァンジェリンに手巾を無造作に投げつけた。
「さぁ、儂と一緒に来てもらおうか」
そうして二人が連れてこられた館の外観は、白亜に白銀の装飾の華やかな造りだった。皇都の高位貴族のみ赦された、一の郭にある館だった。
白銀のお館と呼ばれる公爵邸は、高い塀と木々に囲まれた広大な敷地内で、静かに佇んでいた。
分厚い一枚板の扉を潜ると、建物の二階分はありそうな天井の高い玄関だった。
左右に分かれ、主に対してわずかの乱れも無く頭を下げた使用人達。
ブランケンハイムは、家令らしい壮年の男性に一言二言で何やら指示を出した。家令は頷き、無表情でブラッドらに躰を向け、ついてくるよう促した。
目的の部屋に到着するまで、家令は無表情で無言だった。
階段を登り、いくつか門を曲がり、長い廊下を進み、辿り着いたのは館の最奥の部屋だった。
二人が部屋に入ると、家令は何の説明もなく扉を閉めた。間を置かず、鍵をかける乾いた金属音が響いた。
薄暗い部屋を見回し、リーンは分厚い帳を開けた。窓の外には、傾きかけた陽に染まった茜の空が広がっていた。
嵌め込まれた窓はびくとも動かない。
木よりも高い階。
露台も無い。
完全に閉じ込められたようだ。
「何だか…元気の無いお屋敷だよね?」
「お方様?」
ブラッドは立ち上がり、部屋の隅に飾られた純白の花に顔を寄せた。花瓶を持ってみた。水は十分入っている。それなのに花からは生気が感じられない。
「君も元気が無いね。可哀想に…」
ブラッドが花弁をなぞると、萎れかけた花に水気が満ち、純白さが増した。
無意識の癒し。
意識して行えないもどかしさに、軽く唇を噛む。
「…お方様、申し訳ありませんでした」
唐突に謝られ振り返ると、リーンが深々と頭を下げていた。
「リーン? どうしたの? 頭を上げて」
「私の力が足りず、お方様の大事な鱗を手放させてしまいました…」
元々はリーンの母親に、出産の際に足りない魔力を補う為に渡していた鱗だ。無事出産し、リーンも卵から孵化する事が出来た。
その後、当人に返された鱗は魔力を込め直され、ブラッドの宝物となった。
ただ、その満たされた魔力のお陰で、伴侶の鱗と思われたようで助かった。
「ですが…、お館様とお話も出来ませんでしたし…」
レオンと話す隙もなく連れてこられた。
当初、ブランケンハイムはブラッド一人を連れてこようとしていたのだが、リーンが侍従として強引について来たのだ。
その判断は正しかったと思っている。実際、通された部屋の帷は閉ざされたままで、茶器の用意すらされていなかった。
更に高位貴族の使用人とは思えない木で鼻をくくった態度に苛立ちを覚えた。
「用事が済んだら、早く帰れるといいんだけど…」
「用事、ですか?」
「うん。あのお爺さん…多分…ぼくのお祖父さん、何か含みがありそうだったし」
含み、という言葉にリーンは瞼を瞬いた。おっとりしたブラッドから出たとは思えなかったからだ。
おまけに筆頭公爵をお爺さん呼ばわりとは。
「何かに役立って貰う気、満々だったよ」
底冷えする眼差しの奥に、ブラッドを値踏みするような気配があった。
おとなしめな雰囲気と容貌のブラッドだが、それに似合わない経験を経ており、それなりに為人を見抜く。
貴族特有の尊大さ。
蔑みつつも奥底まで探るような眼。
ブラッドを孫と呼びつつも、肉親に対する親密さは欠片も無かった。
溜息を吐きそうになったが、リーンを慮ってブラッドは飲み込んだ。
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