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第168話

 玄関前に漆黒の馬車が停車していた。    頑健で、光を吸い込む黒。前面に刻まれた複雑な模様は、外部からの攻撃を弾く結界の魔法陣だ。  罪を犯した貴人専用の護送馬車。 「かっ…閣下! 大将軍閣下! お待ち下さいませっ」  よろめきながらエヴァンジェリンが駆け寄ってきた。 「あんまりでございます! お兄様は罪人ではございません!」  ハーラルトが溜め息を吐き、忌々しげに振り返った。 「誰のせいで…」  声を上げかけたハーラルトの前にアウグストが立った。 「お前達父娘が望んだ事だろう」 「わたくし達が望んだ? いいえっ! わたくしの望みはお兄様の、レオンハルト様の幸せですわ」 「否」  アウグストは一言で切り捨てた。 「お前の父親の告発状には『リリエンタール公爵に皇帝陛下への叛意有り。証拠は白竜の独占』と記されていたぞ」 「お父様が…? お兄様が叛意? わ、わたくし共にそのような意図はございません。それに、白竜は発見次第、皇城への報告が義務付けられております。父は、その義務を果たしただけです」 「確かに報告は義務だ。だが、差し出す義務は無い。その上、当主を売るような内容でな。そして、白竜を差し出す代わりに恩赦を賜わりたいと申し出た」  図々しくもな、と心中で呟き、アウグストは続けた。 「更にお前と婚姻させ、レオンを領地に留める事を約定とすると。まぁ、お前と白竜とでは、釣り合いが取れないと思うがな」  アウグストに鼻で笑われ、エヴァンジェリンの頬に朱が走った。  千年以上、竜仙境には白竜が顕現していない。若い世代には白竜はお伽噺でしか知らないのが実情だ。  それはエヴァンジェリンも同様で、彼女は白竜という存在に懐疑的だった。    赤髪の青年は本当に白竜なのか。  レオンハルトは騙されているのではないのか。  本心では、我が物顔で愛しい人に侍っているのが赦せなかった。頬を染め、上目遣いに媚びるように見上げる様が気に入らなかった。  白竜と名乗っているのであれば、皇城へ差し出す義務を果たせばいい。本物ならば皇帝へ恩が売れる。謀ってかいるのならば処される。  どちらにしても、レオンの側から離させ事が出来る。  もっとも、ブラッドは自ら白竜と名乗っていないのだが…。  エヴァンジェリンは縋るように視線をレオンの背に向けた。  レオンは振り返らずに馬車に乗り込んだ。それにアウグストが続いた。  完全な拒絶。  一瞥すらくれない。 「お…お怒りなのですか…? わたくしは、お兄様の為を思って…!」  縋るエヴァンジェリンの前で、ハーラルトが馬車の扉を閉めた。 「『貴方の為を思って』は、とても心地好い言葉ですよね」 「?! 何を仰りたいの?」 「その実は相手の為ではなく、自分が優位に立つ為の独り善がりな正義の言葉だ。相手に恩を売り、卑屈にさせて思い通りに動かす魔法の言葉」 「無礼ではなくて?」  ハーラルトは扉に鍵を掛けると、無機物でも見るような感情の無い視線をエヴァンジェリンに向けた。 「無礼? 覚えておきなさい。貴女方父娘の軽率で独善的な行動でリリエンタール公爵閣下を窮地に陥らせたのですから」 「窮地……」  蒼白になった頬を強張らせ、エヴァンジェリンは馬車を仰いだ。必死に目を凝らしても、明り取り用の小さな窓からは中は覗えない。 「貴女の下らない正義が、公爵閣下を殺す事になるかもしれないのですよ」 「!!」 「余計な事などせず、大人しく引き籠もっていなさい。貴女が動けば動く程、公爵閣下は雁字搦めになるのです」 「で…でも…。このような事態になった責任を取らなければ…」 「次はありません。公爵閣下の無事を望むのであれば大人しくしていなさい。『あなたの為を思って』言っているのですよ?」  愛馬に跨り、ハーラルトは馬車を引く馬と轡を並べた。 「私の一番嫌いな言葉です」  崩れ落ちるエヴァンジェリンを馬上から冷やかに睥睨し、ハーラルトは片手を上げて出発の合図をした。  馬車内は、大柄な二人が座っていても更に広かった。   「ガッチガチの権威主義だが、健気で可愛い娘じゃないか。馬鹿だがな」  アウグストがにやりと笑った。 「…馬鹿は余計だ」  嘆息混じりにレオンが言った。  血縁関係が全くないリリエンタール公爵家当主になった。公爵家に連なる一族は、従順にレオンに頭を垂れたが表向きなだけだ。  生まれ落ちた時から死と隣り合わせだった。護られていたのは、言葉も足も覚束ない幼児期だけ。  リリエンタール公爵となった経緯を知らぬ一族は、従順を装い虎視眈々と当主の座を狙っていた。魔力枯渇で死ぬか、暗殺されて死ぬか……力を示すか。  初めから好意的だったのは家宰親子だった。  対照的に家宰の弟のバッハシュタイン侯爵は、愛想の下に野心を抱いているのは知っていた。本人は上手く隠しているつもりのようだが、死の気配を日常に過ごしてきたレオンには無駄だった。  強くあれば、直接手は出せないのは分かっていた。  だが、日々に膿んで、取り上げられた希望を取り戻す為に出奔するまでに放たれた暗殺者の数は両手両足の指では足りない。  侯爵も娘は大事らしく、己の野望は隠しているようだ。  その愛娘から好意を向けられるとは皮肉な事だが。  だからと言って、レオンにはエヴァンジェリンに対して情は露ほども無い。  ましてや自分だけでなくブラッドに仇なすなど、赦さない。あの場で命を奪われなかっただけでも感謝して欲しいくらいだ。  もっとも、自分が命の危機にあった事すら気づかないのには呆れて物が言えない。  膝の上で拳を握ると、枷が細やかな金属音を立てた。 「ところで、いつまでこの枷をつけていればいいんだ」  掲げた黒い枷が鈍く光った。 「俺の一存では外せないんだよ。悪いな」 「悪いなんて欠片も思っていない癖に」 「仕方ないだろう。命令なんだからさ」  背凭れに背を預け、アウグストは朗らかに笑った。 「ブラッドは、いつ皇城に連れてこられるんだ?」 「さぁ?」  首を傾げたアウグストの椅子をレオンが蹴った。 「今回の件、一体、誰の意向だ」 「ふん」 「大体おかしいんだ。たかが俺ごときに大将軍閣下がお出ましなんぞ」 「いやいやいや、お前だぞ? 俺以外の誰が出張るんだ?」 「買いかぶりだ。大将軍閣下に俺ごときが敵う訳無いだろう。…で、誰の命令だ?」 「何言ってんだ。唯一俺と同等の強さのくせに」  アウグストは片眉を跳ね上げた。 「お前さんの兄貴、皇太子の命令だ」            

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